博多華丸・大吉

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所属事務所:吉本興業
メンバー :博多華丸(1970年4月8日生まれ・B型・ボケ)
       博多大吉(1971年3月10日生まれ・O型・ツッコミ)



2人は福岡大学在学中には2人とも落語研究会に所属し、そこで知り合う、地元のタウン誌に活動が
紹介され、それを見た別のプロダクションにコンビ名「ヨッチャン・オカチャン」を付けられ
東京でやらないかと誘われたが、怪しいプロダクションだったためそこはやめる。その後
吉本興業福岡事務所の1期生のオーディションに合格し「鶴屋華丸・亀屋大吉」
(つるやはなまる・かめやだいきち)として翌年デビュー(後に2人とも大学を中退)。
福岡県をはじめとする九州・山口地方ではトップクラスの人気があり、全国デビューする前の
1995年にフジテレビ『めちゃ²モテたいッ!」』(『めちゃ2イケてるッ!』の前身番組)で
「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。
また、本格的な全国デビュー前も『爆笑オンエアバトル』に出演していた。

福岡吉本1期生で竹山隆範が同期に当たる。

2001年の第1回M-1グランプリでは11位となり決勝進出はならなかった。結成11年だったが
吉本興業の社員から「ええねん、ええねん」と言われ出場の要請を受け出場、しかし準決勝の
時点で主催者側から「10年を超えているのはやはり駄目」となり実質失格の扱いだった。
当時は敗者復活枠が無くこの時点で結成10年を超えていた為、次年度以降は出場出来ず、
これが最初で最後の出場となった。

2002年頃から東京進出が噂になり始め、当時吉本興業社長だった林裕章から直々に
「ぼちぼち福岡からも目玉を出さなあかんな。もちろん君らからや」と言葉を投げかけられる
ものの、直後に林社長が病に倒れ会長職に退いたことや、福岡吉本も一枚看板「華大」が
いなければ巡業などの仕事も減る為、この話は一度立ち消えとなった。

2004年4月、屋号を博多に変更した現在の芸名へ改名する。改名のきっかけは、姓名判断に詳しい
福岡事務所の女性職員から「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」と判断された事である。
その女性職員から「いい名前がある」と勧められたのが、現在の『博多』の屋号である。
またその女性職員から「屋号を博多に変えて2年以内に東京に行けば運気が上がる」とも
アドバイスされる。尚、改名に際し同じ「博多」の屋号であった木村進(三代目博多淡海)にも
報告し、改名を快く認めてもらったという。

2005年4月に3年越しの念願であった東京本社へ移籍。移籍後はルミネtheよしもとでの舞台
などが主な活動の場となっている。また、月に数回は福岡での仕事も出張として行っている。
しかし、テレビ局や制作会社には新人とみなされたため、東京進出直後はテレビ出演一本あたり
のギャランティは福岡時代より断然減っており、出演数をこなしているのでそれなりの
生活が出来ている状態であった。また、上京直後に初めて笑いの金メダルのオーディション
を受験した際、担当ディレクターが福岡出身でなおかつ学生時代から華丸・大吉のファンで
あったことから「お願いですから(たった1分の出演のために)こんなオーディション
受けないで下さい」と言われたことがあり、エンタの神様のオーディションにも落選している。
芸歴が長く場慣れしているため、この手のお笑い番組が求める新鮮さとは合わず、
当時はなかなか仕事がもらえなかった。

2005年10月、とんねるずのみなさんのおかげでした内のコーナー、博士と助手細かすぎて
伝わらないモノマネ選手権の第6回大会に華丸が出場、児玉清のモノマネで優勝し、
注目を浴びる(その後、第7回大会も優勝し、連覇する)。

2006年2月、『R-1ぐらんぷり』の決勝に進出。上記の児玉清のモノマネのネタで、華丸が優勝。
なお、この大会で披露したネタを作ったのは相方の大吉であり、裏方に回って華丸を支えていた。

2006年に、親交があるつんくが福岡で活躍していたタレントの出光加奈子と結婚したが、
紹介したのが華丸・大吉であった。華丸は「いつワイドショーが取材に来るか分からないから」
と髪を整えてずっと待っていたが、一切取材が無く終わってしまった。

長らく福岡で活躍していたため、東京進出まであまり視聴者には知名度が無かったものの、
福岡に仕事でやってくる芸能人・業界人とは親交が深い。華丸は藤井フミヤと飲み友達であり、
前述のつんくを始め、三沢光晴や下柳剛など各界に友人知人がいる。

また、福岡吉本出身の芸人の兄貴分的存在であり、多くの後輩から慕われている。
特にパンクブーブーとは交流が深く、彼らの実力と才能をいち早く見抜いた芸人の一人でもある。
確かな実力を有しながらもなかなか売れなかった彼らを不憫に思い、大吉は七夕の短冊に
「パンクブーブーに光が当たりますように」と書いたことがある。その年にパンクブーブー
M-1王者に輝いた。 一方、パンクブーブーも、華丸・大吉が東京進出して間もない頃は、
二人が早く東京や東京の芸人に馴染めるように色々と売り込んだり、心を砕いたりしていた
という。黒瀬は華丸のことを「お父さん」と呼んでいる。

R-1ぐらんぷり優勝後、よしもとからの扱いが変わったと本人達は述べている。
コンビ仲が非常に良く、仕事終わりで飲みにいくこともある。
カラオケに行った際には、締めは「青春アミーゴ」をデュエットするという。
大吉は生まれ変わったら華丸の息子になりたい。



【受賞歴】

2006年 R-17ぐらんぷり優勝 (華丸のみ)
2011年 THE MANZAI決勝進出


【パーソナルデータ:博多華丸】

本名、岡崎 光輝(おかざき みつてる)。
福岡県福岡市早良区出身。福岡大学工学部中退。

2006年R-1ぐらんぷり優勝。
司会の宮迫博之に「優勝賞金500万円のうち450万円くらいは児玉さんにあげなあかん」と言われ
ると、うなずきながらも「賞金はネタを一緒に考えてくれた相方と分けます。残りは中洲で
ボンバーします!!」と発言。相方の大吉は「嬉しい。けれど、賞金はもらえない」、2人で
「次はコンビで上方お笑い大賞を狙います」と大きな夢を語る。後日別の番組で華丸が
「2人で半額に分けることを提案したが大吉から却下され、『(華丸の)嫁にあげればいい』
と言われた」と語った。なお、同番組で大吉は、華丸が賞金をもらえないのはかわいそうなので
この250万円は相方のために使うと語っていた。

嘘がつけない性格で、ネタ作成で大吉から「医者の設定はどうか」と言われると、
「俺は医者じゃなか!」と言い、コンビにの強盗の設定を提案されると、「お前はそんな
事するような男じゃなか!」と言う。


【パーソナルデータ:博多大吉】

本名:吉岡 廣憲
兵庫県神戸市生まれ、福岡県古賀市出身。福岡大学経済学部中退。
ネタ作成担当。
芸人仲間から「大吉先生」と呼ばれている。

もともとコンビ仲が良かったが、アメトークの「相方大好き芸人」に出演してから
もう我慢しなくていいんだ、とさらにたかが外れたようで、飲みに行ったらなかなか
華丸を帰さなくなってしまった。
ナインティナインの岡村と仲が良い。
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