ブラックマヨネーズ

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所属事務所:吉本興業
メンバー :吉田敬(1973年6月27日生まれ・A型・ボケ)
       小杉竜一(1973年7月5日生まれ・0型・ツッコミ)


1994年、大阪NSC13期生の同期として出会う。同期に次長課長チュートリアル徳井、
野生爆弾などがいる。在学中から、小杉は「関西キング」、吉田は「ツインテール」と
いう別々のコンビを組んでいたが、小杉の元相方が結婚を期に引退。それをきっかけに
吉田が小杉を誘う形で、1998年にコンビを結成した。

小杉がコンビを解散してから、小杉の母親が「アンタ、吉田君と組み」ときっかけを作った。
その発言の後、吉田のコンビを組むプロポーズに小杉がOKを出した。また、2009年に小杉が
「やりすぎコージー」で明かしたところによると、当時、吉田とコンビを組んでいた
和田義浩が小杉が自分を気遣って、吉田とコンビを組むことを躊躇しているだろうと思い、
自ら小杉に吉田とコンビを組むように説得しに来たという。番組で小杉がその話をするまで、
吉田はそのことをまったく知らなかった。和田義浩は現在、放送作家をしており、
ブラックマヨネーズを裏方として支えている。

コンビ名は、日本のロックバンド「Mr.Children」のように正反対でアンバランスな意味の
単語を組み合わせたもの。マヨネーズという身近なものの名前を入れることで
「マヨネーズを見るたびに自分たちのことを思い出してくれたら」という願いも込められている。
ただし、当初はこの名前を吉本興業に申請した際、「ブラック」はイメージがいまいち良く
ないとして一時保留扱いとなっていたが、同時期にブラックビスケッツのヒットがあったため、
イメージが払拭されて話を通った事を明かしている。

2005年、第5回M-1グランプリ決勝に進出し、優勝。翌年2006年東京進出する。優勝直後、
他のM-1優勝コンビに比べて優勝後のメディア出演が少なかった(実は関西ですでに売れ始めて
いたため、すぐに東京に拠点を移せなかった)。2007年頃からはキャラも浸透し始め、
少しずつ全国区でのテレビ出演が増え、M-1覇者には珍しい「時間差ブレイク」を果たした
とも言われた。しかし、メンバーはこれに対してやや否定的であり、「関西での仕事ばかり
していただけ」「自分達では全力疾走してたけど周りからは歩いているようにしか見えて
なかったのかも」と振り返っている。

漫才は吉田のネガティブでやや屈折した世界観を持つ独特のボケに、小杉がツッコミを入れる
スタイルの正統派上方漫才。ダウンタウン松本は「どつかない、どつき漫才」と形容したことが
ある(正確には吉田が小杉をビンタしたことがある)。ネタ作成は吉田を中心に二人で行っている。

フリートークでのセンスは早くから認められていたものの、漫才やコントのネタになると途端に
勢いを失うため、実力を持ちながら売れずに終わることを心配されていた。しかし2005年頃、
「ラジオのフリートークのような漫才がやりたい」という吉田の提案で、吉田が1人でネタを
作る方法から2人の前にノートを置き、その場の思いつきを会話形式で書き込んでゆく方法に変更。
その結果、現在のスタイルが確立されていった。

「ハゲの小杉」「ブツブツの吉田」と、2人の特徴的な風貌はキャッチコピー化している。

大物芸人からの評価も高く、M-1優勝する前から目をつけていた人も多い。

コンビ仲がよく、吉田の携帯メモリのNo.0は小杉、小杉の携帯電話のメモリのNo.1は吉田に
なっている。吉田は小杉の代わりがいないという意味でNo.0、小杉は有事の際に一番に連絡を
取りやすいことからNo.1に登録している。東京の吉田の新居に小杉が遊びに行ったりすること
もある。ネタを中心に書いている吉田の気を遣い、小杉は吉田が休めるように月に一度大阪で
ソロライブをやったり、M-1優勝時は吉田に「賞金を折半してええんか?」と聞いてきたりなど、
優しさをのぞかせている。また、楽屋で2人きりでも、会話をよくする珍しいコンビであると
自ら認めている。恋愛に関する相談をお互いにする。

吉田にとっての優先順位は「弟>小杉>両親」だと語っており、「親と小杉が同時に溺
れたら小杉を先に助ける」とも語っている。

吉田が小杉にコンビ結成を申込みに行った際、吉田は母親の軽自動車を借りて小杉宅へ行ったが、
小杉宅には高級車が止まっており、「こいつ、すぐに芸人に見切りをつけるんちゃうか?」と
心配した吉田は、「コンビ解散を切り出したら3,000万円支払う」という誓約書を小杉に
書かせようとした。

小杉の髪の毛が薄くなり始めたころ、まだ気持ちが吹っ切れていなかった小杉は、楽屋で
先輩芸人たちにネタにされる度に芸人を辞めてやろうと何度も考えたことがあった。しかし、
吉田は小杉が「ネタにして笑いを取っていい。」と言い出すまで、楽屋ネタとしてはもちろん、
プライベートでも小杉の髪についてふれることは決してしなかった。小杉は、吉田のこの
気遣いに非常に感謝している。

『ビーバップ!ハイヒール』で、今言いたい事をボードに書いて見せるという企画が行われた際、
他の出演者が無難な内容を書く中、吉田は「小杉へ、いつもありがとう。お前のお陰で今の
俺がいる。本当にありがとう」と小杉への感謝のメッセージを書いた。

大阪時代、同じアパートの別の部屋に住んでいた。入居を決めた際、4階と5階に1つずつ空き
部屋があったが、そのアパートにはエレベーターが付いていなかったため、「吉田はいつも
ネタを考えてくれたりして大変だから、せめて1階分の上り下りだけでも楽をさせたい」と、
小杉は自ら進んで5階を選択した。吉田はそのことに感謝しているという。

2008年7月現在、仕事などでコンビでタクシーに乗る際は、後部座席に二人とも座るのではなく、
助手席と後部座席に分かれて座っている。理由は隣同士座るのが飽きたからと、後部座席の
「こんもり」している所にどちらが足を乗せるかで揉めたので小杉が助手席に座るように
なった。しかしその状態でも普通に会話はする。助手席に座っている小杉の携帯のメールの
内容を後部座席に座っている吉田がのぞいたりすることもよくあるという。

タクシーのお金を払うのは毎回小杉だが、吉田はタクシーを先に降りても建物の中には
絶対に入らず、支払いを終えた小杉を待って、「(払ってくれて)ありがとう」と声を掛けて
から一緒に建物に入る。このエピソードを聞いたフットボールアワーの後藤は、
「そんなんなかなかできないですよ」と驚いていた。

2011年9月現在、吉田は一度もコンビを解散しようと思ったことはない。小杉は、
ブラックマヨネーズとして最初の単独ライブに向けた練習で、吉田からの指示が厳しく、
また日によってコロコロ内容が変わることに嫌気が差し、「このライブ終わったら解散しようかな」
と一度だけ解散を考えたことがある。しかし、吉田の指示通りにやったライブの受けが
良かったため、思いとどまったという。]


2010年結婚した小杉の夫人は、吉田からの紹介で知り合った。吉田と夫人が呑んだ際、
夫人が小杉のファンである事を知り、紹介したのがきっかけだった。夫人は小杉を
「竜にゃん」、小杉は夫人を「ポコにゃん」と呼び合う仲。 後輩のNON STYLE・井上曰く
「お姉ちゃん関係だと異常に仲良しになる」。


【受賞歴】

1996年 第17回 「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」香川登枝緒賞
          (吉田のみ。「ツインテール」時代)
2002年 第23回 「ABCお笑い新人グランプリ」新人賞
2002年 第37回 「OBC上方漫才大賞」新人賞
2002年 第17回 「NHK新人演芸大賞」演芸部門大賞
2003年 第32回 「上方お笑い大賞」最優秀新人賞
2005年 第5回 「オートバックスM-1グランプリ」優勝
2011年 第46回 「OBC上方漫才大賞」大賞



【パーソナルデータ:吉田 敬】

京都府京都市伏見区出身、京都市立日吉ヶ丘高等学校卒業。
京都府京都市伏見区において、当時京阪電気鉄道の運転士で藤波辰爾似の父親(定年退職後は
不動産業を営み、自著も出版している)と、それより7歳年下で美人看護師の母親との間に長男
として生まれ育った。自分より9歳年下の弟がいる。中学1年生まで家庭の事情で親元を離れ、
祖父母に育てられた。

現在の顔のひどいブツブツは、当時中学生だった吉田がニキビに悩み、通販で「ニキビを消す
ローラー」を購入し顔中にローラーをかけたのがすべての始まりであり、後に吉田を
一生苦しめることになる。

高校卒業後の2年間は大阪でフリーターとして生活しており、パチンコ屋の店員、古紙回収業者
などの仕事を10件ほどを渡り歩いた。19歳の時、無頼な日々を送る中、当時、流行していた
テレフォンクラブを利用して知り合った姫路の「よし子ちゃん」という内田裕也似の
66歳の女性と関係を持ったことで、「このままやったらあかん」と思い、それをきっかけに
漫才師を志す。

翌年、吉本総合芸能学院 大阪校に入学するが、この時、「アケミ」というキャバクラ嬢に
入れ込んでしまい、消費者金融に100万円もの借金を背負ってしまう。と同時に、首の辺りに
巨大な瘤が出来たため、本人曰く「本当に首が回らない状態」だった。後に、
借金を全額自力で返済し、瘤も切除した。

高校時代の同級生の和田義浩と共に「ツインテール」というコンビ名でデビューするも解散。
和田は現在では放送作家としてブラックマヨネーズのライブに携わるなどしており関係は
至って良好。

その後、実家の京都に一時帰郷するが、1998年に前々から組みたいと思っていた元
「関西キング」の小杉竜一と「ブラックマヨネーズ」を結成し、現在に至る。

ブツブツの強面故か、一見怖い人と勘違いされやすいが、実際はかなり繊細な神経の持ち主で気が
弱く、心配性。また、とても真面目で優しい性格であり、多くの後輩芸人に「よっさん」と
慕われている。
M-1優勝以前に、仕事や8ヶ月間無休のストレスが重なり本気で自殺を考え小杉・弟・親・
当時の彼女に当てた遺書を書いていた。
漫才の中では、吉田がネガティブで心配症のキャラクターだが、プライベートでも心配症。
ブラックマヨネーズとしての方向性などを決めているのは基本的に吉田の役割。結成当初、
吉田のツッコミに関する細かい指示に小杉は鬱陶しさを感じていたが、指示どおりにやった
ほうが客の反応が、良くなることに気づき、指示を受け入れるようになる。また、
小杉は吉田の番組や舞台に対する意気込みを、「お笑い根性がある」と評している。
小杉が結婚した際、婚姻届の証人になった。
上述の通り後輩からは慕われているが、無名時代は社交性に乏しく親しい先輩が殆どいなかった
(相方の小杉は、サバンナの高橋やたむらけんじから可愛がられていた)。そんな中、
陣内智則は吉田を非常にかわいがっており、大阪時代には多くのエピソードがある。
当時の大阪では、吉田の後輩だったロザンの菅広文が女性から圧倒的な人気があり、服装も
お洒落であった。しかし吉田は全くファッションに無頓着でいつも同じブルゾンを着ていたため、
見かねた陣内がクリスマスの夜に吉田を呼び出し、「これでちゃんとした服を買え」と
4万円を渡してジュンメンでジャケットを購入。それまで着ていたブルゾンは、ホームレスに
プレゼントした。この出来事の後、陣内は吉田に対し「俺に感謝してるか?感謝してるなら
その証拠に、お前のメールアドレスを変えろ」と要求し、吉田はメールアドレス変更を
余儀なくされた。アドレスには、陣内への感謝の言葉や、ジュンメンという単語が
散りばめられているという。
陣内が当時の彼女と食事をする際、吉田も同席することが多く、陣内は彼女から
「私と吉田さん、どっちが大事なの?」と本気で言われたことがある。
吉田は何かあるとすぐに陣内に相談しており、陣内は吉田の「兄さん、ちょっと聞いて
くださいよー」という声を聞くと、思わず顔がほころんでしまい、「僕のホンマの笑顔を
知っているのは、吉田だけかも知れませんね」と語ったことがある。

ブラックマヨネーズを結成した当初、スキンヘッドにしていたことがある。
M-1グランプリ優勝した当日に当時付き合っていた彼女に振られた。その数年後、その彼女から
結婚の報告が入った。



【パーソナルデータ:小杉竜一】

京都府京都市出身。京都府立桂高等学校卒業。
イジリに対する切り返しは「打てば必要以上に響く」と評され、共演経験のあるお笑い芸人や
スタッフからは「業界内では高い評価を得ているが、世間では小杉の凄さがあまり知られて
いない」と言われている。

フリートークでのツッコミは、ラジオ番組『ゴー傑P』で小籔千豊や笑い飯に「小杉がいるのと、
いないのとでは場の空気が変わる。あの人のツッコミがあると安心する」と賞賛されている。
『ロンドンハーツ』の企画「芸人リアル好感度調査」では同じM-1チャンピオンの
チュートリアル両名と、アンタッチャブル柴田英嗣から「(その実力が)羨ましい芸人」
に挙げられた。理由としては「ツッコミの速さと、言葉の選ぶセンスの良さ」など。

『アメトーーク』の人気企画である「芸人ドラフト会議」においても、第1回目から第3回目
まで全てドラフト1位で指名(第1回目はドラフト1位で重複)されている唯一の人物であり、
芸人からの評価の高さがうかがえる。

『しゃべくり007』出演時に相方の吉田よりNSC時代から「こいつツッコミめちゃくちゃ
上手いな」と思われており、当初別々のコンビだった二人が後のコンビ結成のきっかけになった。
吉田曰く「なんでやねん、の使い分けが巧みだった」。

生粋のツッコミ芸人である浜田雅功を尊敬し、彼のようなツッコミ芸人を目指していると
数々の番組で発言しているが、現在バラエティ番組での需要はボケに偏りつつある。

2009年4月18日放送の『土曜はダメよ!』の中で、藤井隆にマイケル・ジャクソンのモノマネを
無茶ぶりされた時に、とっさに出たものが代表的な持ちネタの「ヒーハー!」である。その後、
『もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ!』の企画「帰れま10」において、
「ヒーハー!」の文字とカウボーイ風男性のイラストがプリントされているTシャツが
1万枚限定で作られた。このギャグを本人はいたく気に入っており、様々な番組で使用、
爆笑を誘っている。このギャグをダウンタウン浜田雅功はあまり良くは思ってないらしく、
『ダウンタウンDX』などの、テレビ朝日系列局以外で共演すると必ずと言っていいほど、
「お前、テレ朝以外でヒーハー! 言うなよ」と釘を刺されてしまう。

25歳からタバコを吸い始めた。だが喉が痛くなったので、現在は吸っていない。
B'zのファンであり、特に稲葉浩志の大ファン。金属アレルギーにもかかわらず彼と同じ
ネックレスを着用したり、NON STYLE・井上に「稲葉さんに会わせてくれたら1億円やる。」と
本気で相談したほど。また、好きすぎるが故に稲葉の実家に行って「吉本で芸人をしていて
稲葉さんの大ファンです」と自己紹介し、稲葉家に歓迎された。その際、なぜか稲葉の実家に
自分のサインを置いて帰ってきた。
大阪のテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」の常連客
漫才中に集中力を無くすことがあり、女性の観客の胸元に目がいって、台本をきれいに一行
ずつ飛ばしたり、オチを先に言ってしまったりすることがある。
M-1グランプリ優勝の瞬間、吉田と握手を交わしている。これは2002年にますだおかだが
M-1で優勝を決めた際に握手をしていたのを見て、「俺もM-1で優勝したら、相方と握手しよう」
と思っていたから。
父親は失踪しており、父親との記憶があまり無い。また乗り捨てられた父親の車が発見された際、
車のドアが半開きだったため、半開きのドアが嫌いになった。
母親はダイエットの先生をしており、息子の体型が営業妨害になると言っている。


2010年11月12日、吉田の紹介で知り合い、約2年前から交際を始めた14歳年下の大阪府の
元歯科助手の女性と11月7日に婚姻届を出していたことを発表。同時に女性が妊娠4ヶ月で
あることも発表された。

2011年4月25日に、第一子となる男児が誕生した。

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