東京ダイナマイト

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所属事務所:吉本興業
メンバー  :松田大輔(1977年3月2日生まれ・O型・ボケ)
        ハチミツ二郎(1974年11月20日生まれ・O型・ツッコミ)


ハチミツ二郎が20歳の頃、パチンコ店で店員をしていた曽根卍(そねまんじ)と知り合い、
初代「東京ダイナマイト」を結成。新宿ラ・ママのオーディションで初舞台を踏む。
1997年10月、浅草キッド主催のライブ、浅草お兄さん会で優勝。その後も浅草お兄さん会と
大川興業主催のライブ「すっとこどっこい」にレギュラー出演。しかし、ハチミツが社長を
務めていたインディーズのお笑い事務所「トンパチ・プロ」の低迷期に初代は解散した。

新しい相方を探していたハチミツが、元「温泉こんにゃくアクロバットショー」の松田と知り合い、
松田が以前より「(ハチミツと)コンビを組みたい」と考えていたことから意気投合。
「トンパチプロ」の解散宣言と同時にコンビ結成を発表し、2001年、新生「東京ダイナマイト」が
スタートした。それに伴いマネージメントがオフィス北野預かりとなり、これと前後して
浅草キッドと師弟関係を結んだ。

結成3年目の2004年、M-1グランプリで決勝に進出し、全国区の知名度を獲得した。
以後ゴールデンタイムのお笑い番組などにも出演して活躍を続け、当時の事務所の大先輩であり
大師匠(師匠の師匠)に当たるビートたけしからは「ようやくウチから商品になる奴が出てきた」
と高い評価を受けていた。

2008年6月20日をもってハチミツがオフィス北野を退社した。松田は広告契約の関係からすぐには
退社できないが、2009年3月に退社することとなった。

2008年9月5日にオスカープロモーションとマネジメント契約をした事を発表したが、
2009年3月15日付でそのオスカーからも退社。松田も3月をもってオフィス北野を退社した。
オスカー退社の理由は「M-1グランプリで4年連続準決勝敗退に終わったことが相当悔しかった」
ため「武者修行の旅に出たい」とのことで、オスカー側も「温かく見守ってあげたいと思います」
と円満退社である旨コメントしている。

2009年4月からは、そろってフリーとなる。また、同年より、よしもと浅草花月を中心に、
よしもとクリエイティブ・エージェンシーの直営館への出演が増えており、
なんばグランド花月にもゲスト出演を続けていた。

2009年、よしもとクリエイティブ・エージェンシーへ所属する事を発表した。ただし
ビートたけしは「吉本に行ったら新人扱いになっちゃうから、ハチミツ二郎は店をやったり
いろんなことやってるからいいけど相方がかわいそう」とこの移籍には否定的な見解を示している。

コンビ名は、ニューロティカの楽曲『東京DYNAMITE』からとったものである。
オフィス北野所属のタレントにはビートたけしが芸名をつけることが多いが、たけしは
その場の気分でふざけた名前を付けることも多いため、「ひどい名前をつけられたら
たまんないから」と自分たちで勝手につけた名前。
「同業者向けにネタを作っている」と公言しており、世間的な評価よりも芸人間での人気や
評価が高いコンビでもある。「東京ダイナマイトのネタを袖で見ている芸人は売れる」という
ジンクスまであり、2007年にサンドウィッチマンが、2009年にパンクブーブー
M-1グランプリで優勝しそれを実証することになる(両者とも東京ダイナマイトの袖芸人)。
パンクブーブーのネタ作成担当・佐藤は、ルミネのスタッフに頼んで東京ダイナマイトの
ネタ部分だけを自分用にダビングしてもらっているそうである。
東京ダイナマイトは2010年2月10日のブログで、「もしかしたら、パンクブーブーと一緒に
俺のネタを袖で見ていたあべこうじもR-1とるかもな」とコメント。それから一月も経たないうちに、
その言葉は現実のものとなった。

ブログ内で「自分たちはテレビの笑いを否定するライブ芸人」と述べていたり、舞台に対する
熱い思いを綴っていることも多く、現在のお笑いブームに対しては否定的なスタンスであるらしい。


【受賞歴】

2004年 M-1グランプリ8位
2009年 M-1グランプリ6位



【パーソナルデータ:松田大輔】

岐阜県揖斐郡大野町出身。
趣味は、野球、サッカー、釣り。特技は、スノーボード。
ハイテンションでシュールなボケが特徴。

元々、青木さやからと温泉こんにゃくアクロバットショーという5人組のユニットを組んでいた。
東京ダイナマイトの相方ハチミツ二郎とは、青木が松田を紹介する形で知り合った。
東京ダイナマイトのコンセプトに合わなかったため実現しなかったが、青木は自分も加わり
トリオでやりたかったという。また、収入が無かった頃、ハチミツ二郎とともに青木ファンに
青木の下着を売ろうとしたことがあるが、そのファンが拒否した。

2007年6月5日、ロシア人の血を引くクォーターの一般人女性と結婚。
同年12月6日、第一子である男子が誕生。
2011年10月、離婚。

親は借金がかなりあるらしく、息子に被害がいくと心配され離婚すると伝えられていた。
しかし2005年12月5日放送の『お台場明石城』の「さんまの授業参観ラボ」で、松田の両親が
出演した際、やはりまだ離婚していないことを伝えられた。それでも借金はあるようだが、
父親は息子がテレビに出演するだけで大金が入ると思っているらしく、現在仕事を休業している。

マザコンである。名古屋の番組の収録時、カメラのテープチェンジの間に、観覧に来ていた
母親のもとに行き、膝枕で耳かきをしてもらったという。また、東京に来てから一度も美容院に
行ったことがなく、実家に戻り母親に切ってもらっている。
母親とともに漫才を何回か披露している。

【パーソナルデータ:ハチミツ二郎】

本名、高野 二郎
岡山県倉敷市出身。
クールなツッコミで松田のボケを見事に受け流す。
趣味は、睡眠、格闘技、握手。
お笑いプロレス団体西口プロレスの所属レスラーとしても活動している。

東京NSCの1期生であり、品川庄司と同期。
浅草キッド主催の『お笑いリングス』で活動開始、その後インディーズのお笑い事務所
「トンパチ・プロ」の社長を務めていた。その頃に、曽根卍と(初代)東京ダイナマイトを結成。
また、当時ハチミツ主催のライブにたびたび出演していた猫ひろしの名付け親でもあり、
猫ひろしのネタやプロフィールはほとんどハチミツが考えたものである。お笑い芸人の傍ら、
AV男優として出演していた時期もあり、その時も芸名は変えていなかった。
2001年、(二代目)東京ダイナマイトを結成。オフィス北野にマネジメント預かりという形で
所属する。一時期、浅草キッドの付き人をしていた。
2005年7月の『M-1Dynamite』という日比谷野音で行われた単独ライブの際にエンディングで
元々持っていた椎間板ヘルニアが悪化。そのまま8月5日に入院。8月14日に立ち始め8月20日に
退院した。予定よりも2週間早い退院だったらしく周りの人々に「凄い、凄い!」と言わせたほど
超人的なスピードだった。また高血圧でも入院したことがある。
自称『日本一もてる肥満体』。

2008年6月20日、オフィス北野を退社
2008年9月5日、オスカープロモーションとマネジメント契約
2008年11月5日に鍋料理店「Dining二郎」を開店した
2009年3月15日、オスカープロモーションから退社、相方松田も3月でオフィス北野を退社した。
2009年4月、コンビ揃ってフリーとなる。
2009年8月24日、公式ブログで、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。

メキシコにてプロレスラーのライセンスを習得した。
2010年8月3日、元メロン記念日・斉藤瞳との入籍。
2011年10月14日、2011年8月に離婚していたことが報じられる。

かなりの酒豪で一時期は毎日10ℓ以上ビールを飲んでいたらしい。しかし最近は体に気をつけて
グラス2杯程度にしている。
同じ岡山県出身というのもあってか千鳥のノブとはM-1グランプリで知り合って以降仲が良い。同
じくM-1以降、笑い飯の哲夫とは2人で飲みに行くくらい仲が良くなった。

『二郎会』という芸人仲間があり、部屋や店に集まり宴会を行い鍋などを振る舞っている。
主なメンバーはサンドウィッチマンの伊達みきお、タイムマシーン3号の関太、
超新塾のDRAGONタカヤマ、末高斗夢、U字工事
猫ひろしが一時期、付き人をしていたことがある。
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