キャイ~ン

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所属事務所:浅井企画
メンバー  :ウド鈴木(鈴木 任紀・1970年1月19日生まれ・AB型・ボケ)
        天野ひろゆき(天野 博之・1970年3月24日生まれ・A型・ツッコミ)


2人共にお笑い芸人として浅井企画に入る。同い年だが、ウドの方が一年先に事務所入りしている。
当初はそれぞれ別々にコンビを組んでいたが、解散・単独活動を経て、山中伊知郎の助言に
より1991年にキャイ〜ンを結成。捕らえ所の無いウドのボケと、それを転がす天野の
コンビネーションにより、キャイ〜ン独自の笑いのスタイルを作り上げる。

ネタは天野が全て書いている。天野曰く「ウドならこう言う」とイメージしながら製作している。
結成当時、時事ネタの「爆笑問題」とボケの玉袋筋太郎のバカキャラが売りの「浅草キッド」が
最も勢いのある漫才師で、天野はその中間を狙い難しい時事ネタをウドというバカキャラを
通して解りやすく伝えるということが根底にネタを書くとのこと。またウドがネタの
覚えが悪いため、ネタ中のフリのほとんどは天野が行っている。

コンビ名は漫画「マカロニほうれん荘」に出てくるキャラクターのセリフからとったもので、
天野が命名。「〜」の部分だけウドが考えたという。その時のコンビ名候補としてウドは
「ヒトエーズ」(二人とも目が一重だから)を推していた。

初舞台の時だけは「チャネリングファック」という適当につけたコンビ名を名乗っていたが、
この名前ではテレビには出られないことに気づき、コンビ名をつけ直すことにしたという。

ウドの天野に対する溺愛ぶりが有名で、「お笑い界一仲の良いコンビ」と称される。
さまぁ〜ずの三村マサカズからも「デビューからこれだけ変わらないコンビも珍しい。」と
言われるほど仲が良い。

デビューしたての頃にテレビで競演したことがきっかけで出川哲朗と親しくなり、今でも
「隊長」と呼び、自分たちのことを「出川ファミリー」と称するほど慕っている。

明石家さんまのことを「師匠」と呼び慕っている。関根勤主催のライブ
「カンコンキンシアター」に出演した際には毎年さんまがダメ出しに来ており、そのダメ出しを
二人していつも楽しみにしているようだ。

ブレイクした時期が近いナインティナインやよゐことは仲が良い。

所属事務所は違うもののウッチャンナンチャンは師匠的な存在とされ、共に慕っている。
内村光良を「師匠」、南原清隆を「兄貴」(主に天野)と呼ぶことも多い。明石家さんまや
笑福亭鶴瓶など師匠と呼ぶことは多いが、兄貴と呼ぶのは南原だけである。

「キャイ〜ン」の言い方だが、初期はキャイ〜ンポーズをする瞬間に言っていた。
しかし2000年代に入り、「キャ」と「イ〜ン」のあいだに間を置くようになり、「
イ〜ン」を言いながらキャイ〜ンポーズをするようになった。現在では「キャッイ〜ン」と
いう感じである。


【パーソナルデータ:天野 ひろゆき】

本名:天野 博之(読み同じ)。愛称は天野っち(アマノッチ)。
愛知県岡崎市出身。愛知教育大学附属高等学校、日本大学国際関係学部国際文化学科卒業。

お笑い芸人になろうと思い、所属している浅井企画の広告を見てとりあえず電話したところ
即OKをもらった。「芸能界って簡単!」と思ったという。しかし萩本欽一には
「お前売れない。ウドはいいけど」と言われ、その言葉に対抗すべく努力したという。
『3年B組金八先生』シリーズで直江喜一が演じる加藤優が好きで、1995年には第4シリーズの
生徒役のオーディションを実際に受けたが落選した。
キャイ〜ン結成前に『コンビ解消』という名のコンビを組んでいた。そのときの元相方
とは今でも親交がある。
デビュー当時、自分が「芸人」ということにこだわりがあり、アイドルのようにキャーキャー
言われる吉本印天然素材メンバーやよゐこが嫌いだった(本人談)。しかし、よゐこの
有野晋哉が楽屋で漫画『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』を真剣に読んでいるのを見て「
いい奴かも」と思ったのがきっかけで、よゐこと仲良くなる。また天然素材メンバーだった
ナインティナインとも、何度も共演することで仲良くなっていった。

もともとは声優を目指していたが断念。しかし、『ウリナリ』にて『ウリナリ声優部』の
部長になり、『金曜ロードショー』では『マーヴェリック』の吹き替えで声優デビューを
果たした。しかし後に、学校の先生がやたら通知表に「天野君は声がいい!」と書くので
「声優になりたい」と言っていただけで、実はそんなになりたいわけではなかった。

コンビを結成した最初の頃は眼鏡を掛けておらず、顔に特徴をつけるため眼鏡を付けるよう
になった。最初はフレームが透明な特殊な眼鏡をかけていたが、1996年末頃に眼鏡を黒ぶちの
ものに変えた。視力は実際に悪く、黒ぶち眼鏡になった後も1998年までは眼鏡にレンズが
入っていたが、現在はレンズが入っていない伊達眼鏡をかけている。レンズをはずした理由は、
写真撮影の際にレンズが光を反射したために撮り直しになるのが面倒だから。
伊達眼鏡に変えた後はコンタクトレンズを使用していたが、レーシックを受けたことを明かした。
視力は0.06から1.5に回復しているとのこと。


【パーソナルデータ:ウド鈴木】

本名:鈴木 任紀(すずき ひでき)。
山形県出身。山形県立庄内農業高等学校卒。
柔道初段。芸名の「ウド」は、名付け親である「夢麻呂」という芸人が「体だけ大きくて何も
役に立たないウドの大木だな」と言った事から命名。

1990年、山形から出てきたウドは浅井企画に飛び込みで面接を受けに行き、門前払いを
食ったが、何も当てがなく東京に知り合いもいないため、事務所にいた「夢麻呂」という
芸人が面倒を見る事となる。その後、夢麻呂座長の劇団「TEAM童里夢」
(現YANKEE STADIUM 20XX)で初舞台に上がる。
その劇団には岡元あつこもいたため、同じ舞台に上がっていた事もある。
ピン芸人として活動していたが、1991年、お笑いプロデューサーの山中伊知郎の進言により、
天野ひろゆきとともにお笑いコンビキャイ〜ンを結成。ボケを担当。ビートたけしとの共演
などで人気が爆発する。関根勤が座長を務めるカンコンキンシアターではピン時代から
注目されていた。
2002年11月1日未明に東京・新宿区歌舞伎町の繁華街で若者と殴り合い、書類送検された。
友人が危害を加えられたため、やむを得ず実力行使に至ったとされる。
2004年より同年プロ野球に参入した東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉創立会員(会員No.10)となった。
2006年4月12日に2歳下のソムリエをしている女性と結婚(入籍)。
2007年2月23日山形県知事(斎藤弘)より山形の観光大使にあたる『おいしい山形大使』に
任命される。山形県の特産品のPRのため。
2007年4月13日東京・港区台場フジテレビ本社前の交差点でウドが運転する車で青信号で直進
したところ、対面車線から信号無視で右折しようとした車に衝突され、その車を運転していた
50代の女性が負傷した。ウドにはケガは無かった。事故発生直後の現場をフジテレビのカメラに
中継され、女性の運転席に駆けつけて謝罪するウドの姿が捉えられた。当初、この女性は
ウド側が信号無視をしたと主張、意見が対立していたが、その後、「前方不注意」だったと
主張を覆したために両名ともに書類送検され、5月23日に起訴猶予処分が下された。

お笑い界一相方を溺愛しており、キャイ〜ンは「芸能界一仲の良いコンビ」と呼ばれる。
「60代でも若過ぎる」と発言する程の、かなりの熟女好き。
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