劇団ひとり

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所属事務所:太田プロ
メンバー 劇団ひとり・ピン芸人・1977年2月2日生まれ・A型


本名:川島省吾
千葉市出身。
父親の仕事が日本航空パイロット(母は元客室乗務員)だった関係で、小学校2年から5年まで、
米国アラスカ州アンカレッジに住んでいた帰国生徒。ただし現在の英会話能力は、日常会話程度
であると自認している。
市立中学校卒業後、金剛学園高等専修学校(現・桜林高等学校)に入学後数週間で中退、
同年に編入扱いで千葉県立京葉工業高等学校(機械科)に入学するが(理由は「学ランを
着たかったから」らしい)1年弱で中退後、千葉県立船橋高等学校定時制普通科卒業。
高校生活は計5年間になる。当時はヤンキーだった。その後は東放学園専門学校に入学。
放送芸術科に在籍し、芸能活動と並行していた。1999年に同校を卒業。

高校1年の1992年に、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』内のコーナー「お笑い甲子園」に、
「バーテックス」というコンビを組んで出場。その後は太田プロダクションに所属しデビュー。
事務所の同期には有吉弘行がいる。
太田プロに入ってからは、一時代子役として活躍した経歴のある劇団日本児童出身の秋永和彦と
お笑いコンビ「スープレックス」を組み漫才を展開。しかし、『ボキャブラ天国』
『進め!電波少年』で、太田プロがU-turnや猿岩石などのグループをメインに売り出していた
ことや、川島自身の遅刻・ドタキャン癖が影響し、ブレイクの機会を逸したまま2000年5月に
秋永の借金による蒸発を理由にコンビを解散、川島はピン芸人として再出発することとなった。

その後はライブや『新しい波8』『完売劇場』などのテレビ番組に出演。2004年2月
『めちゃ²イケてるッ!』の「笑わず嫌い王決定戦」に出演以降、メディアでの露出が次第に増える。
また、俳優としてテレビドラマや映画などに活躍の場を広げる。



元々コンビを組んでいたが解散してピン芸人になったので、優香を真似てネットで芸名公募し
「カツカレー」という芸名にしたが事務所から「これじゃ未来が見えない」とNGになった。
続いて「波打際立夫(なみうちぎわたちお)」という芸名にしたが、これも同じ理由でNGだった。
そのためデンジャラスの安田和博に相談したところ「好きな俳優とかいる?」と聞かれ
ロバート・デ・ニーロが好きと答えると「炉端出二郎(ろばたでにろう)」と付けられた。
これもNGになり次には自分で劇団ひとりという芸名を決めた。


猿岩石は、同じ日に太田プロ入りし地方営業など一緒にまわることが多かった。猿岩石が
大ブレイクした『進め!電波少年』のヒッチハイクのオーディションには劇団ひとりも参加した。
このオーディションには他にバナナマン、TIMら、多くの芸人が参加したが、
番組プロデューサー・土屋敏男はTake2にするつもりだったが、所属事務所から断られ、
しょうがなく猿岩石にしたと話している。劇団ひとりは「猿岩石の人気が日に日に増して
いくと共に、嫉妬心も増幅した」と話している。
友人で先輩の長井秀和がブレイクするきっかけとなったフレーズ「間違いない」は、
もともと劇団ひとりが長井のものまねをする際に加えたものである。それを聞いていた
長井本人が気に入り自らのネタに用いるようになった。
仕事上のプレッシャーに弱いと自覚している。
バナナマンおぎやはぎアンタッチャブル柴田と仲が良い。

笑っていいとものコーナーで『レモンの早食い』と『ニンニクの早食い』のギネス記録を取得した。
嵐の相葉雅紀は地元が同じで中学の後輩である。
ルービックキューブが得意。
女性K-POPアイドルの大ファンで、特にKARAが好き。

2006年 小説『陰日向に咲く』で小説家デビュー(2008年1月、実写映画化となる)。
2006年 ザ・ヒットメーカーの出版部門を受賞。
2006年 「最も万年筆が似合う著名人」に贈られる「万年筆ベストコーディネート賞2006」を受賞。
2007年 「第44回ゴールデン・アロー賞」放送賞(バラエティ部門)を受賞。
2007年 エランドール賞新人賞を受賞。
2009年2月17日、大沢あかねと婚姻届を提出。
2010年9月8日、第一子となる女児が誕生。
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