ドランクドラゴン

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所属事務所:人力舎
メンバー  :塚地武雅(1971年11月25日生まれ・A型・ ボケ(たまにツッコミ)担当)
        鈴木 拓(1975年12月7日生まれ・A型・ ツッコミ(たまにボケ)担当)


2人は人力舎の養成所であるスクールJCAの同期生として出会い、1996年に結成。その当時、
鈴木は常にスーツを着ていた。授業中に講師が話していた時、鈴木だけは他の生徒と違う反応を
していたため、期待してコンビを組む。しかし、鈴木はただ単に聞き流していただけだったこと
がわかり後悔した。
初舞台は同年8月7日渋谷公園通り劇場。
コンビ名はカンフー映画「ドランクモンキー 酔拳」と「燃えよドラゴン」を組み合わせた
ものだが、当時第一線で活躍していたダウンタウンやウッチャンナンチャンのように、
「同じ語韻を繰り返す名前の芸人は成功する」と言う芸能界のジンクスにもあやかれるように
うまく絡めている。実は、塚地は鈴木とコンビを組む以前に、別の人とコンビ
「ドランクドラゴン」を組んでいた。

2000年「新しい波8」に出演したことから、翌年「はねるのトびら」のレギュラーに抜擢される。
また、それ以前から「爆笑オンエアバトル」にも出演して好成績を挙げている。
はねるのトびらでの人気上昇を受け、塚地が2003年1〜3月に月9ドラマ「いつもふたりで」に出演。
また同年から「エンタの神様」でコントを披露するようになり、ブレークを果たす。

ネタは主にコント。塚地演じる様々なイタイキャラクターが、一般人を演じる鈴木を振り回す。
極稀に役割が逆転する場合は、天然な鈴木に塚地がひたすらツッコミをいれる漫才風味のコント
になる。この場合のシチュエーションは、塚地が保護者やコーチといった立場で、鈴木は子供や
弟子といった具合である。また、「下町の馬鹿親子」といったネタでは、ダブルボケを行う
こともある。ショートコントも行うことがある。

ネタ作りは塚地が行っており、鈴木が台本通りにツッコむ。しかし、せりふを覚えられないため
鈴木のミスによるアドリブが起こることも多々ある。



【パーソナルデータ:塚地武雅】

大阪府阪南市生まれ、大阪府立佐野高等学校、桃山学院大学経済学部卒業。
趣味はフィギュア収集。幼少時代から現在に至るまで、特撮ヒーローものの大ファンである。
ももいろクローバーZの大ファン。
大学時代は痩せていてモテたと言い張っている。大学卒業後は、仏壇メーカーの八木研に就職し
営業を担当していた。家族の猛反対を受けながら24歳でお笑いを志し、事務所の養成所
(スクールJCA)に入学。そこで相方の鈴木拓と出会い1996年にコンビを結成する。
芸人を始めた年齢が遅く、北陽やアンタッチャブル等、年齢は下だが芸歴では先輩であるため
敬語を使う仲間が多い。

2003年頃から俳優としても注目を集め、2004年日本テレビで放送されたドラマ『仔犬のワルツ』
ではお笑いのイメージとは正反対な悪役を好演した。2006年公開の映画『間宮兄弟』
(江國香織原作)において、佐々木蔵之介とのダブル主演に抜擢された。なお、共演した
佐々木は塚地の演技を「味のある演技が本当に良い」と絶賛している。その後、フジテレビの
特別ドラマ『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』で山本圭一(杉本春男役)
の代役(撮り直し)を務めている。さらに2007年、芦屋雁之助亡き後途絶えていた
テレビドラマ版『裸の大将』の山下清役に大抜擢される。同作は続編が定期的に制作されている。

コントでは数々の個性的なキャラクターを演じ分ける「憑依芸人」と呼ばれるタイプ。
また引き出しの多さから一発ギャグの宝庫を思わせる多彩な才能の持ち主。


会社を退職してから上京するまでの間はろくに家を出してもらえず、近所には「公務員になる
ための勉強をしている」ということにされていた。食事も他の家族がステーキだったにも
関わらず、塚地はチキンラーメンだったなど家族から冷遇されていた。特に、父親からは
未だに完全には認めてられておらず、テレビを見て「男が女の格好(ネタでの女装)をするな」
「鈴木君の失敗話じゃなくいい話をしなさい」などと言われたこともある。

【パーソナルデータ・鈴木 拓】

神奈川県綾瀬市生まれ、神奈川県立綾瀬西高等学校卒業、上武大学商学部中退。
趣味は釣り。グレイシー柔術の使い手だが骨が弱く度々骨折するなど軟弱で、ヘルニアを患って
いた時期があった。
さかなクンとは中学・高校の同級生。
実家は海老名市で居酒屋「黒兵衛」を経営している。
高校卒業後に警察官、教習所教官などの試験などを受けるが就職することができなかった。
コネの関係で消防士の試験に99%受かるはずが、三段跳びが全くできないなど成績があまりに
酷く合格できなかった。上武大学商学部に入学したが、1か月で中退した。

書店で立ち読みした本に「簡単になれる職業(最高が星五つのランク付けで星一つ)」として
お笑い芸人が挙げられていたことから芸人を志す。スクールJCA5期生として入所。当初は男性3人、
女性1人からなるカルテット「4人組」を組んでいたが、メンバーの男性の1人と女性が男女の
関係となり、残った1人の男性ともそりが合わなかったことからカルテットを解消した。
その後、鈴木の消極的な性格を、「お笑いを目指しているのに執拗に前に出ない、センスがある」
と勘違いして誘ってきた塚地と1996年にコンビを結成した。

何かあるとその人の名前を叫ぶ「ラジオツッコミ」が得意。名前の由来は、何かやった人の
名前を呼ぶので音声だけのラジオでもわかりやすいことから。

塚地がレギュラー出演するドラマでゲスト出演することが多い。

鈴木は2002年に『はねるのトびら』で彼女に強制的にプロポーズさせられたことに始まり、
両親が経営する居酒屋など私生活ネタが番組で紹介されることが非常に多かった。しかし本人は
嫌がっており、2003年の挙式や2004年に長男が産まれたことは番組スタッフはおろか塚地や
マネージャーにも話していなかった。

以前まではピンでの活動のギャラも折半していた。しかし2011年に入ってからは、ギャラの
折半はなく歩合制にされている。

アンガールズの田中によると、『潜在異色』に出演して以来芸人観が変わったらしく、事務所の
ライブでピンのネタを作るなど、お笑いに積極的になってきている。
本人は雑誌のインタビューで「13年目にして、胸を張って『芸人です』と言えるようになった」
と答えている。

仲の良い芸人はロバート山本やアンガールズ田中など。
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