ペナルティ

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所属事務所:吉本興業
メンバー  :ヒデ(中川秀樹・1971年4月7日生まれ・O型・ツッコミ)
        ワッキー(脇田寧人・1972年7月5日生まれ・B型・ボケ)


2人は同じ高校のサッカー部の先輩、後輩にあたり(ヒデが1年先輩)、1994年に元々芸能界に
憧れていたヒデがフリーターをしていたワッキーを誘いペナルティ結成。
銀座7丁目劇場のオーディションに受かりデビュー。同期にロンドンブーツ1号・2号など。
当初はともに本名で活動していたが、2003年頃から愛称である「ヒデ」「ワッキー」を芸名と
している。
長い下積みを経て、「爆笑オンエアバトル」や「ノブナガ」(CBCテレビ)の“地名しりとり”
への出演などで大きく知名度を上げ、めちゃイケのコーナー笑わず嫌い王決定戦に出演した
ことがきっかけで遅咲きながら大ブレイクした。ワッキー曰く「僕らをここまでさせてくれた
のは『めちゃイケ』であり、岡村さんがおもろいと言ってくれたからこの地位まで来ることが
できた。ナイナイさんは師匠みたいなもんだ」と発言している。

元々はヒデがボケで、ワッキーがツッコミであったが、周囲の助言により役割を逆転させている。

正式名称は「ペナル茶」である。18年間事務所から「ペナルティ」という名前を推され、
ずっと日の目を見なかった。


【パーソナルデータ:ヒデ】

本名:中川 秀樹(なかがわ ひでき)。
千葉県船橋市出身。専修大学法学部卒業。

船橋市立船橋高等学校ではサッカー部に所属し2年生からレギュラーとして第67回全国高等学校
サッカー選手権大会準優勝とインターハイ優勝を経験、専修大学でもサッカー部でプレーした。
相方のワッキーとは市船のサッカー部で出会い先輩後輩の間柄である。

専修大卒業時に、Jリーグ・横浜フリューゲルスからスカウトを受けていたにも関わらず、
「サッカー以外の仕事がやりたい」と辞退し、後輩のワッキーを説得して銀座7丁目劇場の
オーディションを受けて合格したことでお笑いの道に進んだ。サッカーを辞めてお笑いに
進んだ理由についてヒデは「人を楽しませることは好きで、同級生の前でやっていたネタを
他の人たちの前で披露してみたかった」と述べている。

2007年7月7日に6歳年下の音楽関係の女性と結婚。
2009年1月に「しゃぶしゃぶ秀久」を開店(プロデュース)した。

性格が真面目であり、芸人らしくない芸人といわれる。倹約家。


ガレッジセールの川田広樹とは仲がよく、テレビ番組出演時でもセット扱いだったり、たまに
ツッコミが同時になるなど、息がぴったり合う。川田は「コンビ別々にして何ならヒデさんと
組みたい」とのこと。ヒデは川田のことを「広樹」と下の名前で呼んでいる。


【パーソナルデータ:ワッキー】

本名:脇田 寧人
千葉県市原市→愛知県津島市→北海道釧路市→千葉県船橋市と父親の仕事の都合で引っ越しを
繰り返す。専修大学経済学部中退。

高校は船橋市立船橋高等学校に進学し強豪のサッカー部に入部。布啓一郎監督の下で厳しい
練習に明け暮れた。専修大学経済学部に入学後もサッカー部に所属し、プロサッカー選手を
目指して精進していたが、膝を壊したことで断念することになった。自身の将来を悲観した
ワッキーはサッカー部の合宿所を秘かに脱走した結果、大学も中退することとなった。

その後タイ料理店などのアルバイトを転々としていた頃、高校時代からの先輩であるヒデに
誘われる形で1994年にお笑いコンビ「ペナルティ」を結成(因みに、ヒデが誘った数は5人で、
その5人目がワッキーであった。ヒデがある番組で告白するまで、その事実をワッキーは
知らなかった。ヒデがワッキーを誘った当初、後輩であるワッキーは『合宿所を逃げ出した
ことで、又殴られるんじゃないか』とビクビクしていた) 。ヒデの方が1学年上だが、
ワッキーの顔が老け顔で体毛が多く、対するヒデの顔が童顔気味のため、同級生の中には
ワッキーの方が年上と思っていたものがいた。

2007年に2歳年下の一般人女性と結婚。
2008年に第一子が誕生。

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