ウッチャンナンチャン

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所属事務所:マセキ芸能
メンバー  :内村光良 (1964.7.22生まれ・AB型)
        南原清隆 (1965.2.13生まれ・AB型)


1985年、横浜放送映画専門学院(現日本映画大学)の漫才の講義で一緒に組んだのをきっかけ
として、コンビ結成。専門学校時代に2人が仲良くなったきっかけは、互いに大林宣彦の映画が
好きということだった。この時に講師をしていた内海桂子・好江の薦めで、マセキ芸能社所属の
タレントとなる。ウンナンを初めて見た好江は、2人の才能を見抜き、「この2人を絶対に
逃しちゃダメよ!」と涙ながらに言ったという。お笑いコンビとしては『お笑いスター誕生!!』
から本格的な活動を始めた。その頃のコンビ名は「おあずけブラザーズ」であった。

1987年、専門学校の同期生である出川哲朗、入江雅人らと劇団SHA・LA・LAを結成し、演劇役者と
しても活動。内村は、脚本と演出も担当した。

1988年に放送開始したフジテレビの深夜番組『夢で逢えたら』で人気に火がつき、1990年代には
とんねるず、ダウンタウンと共に「お笑い第三世代」としてバラエティ界を席巻し、若年層を
中心に人気を博した。

1990年、フジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげです』の休止に伴い、後番組のメイン
として2人が抜擢され『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』がスタート。『夢で逢えたら』
のテイストを下地にゲストを交えて作りこんだコントで、一躍全国的人気者になる。
『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』が半年間の放送を終了し時間帯を土曜夜8時に改め
『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』として再出発。時事ネタや人気ドラマ、
ミュージシャンを題材としたパロディーコントで高視聴率を得た。

また、『ウッチャンナンチャンのウリナリ』は、当時の日本テレビのバラエティー黄金期を支えた
中心的な番組で、番組の全盛期である1996年〜1999年まではほとんどの回で視聴率が20%を超えて
いた時期もあった。そのため、金曜日に東京ドームの巨人戦が組まれていた場合は巨人戦を
優先し番組を休止していたが消化試合の時は番組を優先して放送した。この頃から、
ウッチャンナンチャンは、若者だけでなく老若男女幅広い年齢層から支持を得て、お笑い界の
トップへと上り詰めた。また、今でも日本テレビには年間数十件ではあるがウリナリの復活の
要請を記した手紙がくるという。『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら
100万円!!』もイライラ棒が大人気となり、当時のテレビ朝日の看板番組となるなど、民放各局で
人気番組を生み出し、一躍1990年代を代表するお笑いコンビとなる。

近年では、ウンナンの番組から生まれた1企画のみを特番として、不定期に放送する例が増えている

現在は内村がコントやバラエティ番組で後輩芸人との共演、南原が落語や狂言といった伝統芸能
への挑戦やスポーツキャスターなど、単独での活動が多い。

ウッチャンナンチャン」というコンビ名は、南原の思い付きから命名。最初は
「ウッちゃんナンちゃん」表記だった。まだコンビ名で迷っていた頃、お笑いスター誕生の
番組収録時にコンビ名を変更したい旨を告げると、番組スタッフに「もう『ウッチャンナンチャン』
で作ったから(変更できない)」と断られ、そのまま定着してしまった。

現在、多くのお笑い芸人たちのネタの中で使われている「(ショート)コント、○○」と、
タイトルを言ってからコントに入るスタイルは、彼らが始めたと言われている。
この為「ショートコントの特許を取得し、他の芸人はショートコントを披露する度に、
ウッチャンナンチャンに7円払っている」という都市伝説が流れた。

ネタ作りは内村が自分のギャグだけ書いて南原の台詞を部分を適当(「ああ」、「うん」など)に
しておき、稽古のときに南原が台詞の部分を作り面白い部分を拾い上げていき徐々にネタにしていく
という方法で作られていた。また、ウンナンがコントや番組で使用したギャグはほとんどが、
劇団で一緒だった入江雅人が考えたギャグをパクって使用していたと発言した事がある。その際
出川哲朗も同席していたが、内村曰く、「テッチャンのギャグは面白くなかったからパクらなかった」
と説明していた。それはもちろん逆で、「ヤバイよ」や「チェン(出川だけが使用している内村の
あだ名)」をテレビでモノマネしている。

他のお笑いコンビに比べて、漫才におけるボケとツッコミのような役割がハッキリしないコンビ
である。『気分は上々』の番組内でインターネット投票により「どちらがボケか?」をファンに
決めてもらい、この時は「南原がボケ」という結果になった。しかし、本音は2人ともツッコミに
なりたい様子だった。自称は、それぞれ内村が「天然」、南原が「ハプニング」。よってボケと
ツッコミはケースバイケースとされている。逆説的に考察すると、両名とも漫才やフリートークで
ボケ、ツッコミがこなせる高い技量を持ったオールラウンダーであるとも言える。
南原は『ウンナンタイム』で、2人のスタイルを「スイッチ型」である、と表現していた。

直接の師弟関係に当たる、所謂「師匠」がいるわけではないが、内海桂子・好江は、2人の師匠的な
存在である。好江からは「何があっても仕事に穴を開けるな」との教えがあったが、好江の葬儀には
2人共仕事の合間をぬって駆け付けた。

『夢で逢えたら』で共演し、ほぼ同期であるダウンタウンとは、松本人志曰く「戦友」であり、
「ウンナンが売れてうれしい事はないが、かといって売れなくなるのは嫌」と語っている。


【受賞歴】

『お笑いスター誕生!!』関連
1985年5月11日 第5回オープントーナメントサバイバルシリーズ 準優勝
1986年1月11日 第6回オープントーナメントサバイバルシリーズ 第3位
1986年7月 5日 第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ 優勝

1988年 第26回ゴールデン・アロー賞芸能賞 「新人賞」
1990年3月 平成元年度第6回浅草芸能大賞 「新人賞」
1991年 第29回ゴールデン・アロー賞芸能賞
1992年 第16回日本アカデミー賞「新人俳優賞」「話題賞(俳優)」(映画『七人のおたく』で)



【パーソナルデータ:内村 光良】

熊本県人吉市出身。横浜放送映画専門学院卒業
愛称:「ウッチャン」
実家は酒屋。
デビュー当時は南原と風貌が似ていると指摘され、差別化する為に伊達メガネをかけていた。
映画が好き。
個人的にさまぁ~ずが好きで、「内村さまぁ~ず」も定期的に彼らと飲みに行きたいから始めた
番組だと冗談まじりに話している。
温厚な性格で、テレビ上で毒を吐くことはあっても裏では優しさの鬼と言われている。
ダウンタウンの松本とは非常に仲が良い。
運動神経が良い。

2005年4月23日 テレビ朝日アナウンサー徳永有美と入籍。
2009年6月11日 長女が誕生。


【パーソナルデータ:南原清隆】

香川県高松市出身。横浜放送映画専門学院卒業。
愛称:「ナンちゃん」
お笑い芸人として活動する傍ら、近年はスポーツキャスターや記者としても活躍。また落語や狂言
などの古典芸能の舞台にも出演している。

色々な事に興味を持つ好奇心旺盛な性格。テレビ番組の企画では言い出しっぺのせいか周囲から
リーダーを任される事が多いが、極度の「あがり症」で本番前は水を何度も飲んだり、よく嘔吐
いたりする。また、何事にも真面目に取り組むという。
あまり滑舌が良くなく、仲間内から「カミカミ星人」と揶揄されることが多い。しかしひとりの
仕事の時は何故か噛まない。
生まれてから一度も喧嘩をしたことがない。
芸能界屈指のプロレスファンでお笑い芸人になっていなかったらリングアナウンサーになりたかった。

1993年 入籍
2005年 待望の長男誕生。
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