ネプチューン

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所属事務所:ワタナベエンターテイメント
メンバー  :名倉 潤 (1968.11.4生まれ・AB型・ツッコミ)
        原田泰造 (1970.3.24生まれ・B型・ボケ)
        堀内 健  (1969.11.28生まれ・B型・大ボケ)



当初、原田は出身地が同じ友人とコンビ「パープルン」を結成し、活動していた。しかし、相方が
多額の借金を作り、地元に帰ってしまい解散。そして、原田が新しい相方を探していたところ、
オーディション時に一緒で、当時ピンで活動していた堀内に目が止まり、原田から声をかけて
1991年に「フローレンス」を結成。コンビ名は、たまたま見かけたラブホテルの名に由来する。

原田と堀内は共にボケでツッコミがいなかったため、コントがグダグダになってしまうことが
多かった。そのため、「ジュンカッツ」を解散したばかりの名倉を原田・堀内の2人が頼む形で
引き入れ、1993年にネプチューンを結成。ちなみに、結成当初のトリオ名は「フローレンスZ」で、
数ある候補の中に「ゲリマンダー」もあった。トリオ名の由来は、漫画『キン肉マン』の登場人物
ネプチューンマン。
結成当初は大田プロに所属していたが、後にワタナベエンターテイメントに移籍。

コンビ別れを繰り返して結成したグループのため、3人には芸歴に差があり、その上ネプチューンと
しての活動期間はさらに短い。そのため、先輩後輩が個人によって違うので、ややこしいとメンバー
は発言している。大阪の芸人や初めて共演する芸人で芸歴の長い人がゲストで来た場合、
相手の芸歴を考えてそれぞれの話し方を決めなくてはならないため、不便との事。

名倉は雨上がり決死隊とほぼ同期、原田と堀内は一期下で、千原兄弟FUJIWARAなどと同期となる。

プライベートでの付き合いが殆ど無い芸人グループが多い中、3人はプライベートでもとても
仲が良く、楽屋は常に一緒である。楽屋では、原田と堀内がよくふざけあい、それを名倉が
一歩引いて見守る、というのが常であるという。堀内曰く、番組の収録後に名倉から説教される。
芸人仲間からもその仲の良さが「青春ドラマのよう」と例えられ、絶賛されている。

3人はそれぞれ「潤ちゃん」「泰造」「健」と呼びあっている。ネプチューン結成初期の頃は、
名倉が一番先輩ということもあり、原田と堀内は「名倉さん」と「さん」付けで読んでいたが、
ある時名倉が「同じグループなのに「さん」付けで呼ぶのはおかしい」と2人に言ってから、
その後「潤ちゃん」と呼ぶようになった。

2000年代、特に名倉が渡辺満里奈と結婚した辺りから、名倉は司会・コメンテーターや雑誌の
執筆活動に、原田はCM出演を含めた俳優業に、堀内は個性派俳優業に加え、トーク番組・
バラエティー番組に単独で出演するなど、それぞれの特性を活かし、ピンでも活躍している。

メメンバー全員が下戸である。

ウッチャンナンチャンさまぁ~ず、よゐこ、出川哲朗、キャイ~ン、TIMらと共に、
ウンナンファミリーと呼ばれている。

ネタ作りは、主に堀内が担当。ただし、堀内が書く台本には、堀内独自の擬音や歌のテイストが
使用されているものが多い独特のもので、実際に堀内自身が演じて説明しないと、メンバーに
伝わらないものがほとんどで、それをひとつのちゃんとしたコントに直すのは、名倉の役割である。

コントでは、原田・堀内のボケ(2人で童謡やオリジナルのミュージカル風の歌を唄う事もある)
に対し名倉が突っ込むも、更にボケ続けるという「ボケ倒し」「ツッコミすかし」のスタイル。
名倉のツッコミは関西弁で声を張り上げるものの、頭を叩く・体を蹴るなどの強烈なものではなく、
むしろ常識人から見た的確な指摘というスタイルである。時に名倉は、2人に巻き込まれる形で
ダチョウ倶楽部のようにギャグを繰り出したり、イジられ役に回る事もある。素の状態や
フリートークの場面でも度々同様のやり取りを展開し、原田・堀内の天然性、
名倉の常識人的バランスと面倒見の良い、ある意味お人好しな面などが垣間見られる。

『タモリのボキャブラ天国』出演時代、ネプチューンは原田と堀内の強烈な個性で一際存在感を
放っており、番組内での人気も視聴率を大きく左右するほど絶大なものであった。その中において
名倉の存在がやや薄く、共演者から「名倉はいらない」などと番組内でネタにされる事もあったが、
名倉の的確なツッコミは2人のボケを纏めるためになくてはならない人物である。



【パーソナルデータ:名倉 潤】

兵庫県姫路市出身、市川高等学校卒業。
1986年デビュー。元々は俳優志望だったが、4年後の1990年にお笑いに転向。1991年にジュンカッツ
というコンビを組み、ツッコミを担当。駆け出しの頃はバラエティ番組に出演するほか、
『東京フレンドパーク』で前説を務める等していた。その後相方が引退しピン芸人となったところを
ボケしかいない後輩のコンビ芸人フローレンス(原田泰造、堀内健)に「ツッコミをやってほしい」
と持ちかけられ、1993年にネプチューンとして再始動した。2人は後輩で年齢も下だが、
すぐにタメ口で話しかけてくるようになったという。ネプチューン結成当初の頃までは
太田プロダクションに所属しており、同じく同事務所に当時所属していた爆笑問題の太田とは
デビュー当時からの仲で太田のことを「ひーちゃん」と呼んでいた。

東南アジア系の顔つきが特徴で、「実は日本人ではなくタイ人(ハーフですらない)」とネタに
される。タイ人ネームとして「ナパ・キャットワンチャイ」と称される。また色黒で、贅肉無しの
均整のとれた筋肉質な体格である。『爆笑問題のバク天!』の企画で、カンボジア人とタイ人は無
料で入れるカンボジアにある世界遺産、アンコールワットに入れるかどうか実験したことがある。
守衛が外国人なのかを見た目で判断するのだが、見事に入場できた。


かなりの読書家で、2006年現在週刊プレイボーイに書評コラム「名倉潤の勝手に読みツッコミ!!」
を連載している。

2005年4月5日に、『銭形金太郎』で共演していたタレントの渡辺満里奈との結婚を発表した。
同年10月に行われた関係者だけで行われた結婚披露宴では、堀内・原田が祝辞でこれまでの
ネプチューンの苦労話をし、それを聞いていた名倉が号泣したという。

2007年12月9日20時43分、第一子となる男児が誕生。
2010年6月24日には第二子となる女児が誕生。

2010年11月19日、中目黒にプロデュース店「ステーキなぐら」を開店した。

物真似も得意で、マイケル・ジャクソンなど多彩なレパートリーがある。

後輩の面倒見が非常に良く心配屋で、後輩芸人からたびたび相談を受けては真剣に応じるという。



【パーソナルデータ:原田泰造】

広島市広島市出身、東京都立農業高等学校卒業。
父親の故郷である広島県広島市生まれ。3歳まで同市で育ち、父親の転勤により、その後
小学校1年生まで北海道札幌市で、更に小学5年生まで東京都狛江市で、小学6年生以降は
東京都立川市で育ち、その後、現在実家がある東京都東村山市に引っ越す。

20歳の頃、雑誌『JUNON』が主催するジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募し、
書類審査は通ったが面接で自己アピールとして長渕剛の『とんぼ』を歌ったところ、落選した。
芸人になる前はエキストラの会社におり、1991年のNHK大河ドラマ『太平記』に死体役として
出演したことがある。

高校時代の友達を誘い、渡辺プロダクション(現:ワタナベエンターテインメント)に入社。

1995年、現在の妻と結婚後、同じ都内の東村山市に家を建て、そこに在住。ブレイクする前だった
ため結婚の事実を公表する機会がなく、そのまま1998年に妻子持ちであることが発覚。
当時女性からの人気があったこともあり、会見を開く。ブレイクする前に結婚したため誰も
知らなかったとのこと。現在、2人の子供を持つ。

2000年に『編集王』(フジテレビ系列)でテレビドラマで初主演を務め、その後も多くの作品に出演。
2004年公開の『ジャンプ』では映画初主演も果たした。

2005年7月、舞台「キスへのプレリュード」に主役で出演、これにより同年度の第43回ゴールデン・
アロー賞・新人賞を受賞。なお、その7年前にはネプチューンとして同・芸能賞を受賞した。

2006年4月から、NHK教育テレビで放送開始の『一期一会 キミにききたい!』のナレーションを務める
など、芸の幅は更なる広がりを見せている。

持ちギャグは自己紹介時の「曲がったーことが大嫌いー♪はーらーだたいぞうです!」
「大好物はージャスミンティー(以下同)」「銀座原宿六本木~(以下同)」、
「リセットさえすりゃサイコーだー♪」など。

フジテレビ『タモリの超ボキャブラ天国』でのホストクラブを舞台にしたコントで演じた
「アキラ」役で一躍ブレイク。「アキラです、フー!」というおなじみのセリフの登場シーンでは、
ファンの歓声が他の芸人よりも特に大きく聞かれた。あまりの浸透ぶりに視聴者の中にはアキラが
本名だと思っている人もいたくらいである。他にも「代打教師秋葉」などのキャラクターを演じた。


全員酒が飲めないネプチューンの中でも、特にアルコールに弱く、本人曰く「飲むと必ず吐く」
ぐらい弱いという。そのため「モルツ」のCMに出演したときはアルコールを抜いて撮影していた
ことを映画「ジャンプ」での舞台挨拶で明かした。ただししゃべくり007などの番組中で飲酒し
酩酊する姿がしばしば見られ、酒が嫌いというわけではないらしい。同番組の収録明けに行われた
堀内健の結婚報告会見にも、酩酊して出ていた。

顔立ちは、若干2代目木久蔵(林家木久扇の子息)や舘ひろし、イ・ビョンホンに似ている。
また、2008年『篤姫』に出演した際、大久保利通の写真を横に並べられ、よく似ていると
言うことで話題になった。

自宅のある町内会の野球クラブに所属し、1番打者で一塁手をつとめる。
右投げ両打ちで背番号は7。ただし球技は下手。

裸になるのが得意な一方で、ファッションに関してはメンバーの中で一番疎い。
『笑う犬』の罰ゲームで「100万円を使って自分なりにカッコいい格好をしてこい」と言われた
時に、ジーンズメイトで自分のサイズと同じ服を軽トラック1台分も買ってきた。

現在住んでいる東京都東村山市の出身の志村けんをこよなく慕っている。

幕末歴史好きで、司馬遼太郎の「坂の上の雲」、「竜馬がゆく」などが好き。

両親は昔、所沢市松葉町(新所沢駅東口付近)で「たきたて」という名前で弁当屋を
経営していたが、すでに潰れて無くなっている。農業高校出身なのもこの弁当屋が関係して
おり、「中3の時に進路をどうするか決める時に、その時は芸人になりたいとは全然思って
いなかったから、両親や(当時店を手伝っていた)姉ちゃんを少しでも楽にさせるために
本気で弁当屋を継ごうと思ってて、そのためには何も知らないよりかは知っていた方が
いいと思って農業高校を選んだ」と語っている。

芸人を目指す前は俳優志望だったが、当時所属していた事務所の1番の出世株が、
『あぶない刑事』で館ひろしに詰め寄られて「ワタシ、ナニモシラナイアルヨ」の一言しか台詞がない端役という弱小事務所だったため、即座に辞めた。

また、少林寺拳法の経験があり、実際に型を披露したこともある。




【パーソナルデータ:堀内 健】

神奈川県横須賀市出身、神奈川県立逗葉高等学校卒業。
大学受験に失敗しアルバイト生活となる。高校時代は小泉今日子の大ファンで、ザ・ベストテンの
生中継の現場に原付で駆けつけたという。その当時の様子を事細かに覚えており、小泉本人に
当時の事を話して小泉を驚かせた。また、「笑う犬の冒険」「力の限りゴーゴゴー!!」では
堀内発案の企画で小泉と夢の共演を果たし喜びを露にしていた。その後はとバスの
ツアーコンダクターに憧れて、東京観光専門学校トラベル科に入学。しかし2年生のとき、
ツアーコンダクターには女性しかなれないことを知り、再び挫折。卒業後は、再びアルバイト
生活となり、数々のアルバイトをこなす。

21歳の時、渡辺プロダクション(現・ワタナベエンターテインメント)のオーディションを
受けて見事合格。1991年に原田泰造とコンビ「フローレンス」を結成しデビュー。1993年に
元ジュンカッツの名倉潤が加入して、「ネプチューン」を結成。初めは後から名倉が加入する事に
難色を示していたが、直ぐに打ち解け、今やすっかり仲の良いトリオになっている。

2004年2月19日に東京共済病院で右高位精巣摘出手術を受け右の睾丸を摘出した。
2006年10月にいきなりヘアーカットし、坊主頭になる。カットしたのは堀内の父母。

2006年12月に後藤ひろひと演出の舞台「みんな昔はリーだった」で舞台初主演デビュー。

2009年5月22日、2008年正月の飲み会で友人の紹介で知り合った17歳年下の一般女性と入籍。
結婚報告会見は『しゃべくり007』収録後のスタジオで行われ、名倉と原田も出席した。
2010年2月15日15時35分、第一子である長女が誕生した。名前は公表していない。


芸人仲間からは、実生活においてもテレビに出ている時と同様に自由奔放な性格そのままで
あることが語られている。10年来の友人である土田晃之は「テレビに出演している時と全く
一緒で欝陶しい」と語り、東野幸治も「永遠の少年」「ピーターパン」という異名を付けている。

同じグループである名倉・原田の近況はもちろん、番組での共演者・ゲストの事を事前に細かく
リサーチして番組内でのネタに繋げるなど、笑いに関しては非常にまめで勤勉である。
また、ダウンタウンの松本人志やよゐこの有野晋哉、有吉弘行と同様に、共演の芸能人や一
般人に対して珍奇な(しかし的確な)あだ名をつけるセンスに優れる。

明石家さんまは、司会がこなせれば「ポストさんま」もあり得ると評した。松本人志は自身の
ラジオ番組において、「意外に的確にお笑いの分析が出来ている」「酔拳のよう」などと
高く評価している。

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