千原兄弟

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所属事務所:吉本興業
メンバー  :千原せいじ (千原靖史 1970.1.25生まれ・O型・ツッコミ)
        千原ジュニア (千原浩史 1974.3.30生まれ・O型・ボケ)

2人は実の兄弟。
ジュニアが高校の時に、先にNSCに入学していた兄・靖史から「お前、何もせんと家におんの
やったら、俺吉本にいてるから来いや」と誘われる。NSCへ出向いた浩史は、靖史に
「明後日までにネタつくってこい」と言われ、「ついこの間まで引きこもってた奴に
なんちゅうことさせんねん」と思いながらも、言いつけどおりにネタをつくり上げた。
そのネタで生徒を前に爆笑をとり、からだじゅうに電気がバーッと走った感覚になり
「俺にはこれしかない、この世界で闘っていくんや」と決意し高校を2ヶ月で中退した。

まだ無名だった大阪時代、コンビ名を「S.K.B.(せいじ こうじ ブラザーズの略)」として
活動していた時期があったと、バッファロー吾郎の木村明浩によって明かされたがあくまでも
案であり、このコンビ名での活動は行なっていない。ちなみに、バッファロー吾郎はこの
コンビ名を聞いた時の感想は「ダサい」の一言だった。
ダウンタウンや雨上がり決死隊が上京した後、シュールなコントが受け、ジャリズムと共に
心斎橋筋2丁目劇場で頭角を表し、お笑いライブで異例となる大阪城ホール公演を開催し
超満員にしたこともある。

「週刊少年ジャンプ」に連載されていた『ろくでなしBLUES』に、兄弟揃って漫画の登場人物と
して登場したことがある。


持ちネタはコント主体だが、2006年正月のお笑い番組をはじめ、数回漫才を披露したことがある。
2人共『ドラえもん』について造詣が深く、雑誌の『ぼく、ドラえもん』で思い入れを
語ったり、『アメトーーク』などドラえもんが特集されたテレビ番組に出演している。
成人すると、両親から今までにかかった養育費1600万円程を請求された。
お互いの携帯番号を知らない。
後輩のナインティナインと番組共演がほとんどない。せいじは「DOORS 2009春」に出演した他、
せいじの家をナインティナインが下宿代わりにしていたと、バッファロー吾郎・竹若元博が
述べており、せいじとはある程度の親交があったようだが、ジュニアは「ほとんど喋ったこと
もない」「岡村なんてテレビでしか見たことがないから、テレビ局の地下駐車場で挨拶されて
緊張した」と発言している。なお、ジュニアはとんねるずの石橋貴明とも共演が一度もない。
その後2011年、「FNS27時間テレビ」の「笑っていいとも!増刊号生SP」で初めてジュニアと
岡村が共演した。両者は近くにいたが、大人数ということもあってか直接本番中に会話する
ことはなかった。
ジュニア曰く「せいじとはずっと一緒に生きてきて合ったことがない」。
ジュニアとせいじの関係は「京都ではお兄ちゃん、大阪では相方、東京では他人」だと
ジュニアは言っている。
最近ではお互いピンで活動することが多く、ジュニア曰く「会うのは月1回程度」。
共に番組出演に加えてジュニアは執筆活動や役者として、せいじは飲食店経営に教育番組、
関西ローカルでのコメンテーターなど共に異なる活動でありながら多方面で活躍している。


【受賞歴】

1994年 第15回ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞
1994年 第29回上方漫才大賞(ラジオ大阪) 新人賞


【パーソナルデータ:千原ジュニア】

本名:千原浩史
京都府福知山市出身、京都共栄学園高等学校中退。
NSC8期生
小学校時代は周りの友達と悪さをしていたが、浩史だけが目立って見えていたせいか、友達の
親からよく思われていなかった。ある日、友達の家へいつものように遊びの誘いに行くと、
中から親が出てきて「息子はいない」と言われ、帰ることにした。帰り際に家の中から親の
「千原くんと遊んだらあかん」という声が聞こえてきたという。 

浩史の地元の小学生は、黒い制服の公立中学(大半はこちらに行くらしい)と青い制服の
難関私立中学(中高一貫)のどちらかに行くのだが、青い制服の中学生は周りから一目
置かれていたという。浩史は周りを見返すために青い制服の学校に行くことを決心する。
3ヶ月、親に頼みこみ塾へ行かせてもらい、見事難関私立中学を受験して合格。しかし、
浩史にとってみれば、この青い制服の学校に入ることがゴールであったため、急に勉強を
やる気が失せてしまった。

そんななか、周りの人は大学に向けて猛勉強をしている(進学校のため、1つの授業につき
教室の前後に2人の先生が付いていた)。そんな学校の空気になじめず、登校拒否、
引きこもりとなる。高校にはなんとか進学したが、相変わらず引きこもりを続けていた。
ごくたまに仕方なく高校に行っていたが、周りから気持ち悪がられていた(理由は、たまに
学校に来ても一切誰とも話さなかったり、当時から尖っていて周囲の人を殴ったり
していたから)と浩史は言っている。

ある日、高校に行ったとき、「もうこんなところにいても自分は何も得ることができない!」
と思い、帰り道で橋から川に青い制服を投げ捨てた。それを最後に、高校には行っていない。
そのおり、先にNSCに入学していた兄・靖史から「お前、何もせんと家におんのやったら、
俺吉本にいてるから来いや」と誘われる。NSCへ出向いた浩史は、靖史に「明後日までに
ネタつくってこい」と言われ、「ついこの間まで引きこもってた奴になんちゅうことさせんねん」
と思いながらも、言いつけどおりにネタをつくり上げた。そのネタで生徒を前に爆笑をとり、
からだじゅうに電気がバーッと走った感覚になり「俺にはこれしかない、この世界で闘って
いくんや」と決意し、高校を2ヶ月で中退した。 NSC時代について、「授業はつまらなかったが、
同期の原西孝幸が面白くて、彼を見たさに通っていた」と語っている。

15歳という若さでお笑いの世界に入ったため、同い年や年上の後輩を多く持つ。しかし、
年下である身分からか、数名の後輩によっては「さん」付けや敬語で話すこともある。
18歳で、心斎橋筋2丁目劇場を仕切っていた。
「冠番組を持つと死にかける」という不幸な一面を持っており、急性肝炎とオートバイ事故で
2度にわたり生死の境をさまよったが無事生還。奇しくも2度とも誕生日の数日前に起きている。
急性肝炎を患った際には、同時期にベイブルースの河本栄得が劇症肝炎で急逝したこともあり、
ジュニアも同じ病気ではないかと懸念された。なお、これが6年周期でやってきており
(肝炎は20歳、事故は26歳)、2007年がちょうど6年目にあたっていたため、
「今回は何があんねん」と不安に思っていると番組内で告白した。不安は当たり、
この年6月の『着信御礼!ケータイ大喜利』の収録後に、足の指を剥離骨折した。

以前から『ジュニア』と呼ばれていたが、2005年、芸名を「千原ジュニア」に正式に改名。

趣味がないというが、大阪時代は裁判の傍聴をよくしていた。
兄のせいじと正反対で極度の人見知り。
東京に進出した頃は「自分の笑いはわかる奴にだけわかればいい」といったスタンスだった
が、交通事故を機に、ネタを書く際にはより多くのお客さんに伝わるように解りやすい言葉を
選ぶように心掛けるようになったという。
1年で何度も後輩芸人らと一緒に宮古島を訪れる。1人で訪れることもある。
自身が率いる軍団を「Jリーグ」と称している。
メンバーは、Bコースタケト、ピース綾部、サバンナ高橋、陣内智則宮川大輔など。



【パーソナルデータ:千原せいじ】

本名:千原靖史
京都府福知山市出身、福知山商業高等学校卒業。
NSC入学後、当時引きこもりだった弟の千原浩史(千原ジュニア)を誘い、お笑いコンビ・
千原兄弟を結成。大雑把で一癖あるツッコミが特徴的である。吉本芸人では、ほんこんや
岩尾望(フットボールアワー)と並ぶ不細工キャラだが、2002年6月に宮古島の教会で挙式
した既婚者である。
デリカシーのない無遠慮なキャラクターではあるが、その反面社交的で、芸人だけではなく
一般人の友人が非常に多い。一般人の会話の中にも入り、その場で連絡先を交換する事もある。
その為プライベートでの人脈・情報網はとても広く『やりにげコージー』『やりすぎコージー』
では、その情報網を利用した企画が放送された。それらの番組ではしばしば私服で登場し
その私服も知り合いがデザインしたものを着用している。
IT企業の社長や不動産会社経営者などの実業家に至るまで幅広い人脈を持ち、彼らとのコネで
大抵のものは購入できると言われている。ちなみに、せいじが入手出来る可能性のある一番
すごいものは、「知り合いの知り合い」が造っている「核シェルター」だという。
天然でバカキャラと言われているが、かつて知能指数を調べた際には「普通に勉強したら
東京大学に入れるレベル」の数値を出したとのこと。
クレーマー気質で、店や企業に対して些細な事でキレ、すぐに怒りの電話等をする。
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