ナインティナイン

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所属事務所:吉本興業
メンバー  :岡本隆史 (1970.7.3生まれ・B型・ボケ)
        矢部浩之 (1971.10.23生まれ・A型・ツッコミ)


2人は大阪府立茨木西高等学校サッカー部の先輩後輩として出会う。岡村(当時高1)は矢部の兄
美幸(当時高2)とサッカー部の先輩後輩で面識があり、自宅へ招かれたところに矢部(当時中3)
がいたのが初対面となる。後に矢部が同じ高校のサッカー部に所属し、練習中に矢部から岡村に「
岡村しゃん、『夕やけニャンニャン』って見てはります? 僕あれ観てるとドキドキしゅるん
でしゅよ」と話しかけたのが初めての会話。

1990年、矢部が大学受験に失敗したことに伴い、当時吉本興業に先にお笑い芸人として同社に
所属していた兄・美幸の薦めから、矢部は当時立命館大学夜間部の学生だった岡村を誘い
NSCに9期生(同期はほっしゃん。、宮川大輔など)として入所。矢部が提出するはずだった
NSCへの願書を忘れており、お笑いになるからにはどんなものなのかという理由で劇場に足を
運び見学しにいった日がたまたまオーディションの2次審査の日で会場で最後まで粘り頼み込み
合格となった。コンビ結成当時は岡村がツッコミ、矢部がボケを担当していた、しかし当時の
NSC講師,本多正識(漫才作家)に「(ボケとツッコミが)逆やろ」と言われたことにより役割を
交替している。その後2人は授業料未納(ちなみに雨上がり決死隊の宮迫の入れ知恵である)に
より吉本の社員に「お前ら消したろか」と言われるなどして除籍処分となったため、正式に
NSCを卒業してはいない。

1991年、吉本の若手コンビ6組で構成されるユニット「吉本印天然素材」に加わり東京進出。
1992年には第13回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞し、頭角を現す。程なくして、
当時人気番組であった『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)の芸能人大会にコンビで出演した
頃から人気・知名度が急上昇する。

1994年に「天素」から脱退する。理由としては、岡村曰く「ミーハーな女性ファンの多さに
危機感を持った」とのこと。その後、本格的に活動拠点を東京に置く。東京本格進出1年目の
1994年には放送時間こそばらばらなものの、『ナインティナインのオールナイトニッポン』
『ぐるぐるナインティナイン』『ジャングルTV タモリの法則』といっきに3番組も関東放送番組の
レギュラーになり、1995年に『笑っていいとも!』のレギュラー、1996年に『めちゃ²イケてるッ!』
が放送開始。このうち、「ナイナイのオールナイト」「ぐるナイ」「めちゃイケ」の3番組に
ついては以後15年以上続くロングランの番組となっている。

1999年にはゴロ合わせで「ナイナイの年」と銘打ち、映画出演や多数のライブイベントなどを
精力的にこなした。

2010年、岡村が7月15日から体調不良を理由に休養に入ることを発表。休養期間中のコンビ活動は
休止となり、レギュラー番組には矢部が単独で出演していた。岡村は約5ヶ月後の11月27日放送
(24日収録)の「めちゃ×2イケてるッ!」にて復帰。以降はその他の番組にも順次復帰。

2011年、6月5日放送の「爆笑 大日本アカン警察」2時間スペシャルに出演。ダウンタウン
2人と14年ぶりの共演を果たした。

2011年、7月23日・7月24日に放送された『FNS27時間テレビ めちゃ2;デジッてるッ! 笑顔に
なれなきゃテレビじゃないじゃ~ん!!』で、矢部が語った心境で「5カ月近く休んでた相方が
スタジオで大丈夫か、という心配もあった」と告白。昨年の岡村の病気休養について
「一生戻ってこれない覚悟もしてた。そもそも僕がこの世界に誘ったんで、こうなったのも
僕のせいやって…」と自らを責めたことを明かし、「復帰後は高校のサッカー部時代に戻った感じ。
岡村の表情とか優しさとか…」と語った相方の姿に岡村は号泣。一緒に司会を務めたSMAPの
中居正広に「岡村君、やべっちを迎えに行ったら?」と誘われた後、「テレビで泣いたら
さんまさんに怒られる」と言いつつそのまま矢部を迎えに行き、並走。番組終了間際の
20時50分、2人一緒にゴールした。

初期は舞台を中心にコントや漫才を行っていた。岡村の全身を使ったダイナミックなボケと、
矢部の「~じゃないスか」などの冷静な「敬語ツッコミ」が特徴的。岡村が
「身長はひゃく○○じゅっ○○センチです」とゴマかす「チビネタ」等も多かった。

大阪から東京に活動の場を移してからはテレビのバラエティ番組をメインに活動している。
岡村が常識的なことをあえて知らないフリをしたり勘違いしたまま暴走し、それを矢部が軽く
突っ込みながらも岡村を泳がす「勘違いボケ」などを得意としている。

漫才のネタを考えるのは岡村の担当で、仕切りや司会などは矢部が担当している。仕事の比率で
言えば岡村の方の仕事量の負担が多く、ネタを考える岡村の横で矢部が、新聞や週刊誌を読んで
休んでいることでケンカになることが多かった。矢部は岡村が苦手としている仕切りや司会の
仕事を矢部が練習もせずに見事にこなすこと、岡村のまじめにネタを考え、笑いに真剣に取り組ん
でいる部分、お互いに長所、短所をカバーしてコンビのバランスをとっている。

コンビ名の由来は2人がNSCの第9期生であったことから9を2つ重ねて命名した」と公には
答えているが、実際には「コンビ名の由来に特に面白いエピソードもないし、詳しく答えるの
が面倒なのでそういうことにしている」らしい。コンビ名の由来に関しては、岡村の
ブレイクダンスの得意技の名前という説、お笑いを99歳までやりたいからという説、
2人の母校・大阪府立茨木西高等学校が大阪府立の99番目の高校だからとする説などの諸説が
あったが、2007年10月25日放送のニッポン放送系のナイナイがパーソナリティをつとめる
ラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』内で、ブレイクダンスの技である
1990(ナインティーンナインティ)が本当の由来であることを岡村、矢部両人が認めた。
詳しい由来については、ブレイクダンスの1990という技が「ナインティナイン」という
名前であると勘違いし、「ナインティナイン」とコンビ名をつけたとのこと。 また
同放送内で、コンビ名の由来に様々な諸説があることを知り、それを面白がった岡村は、
9は数字上(0から9)では一番大きな値であることから、9を2つ並べることでコンビ2人とも
ビッグになるという意味もあるなどと、それらしいとも半ば強引ともとれるような後付けで、
自らコンビ名の由来の新たな説を披露していた。ブレイクダンスの技から名前をとった
理由としては、「響きがよかったから」「その技がかっこよかったから」などと明かしている。
この命名の時期は、オールナイトニッポンの1998年3月12日放送で矢部の高校の卒業文集に
既に「コンビ名はナインティナイン」と書いてあった事を話しており、吉本の養成所に
入る前から既に決めてあった事を話している。またNSCでの初めてのネタ見せの時には同期生で
コンビとして組んでいる者が他に数名しかおらず、既にコンビ名をつけていたため、
同期生から変な目で見られ反感を買っている。


ナインティナインが今後どのような活動をしてゆくのか、壁にぶち当たったときなどに二人だけ
で会議がおこなわれている。テレビやラジオ番組で会議がおこなわれる場合もあるが、それ以外
に他人に知られたくない議題は主にメールでおこなうことになっている。年齢と共に仕事への
向き合い方での修正や活躍のしかた、コンビでの活動などが話し合われる。
35歳のときにめちゃイケにて、「5年間は何があっても絶対に解散しない」という契約を二人の
中で交わした。最新は、岡村が休養した2010年にあたる5年後、めちゃイケで2010年の年末の
岡村の自宅の引越し時に岡村が矢部の自宅に泊まり契約延長を申し立て、矢部が受け入れ再び
45歳までは何があってもコンビで続けていくことが更新された。
吉本の先輩コンビであるダウンタウンに対してひどく恐縮している節がある。これについては、
ナインティナインがゲスト出演した「爆笑 大日本アカン警察」内で、若手時代に特番で初共演
した際、ダウンタウンを前に緊張のあまり大失敗をしたトラウマが残っているから、と語った。
また、以前松本人志が自身の著書『松本』で「ナインティナインはダウンタウンのチンカス」
と書いたことが原因であると、相方の浜田雅功[や島田紳助が指摘している。



【受賞歴】

1991年 : 第12回今宮こどもえびす新人漫才コンクールこども大賞受賞
1992年 : 第13回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞受賞
1993年 : 第22回上方お笑い大賞銀賞受賞



【パーソナルデータ:岡村隆史】

大阪府大阪市東淀川区出身、一浪の末、立命館大学、関西外国語大学、大阪芸術大学に合格。
本人は大阪芸術大学に進みたかったが、父の勧めで立命館大学経営学部二部へ進学。しかし、
相方の矢部に誘われて吉本興業のタレント養成所・NSCに入所し、大学は1年次で中退した。

大学生だった当時は国家公務員を目指していた岡村だったが、それは「安定した職についてほしい」
という父・治雄の勧めによるものであった。矢部の誘いをきっかけに「俺は親父の敷いたレール
の上を歩いていただけやった」(岡村談)と思い直し、お笑いへの方向転換を決意したという。
この時岡村の父は「隆史をヤクザの世界に誘いおって、矢部を絶対に許さへん!」と大激怒し、
その後矢部が岡村の家に遊びに行っても口を全く聞いてくれなかった。お笑い芸人として成功
した現在も岡村の父は矢部を完全には許してはおらず、険悪な関係のままのようであるが
、岡村は「今では親父も少しは認めてきている」とラジオの中で発言している。

NSC入学時の願書の自己PR欄には「必ずトップに立ち、ダウンタウンのようになって見せます」
と書いていた。

小さい体から繰り出されるハイテンションなキャラクターが特徴。岡村は「(小さい体に
産まれたことに)感謝ですよね。他人と同じ踊りを踊っても、体が小さいから滑稽に見える」と
自己分析している。
また、『めちゃ²イケてるッ!』で多々見せるお笑いや企画に真面目に取り組む様も特徴的で、
演出家・片岡飛鳥は「お笑い番組なのに真面目に取り組むところがもはや芸風」と評している。

憧れている人物は高倉健・ビートたけし・志村けん・とんねるず・ダウンタウン。

一時期は松本人志に憧れしゃべりを目指していたが、「しゃべっておもろい芸人はたくさんいる。
自分は動きで笑わしたい」と思い修正する。

1999年度に受賞した日本アカデミー賞で「将来は高倉健さんのような立派な俳優になりたいです」
と語った。同年に受賞し、同席していた高倉健は立ち上がって拍手をし「頑張って下さい」と
エールを送った。

即興でダンスの振り付けを覚えたり、普通は一年掛かると言われる競馬(キャンター)が3日
足らずで出来たりするなど、芸能界屈指の運動神経の持ち主である。小学生時代に体操教室
(オリンピックメダリストとなった男子体操の西川大輔も在籍していた)に通っていたり、
中学生時代にブレイクダンスに明け暮れていたりしたのが基礎となっている。

テレビを見ることが好きで、芸能界に入る目的のひとつがテレビに出たかったからというもの
である。自分の中にある笑いの壷が独特であり、気になった番組や笑いのネタを何度も
繰り返してビデオで見る癖があり、飽きるまでひたすら見続け、口癖で気になるフレーズで
新しくおぼえた言葉を飽きるまでいい続ける癖もある[要出典]。このため他の芸人のネタを
使ってしまうことが多く「パクリ芸人」という異名を持つ。ただし岡村が番組で使い続けた
ことによりブレイクした芸人も多数おり、誰も知らないネタを発掘するという現象も起きている。

中学生時代はマイケル・ジャクソンに憧れてブレイクダンスを始め、大阪の
「Angel Dust Breakers」に所属し、梅田阪急ナビオ前で毎夜練習に明け暮れて関西2位になる。
当時は茶色くした長髪で「キッド」の愛称で呼ばれていた。『めちゃ×2イケてるッ!』の
企画やキリンビバレッジ・NUDAのCM、応援ゲストとして出演した第57回NHK紅白歌合戦等で、
切れ味の鋭いダンスを披露している。

趣味は漫画、プラモデル、釣り、ゴルフ、テレビゲーム、沖縄旅行、スキューバダイビング。

人見知りな性格で、番組収録中はハイテンションだが、カメラが回っていない時はおとなしい。
社交的ではなかったが30代になってから、交友関係を広げ、色々な人と出かけるようになった。
芸人では博多華丸・大吉の大吉と仲が良い。

明石家さんまと飲みにいくが、笑いに関しての駄目だしをされることが多い。帽子を被って
変装して行った際にそれを注意され、プライベートで変装目的で帽子を被ることを禁止された。

めちゃイケでの横峯さくらとの対決企画をキッカケに東野幸治・出川哲朗・蛍原徹・田村亮・
原西孝幸・堤下敦・梶原雄太・大山英雄などとゴルフにもよく行くとのこと。
このメンバーで「東野ゴルフクラブ」というクラブを結成している。


ファッションなど毎年、年末になると新年に新しく着る洋服を買っている。本人によれば普段は
面倒くさいためジャージ姿が多い。オシャレには憧れがあり、車を運転する時にはサングラスを
かけている。岡村にとってのファッションリーダーは濱口優で、彼が購入したファッションに
毎回興味を示し、同じものを頼んで買ってきてもらっている。この他、スタイリストに頼んで
よくお洒落な服を購入している。

以前は相方の矢部と共に“アナログ芸人”と自称するほどパソコンやネットなどに関する事柄
には疎かったが、2008年2月、それまで持っていたデスクトップタイプのウィンドウズ機に加えて
ノートパソコンのMacBookを購入、これを機にネットの基本操作をマスターし、“デジタル芸人”
と自称するようになった。ただしこれはあくまでお洒落である自分を演出するためのことで、
自分がやりたいことを達成して以降、パソコンとは距離を置いている。自分でパソコンを
マスターしたいという気持ちはあるが、教えてもらう人と自分のレベルの差で下に見られている
ことを嫌い、思うようにいかないことに苛立つことも度々ある。ブログやTwitterなどに
対して否定的な発言が目立ち、特に炎上について神経質になっている。なお2010年春の
主演映画『てぃだかんかん』公開時には期間限定のブログをラフブロとGREE内に開設したが、
更新期間が終了すると閉鎖し、過去ログもアクセス不能になった。

納豆、おくら、山芋(とろろ)、卵かけご飯、牛乳、奈良漬けが嫌い。以前まではコンビ揃って
酒豪であり、超ヘビースモーカーでもあった。めちゃイケでは、アメリカンスピリットキャメル
を吸っている所を度々目撃されていた。しかし、2010年11月27日の放送で、病気療養による
入院をキッカケに禁煙に成功したことを表明し、同年12月31日付で卒煙した。
2011年以降は非喫煙者である。また同様に禁酒している。

長期休養について2010年に体調不良により約5ヶ月の長期休養をした。病名は正式には発表
されていないが、複数のメディアが、関東郊外の精神科系の療養施設に入居していたと報じた。
岡村本人は「(頭が)パッカーンってなった」と表現している。

出演した映画『てぃだかんかん』の過密プロモーション、一人舞台『二人前』の準備などで
多忙が続いた2010年6月ごろから体調が悪化。憔悴しきりながら仕事を休もうとしない岡村を
見かねた矢部が、フジテレビでスタッフも見守る中「休みましょう」と休養を勧めた。
岡村は当初「休養だけはしない」と仕事の継続を懇願していたが、大谷マネージャーの勧めも
あり検査入院し、その後休養することとなった。これにより一人舞台を始め、予定されていた
スケジュールはすべてキャンセルされた。

入院中は明石家さんまやビートたけし、高倉健等が見舞いを希望したが、関係者により厳しく
拒絶された。矢部も見舞いを許されたのは一度だけである。高倉は退院後に祝いの手紙を送った。



【パーソナルデータ:矢部浩之】

大阪府吹田市出身、大阪府立茨木西高等学校卒業。
高校のサッカー部時代からある岡村との関係性も含まれコンビで活動する時は敬語はやめようと
いう約束からタメ語で会話する形式をとっていた。だが岡村の気分しだいで時に先輩、後輩の
関係を持ち出すこともあり、このような会話をしている場合でもボケる岡村に対して敬語で
突っ込みをいれる。
大勢の芸人が出演するバラエティ番組などの司会や仕切りを担当することもある。

映画やテレビドラマ数本出演はあるが共通語での芝居が苦手で、キャラクターはほぼ関西弁で
設定を要請している。『花嫁は厄年ッ!』の安土一郎役は福島県出身で1年間だけ大阪へ
単身赴任していたというキャラクター設定だった。
実兄は元・お笑いコンビ「ちゃんねるず」のメンバーで「LAUGHFACE INC.」代表取締役社長の
矢部美幸(よしゆき)で、元NSCの7期生(同期は雨上がり決死隊など)。
家族は父・幸男、母・富美枝(とみえ)、3人兄弟の次男。弟・龍弘との年齢差は14歳。

NSC入学願書の自己PR欄には「のろくてどんくさいけど体はじょうぶである。タフである。
気が長くてやさしい。アレルギー体質で皮膚がちょっと弱い」と書いていた。
髪の色を茶色に染めているが、これは若白髪で白髪染めを使用しているためである。
八重歯があったが、ドラマ『天気予報の恋人』の撮影に入るにあたり差し歯にして見た目を
整えた。
「めちゃ×2イケてるッ!」のメンバーの数少ない現役喫煙者の中で唯一のヘビースモーカー
(1日平均40本以上)である。吸っているタバコはマルボロの赤。またコンビ揃って酒豪で
あったが、相方の岡村が禁酒したことにより2011年以降は矢部本人以外「めちゃ×2イケてるッ!」
の酒豪メンバーは不在である。
大のサザンオールスターズファンで、好きな曲は「旅姿六人衆」。
生粋のSで短気である。
好きな食べ物は納豆。嫌いな食べ物はきのこ。
相方の岡村と共にアナログ芸人を自称しており、パソコンやネットといった話題には疎い。
愛車はメルセデス・ベンツ ステーションワゴン E63AMGの白。過去にはボルボ850Vエステートや
ポルシェ911カレラⅡ、BMW525iなどにも乗っていた。
腕時計はロレックスのサブマリーナー]。
後輩の芸人たちに対して面倒見のいい親分肌であり、羽振り良く食事に連れて行くことが多い。
後輩たちからは「兄様(にいさま)」と呼ばれ慕われている。矢部が主催する芸人の飲み会
(合コン)は「矢部会」と呼ばれる。
2006年7月から9月まで放送されたドラマ『花嫁は厄年ッ!』では仲の悪い親子役だったが、
母・安土幸恵役を演じていた岩下志麻とメル友になり、2007年のバレンタインデーに
チョコメールをもらった。

吉本印天然素材元メンバー星田英利の芸名を「ほっしゃん。」と命名した(ほっしゃん。の
「ほっしゃん」の部分は矢部、「。」の部分はつんく♂が命名)。

以前は高校の先輩である岡村に対し敬語で喋っていたが、先輩芸人からのアドバイスを受け、
タメ口にした(「岡村さん」という呼び方は名残)。しかし、高校時代の思い出話になると
途端に敬語に戻ってしまうことをタモリに突っ込まれていた。

「第2の石原裕次郎オーディション」の書類審査を突破したことがある。
吉本印天然素材時代は目立たない存在で、ボケもツッコミも上手くできず、いじられキャラ
だったという。その後ナインティナインがブレイクするに従い、若手随一の「仕切り」の名手
となり現在に至る。放送作家の高須光聖と、同じ吉本印天然素材のメンバーであり同期の
宮川大輔が共演したラジオ番組「松本人志の放送室」で、それぞれ「ほんまに巧くなった」
(高須)、「あの人(の努力)はすごい」(宮川)と評価していた。
カラオケ好きだが音域が狭いうえに音痴である
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