陣内智則

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所属事務所:吉本興業
メンバー  :陣内智則 ピン芸人 (1974.2.22生まれ・O型)

兵庫県加古川市出身、兵庫県立高砂南高等学校卒業。
高校の同級生・西口圭と一緒にNSC大阪校の11期生として入学。2人で「リミテッド」と称する
コンビを結成した。このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット (Limit) 」と
間違って名付けたものである。「リミテッド (Limited) 」は「制限された」「僅かな」という
意味の言葉であるが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかった。「リミテッド」と
しての初仕事は、その当時WコージーがMBSラジオでやっていた番組の素人参加のコーナーだった。
高校生の時にも『ピート・ローズ』というコンビ名で出演し賞金を稼いでいた。
「NSCアマチュア大賞」の秋開催のグランプリを獲得。これが、「リミテッド」で獲得した
唯一の賞となる。
陣内は同級生と一緒にNSC入学と同時に寿司屋『小鯛雀鮨鮨萬』に就職しており、職人達の中
での厳しい仕事だったため同級生はすぐに辞めたが陣内は卒業までの一年間、早朝から
皿洗いや料理の下ごしらえなどをしていた。
NSC卒業後、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせる。しかし当時の「リミテッド」
は評判が芳しくなく、「2丁目ブーム」の中「リミテッド」は「2丁目で一番おもんないコンビ」
「見ると不幸になる」などと揶揄されていた。結果、結成3年後の1995年9月に解散。相方の
西口は芸能界から引退したため、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされた。
リミテッド」解散以来、「Wachacha Live」への出演もままならなくなった陣内はテレビの
『すんげー!Best10』やそこから生まれたユニット「そういう人達」のライブ活動で凌ぎ、
1996年12月の若手ネタ番組『オールザッツ漫才』(毎日放送、関西ローカル)に出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出たため(岸本R突然の不参加による)、陣内が急遽スタッフに呼ばれ一人でネタを
披露するという場面があった。センターマイク前に一人で立ち一発ネタを一人でただしゃべる
だけだったが、これがウケまくり3回戦まで進出した。
解散のショックからなかなか立ち直れないでいた1997年、先輩芸人や吉本側から
「ネタが作れない芸人は出るな」「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と、最期通告を
受ける。プレッシャーからネタ作りもままならなかったが、イベントの直前に偶然乗った電車の
車掌のアナウンスが変であったことに思わずツッコミを入れたところ周囲から笑いが起きたこと
に気づき、「予め用意された音声や映像にツッコミを入れるネタ」の原型となる、新しい手法の
ネタが閃いた。開演数分前にようやく新ネタが完成し、それを演じたところそのイベントで
今までにないぐらい評判が良かったため吉本の陣内に対する評価も一変し、次々と仕事が
舞い込むようになる。そしてその数ヵ月後に行われた、1998年第19回 ABCお笑い新人グランプリ
で優秀新人賞を受賞した。
「面白くない」、「会社から辞めろと言われている」と芸人仲間からもよくネタにされており、
『すんげー!Best10』内でしましまんずの池山心が陣内をネタに、「陣内、君は支配人に
辞めろって言われたね。だけど君はこう言った。『支配人の方が辞めればいいのに』って。
負けるな陣内、君なら絶対やれる。絶対やれるよサラリーマン」という歌を作った。
仕事がなく自宅で落ち込んでいた際、当時交際していた彼女から、「陣くんの面白さは
私が一番よく知ってるから。私が面白いと思ってるのは、陣くんと三田村邦彦だけだよ」
と励まされ、非常に複雑な気分だったという。
1999年10月スタートの情報番組『ちちんぷいぷい』の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日の
かつての人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西の中年層への知名度も徐々にアップする。
番組内では、司会者である角淳一とはいつも舌戦を繰り広げていてお互いに「親子のような関係」
と言うほどの仲だった。また同じ1999年10月に深夜バラエティ番組『クヮンガクッ』の
レギュラーにもなり、2000年3月に始まった同番組の人気企画「レシートすごろく」で
更に関西での知名度が上がる。

1999年にbaseよしもとが開館し、FUJIWARA、シャンプーハットらとともに後輩たちをまとめる役
を買って出ることになった。また、この頃から番組やイベントなどでの司会を任されること
が多くなるが、その中でも圧倒的に毎日放送での仕事が多い時期に、毎日放送の番組で有名に
なったこともあって陣内は「MBSの若獅子」「MBSと言えば陣内智則」と言われるようになる。
ケンドーコバヤシをして「(当時同局アナウンサーであった角淳一に媚びているのではないかと
いう冷やかしで)角智則に改名しろ」と言わしめたほどであった。

1999年11月、「爆笑オンエアバトル」で初挑戦にして537KB(キロバトル、100人中98人が投票)
という高得点を獲得した。これは当時の番組最高記録であり、また「初挑戦における最高
キロバトル」として歴代でも1位タイの記録である。その後16戦16勝という高記録で
ゴールドバトラーに昇り詰めた。これらの輝かしい記録から、2008年の番組公式
ホームページ内の『オンバト名勝負百選』というコーナーで「オンバト史上最強の一人芸人」
と番組プロデューサーに評された。
baseよしもとを卒業後は、うめだ花月やルミネtheよしもとなどで活動。2003年に
『エンタの神様』に出演して以来東京での仕事も増えていく。平日は大阪で仕事をし、
木曜日に『なるトモ!』の生放送と同番組の金曜分の収録が終わるや否や、午後から新幹線や
航空機で移動し、東京で『エンタの神様』などの番組収録とルミネtheよしもとの公演を
こなしていた。
2003年頃からは、俳優、声優など他の仕事も手掛けるようになる。

2004年6月単独ライブ『NETAJIN』公演。この模様はDVD『NETAJIN』に収録され、お笑い関連の
DVDが1万枚を売れればヒットといわれる中、4.9万枚(2006年12月時点)という大きな
売り上げ枚数を記録した。

2007年4月10日 ドラマ共演で知り合った女優藤原紀香と入籍。
2009年3月23日 離婚。自身の浮気が原因として謝罪会見を開いた。

2010年4月6日、ルミネtheよしもとで吉本新喜劇座長としてデビュー。

サークルJ」と称するグループを結成している。これは陣内が出演していたラジオ番組に由来し、
名前は軍団と称するにはゆるい集まりなのでサークルとしたものである。最初は「ペット
ショップの子犬の成長を見守る」集まりだった。
「サークルJ」メンバーは主に小出水直樹(シャンプーハット)、徳井義実(チュートリアル)、
すっちー、中川貴志(ランディーズ)、月亭八光、ロッシー(野性爆弾)、ハラダ
(ファミリーレストラン)、和田友徳(ヘッドライト)、瀬戸洋祐(スマイル)など。
大阪時代には、ブラックマヨネーズの吉田敬を、「毎日一緒にいた」と言うくらいかわい
がっており、当時の彼女から「私と吉田さん、どっちが大事なの?」と本気で聞かれた
ことがある。また、当時まったくの無名だったブラマヨを「こいつらオモロいから」と、
自らがMCをつとめるイベントのレギュラーに抜擢し売れるキッカケを作った。
阪神タイガースの選手とは公私共に仲が良い。
有名人でお互いに親友だと公言している人物は、ケンドーコバヤシ、山崎邦正、桧山進次郎、
加藤晴彦など。
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