気になるお笑い芸人さんのプロフィール、最新情報など。随時情報はUPしていきます!!
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
所属事務所:吉本興業
メンバー  :田中 一彦(1977年10月15日生まれ・AB型・ボケ)
        武智 正剛(1978年8月3日生まれ・B型・ツッコミ)

2人は大阪NSCで出会いコンビ結成。共に22期生。
「スーパーマラドーナ」の名付け親は、西森洋一(モンスターエンジン)である。
2人共一度、大阪NSCの試験に落ちている。
2人は見た目の通り、田中はいじめられっ子キャラ、武智はいじめっ子キャラである。
「同期で最強と最弱のコンビ」と称される。実際に武智は田中をパシリに使っていて、
言う事をきかないと田中をシバく。田中がネタ合わせ中に噛むとすかさず殴る。
一度、田中が顔を痣だらけにしてbaseよしもとに来たことがあり、他の芸人から理由を
問いただされたところ「単独ライブ近いねん」と答えた。なお、田中は武智の暴力を
「愛情」と言っている。


【受賞歴】

第8回笑わん会 最優秀賞
第39回NHK上方漫才コンテスト 優秀賞
第8回MBS新世代漫才アワード 準優勝
第41回NHK上方漫才コンテスト 優勝
第9回MBS新世代漫才アワード 優勝



【パーソナルデータ:田中 一彦】

大阪府高槻市出身。
自称「キャプテン」、スーパーマラドーナのリーダー。
銀シャリの橋本直らと大人数で暮らしていたが、その後baseよしもとの楽屋に住んでいると
言われていた。 ‎5upよしもとの楽屋にも住んでいると言われている。
頭を叩かれた感覚だけで、叩いた人が武智か武智でないかが分かるという、いわゆる
「利きツッコミ」ができる。


【パーソナルデータ:武智 正剛】

愛媛県松山市出身。
「暴力とSEXで俺は売れる」と言い張っている。
baseよしもとの元暴走族芸人を集めた「武智軍団」というものを作っている。
ソラシドの本坊元児とは、中学校の同級生。NSCでは本坊が先輩のため、「本坊さん」と
呼んでいる。しかし本坊は、芸人として先輩にも関わらず、武智のヤンキー時代を
知っているため、武智を恐れている。
元田中上阪の「ジェットコースター」、元にのうらご西森と大林の「モンスターエンジン」と
いう名前をつけたのは武智である。
一時的に解散した後は元「西海岸's」のぶぅやんと新コンビ「ロシアンルーレット」で活動していた。
小藪千豊率いる小藪軍団に所属している。

2010年8月21日の単独ライブ「スーパーマラドーナvsイーグル漫才」のエンディングにて、
実は2年前に入籍しており、女の子が誕生したことを初めて明かした。
父親は元プロボクサーで武智が幼稚園生のときからボクシングのトレーニングを
やらされており、持ち前の力強さは、このトレーニングの賜物と思われる。
NSCに入学するお金を稼ぐため、滋賀県の工業地帯へ出稼ぎに行ったことがある。

スポンサーサイト
所属事務所:吉本興業
メンバー 東野幸治 ピン芸人


兵庫県宝塚市出身。兵庫県立宝塚高等学校卒業。
1967年8月8日生まれ、O型。

1985年、高校3年生の時に吉本興業の新人オーディションを受け合格し、芸人となる。
当時、お笑いブームが終わりダウンタウンという新しい世代の芸人を中心に吉本興業が
新たなムーブメントを起そうとしていて、そのオーディションの一環でダウンタウンが
2丁目劇場で公開録音していた「心斎橋お笑い探検隊」というラジオ番組に出演する。
一時期、大学に通う友人に乗せられ大学受験を決意し芸人を休業するも受験に失敗し、
その後は芸人活動に本腰を入れる。

若手時代は心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動、ダウンタウンが司会を務める公開生番組
『4時ですよ〜だ』などに出演していた。番組開始当初は素人参加コーナー
「ダウンタウンの欲望」の募集の告知を呼びかける「欲望の男」だけの役であったが、
次第に頭角を現し、最後の半年は今田耕司・石田靖らとともに司会を任されることとなる。
また『4時ですよ〜だ』が放送されていた頃、今田とのコンビで2丁目劇場の超若手が
出演するライブイベント「2丁目jrたんけんたい」(上部組織にダウンタウンが
メイン司会を務める「2丁目探検隊」というライブがあった)の司会進行を担当していた。
この頃の月収は7~8万円程度で、とくに危機感も向上心も湧かなかったという。

『4時ですよ〜だ』の終了後、今田らと共に、当時立て直しが急務となっていた吉本新喜劇の
補強メンバーとして出向を命じられる。当初は吉本新喜劇行きをどうしても受け入れる事が
できず、吉本興業を退社し植木屋に転職する事を考えていた。しかし、今田らの熱心な
説得により芸人引退を思い止まり、吉本新喜劇入りも受け入れる事になる。
その吉本新喜劇では主に主役として出演する。その後、24歳で結婚し子供が生まれる。
今田同様、ダウンタウンを慕い、彼らが上京した1年後に東京へ進出する。

東京進出後、最初は「協調性がないから」と参加を見合わされていた
『ごっつええ感じ』のレギュラーを獲得。しかしコアな笑いを求める。

『行列の出来る法律相談所』に出演するようになってから、コアな笑いは茶の間には受けない
事を知り、“距離感”を学ぶ。

今田耕司や松本人志、島田紳助らから「愛情がない」「人の心を忘れた冷徹なモンスター」
「他人の心にスタッドレスタイヤを履いて踏み込んで来る」「本気で人のことを好きに
なったことが無い」「人の話に興味がない」「家では換気扇の絵ばかり描いている」などと
言われることがある。

学生時代に水泳のジュニアオリンピック候補に選ばれた事もある。
1つ年上の兄とともに「宝塚のスポーツ兄弟」、「トビウオ兄弟」と呼ばれ、その評判は
関西全域に轟いていたという。
最近健康のためゴルフを始め「東野ゴルフクラブ」を設立。東野ゴルフクラブの主要
メンバーは出川哲朗、蛍原徹(雨上がり決死隊)、原西孝幸(FUJIWARA)、大山英雄、
岡村隆史(ナインティナイン)、博多華丸(博多華丸・大吉)、堀内健(ネプチューン)、
ゴルゴ松本(TIM)、堤下敦(インパルス)、梶原雄太(キングコング)、陣内智則、
田村亮(ロンドンブーツ1号2号)。

2000年には小説『泥の家族』で作家デビューを果たし、内容に関しては「7割が作り話で
3割が実話」とコメントしている。テレビ番組で出版社に売れ行きを問い合わせたところ、
1万部発行したところ実質3千部しか売れず、残りの7千部は廃棄処分になったという。
タレント本としては異例の少なさだったとのこと。


所属事務所:吉本興業
メンバー 今田耕司 ピン芸人


大阪府大阪市出身、清風高等学校定時制課程普通科卒業。
1966年3月13日生まれ・A型。
実家は導善寺という本門法華宗の寺である。父は会社員と住職を兼業。
1981年、全寮制の日生学園第二高等学校に入学。しかし、寮から脱走しそのまま中途退学した。
今田が在籍していた当時はスパルタ教育で、朝4時起床、校外への外出(帰省)は春休み、
二十日間の夏休み、冬休み、のみで、寮生活は上級生が下級生を奴隷のように扱い、暴力、
リンチは日常茶飯事という厳しい校風であった。本人曰く、暴力は何とか我慢出来たが、
ゲイの先輩に自慰を手伝わされたことに精神的に耐えられず、逃げ出そうと決心した。
偶然にも後に芸人として先輩後輩の関係になる浜田雅功も同校卒業生で、浜田も何度か寮を
脱走していた。
その後、清風高等学校定時制課程普通科に入学。昼間は日本一若い店長になることを
目標にしてラーメン屋で働いていた。
1985年、定時制高校の卒業後は「手に職をつけるため」として専門学校の入学を検討するが、
入学料がどこも高く悩んでいた。その中で、最も入学料が安かった学校として、
吉本総合芸能学院に目が留まり、入学を志す(当時NSCの入学料は5万円程度だった)。
その後NSC4期生として入学。同期には130R(ほんこん、板尾創路)がいる。デビュー時は、
ほんこんとお笑いコンビ『ダブルホルモンズ』を結成し、当時ほんこんは「骨付きカルビ」、
今田は「上ロース」という芸名で活動を始める。
1986年、ダブルホルモンズを解散し、ピン芸人として活動を始める。
1989年、「4時ですよーだ」終了後、東野幸治らと共に吉本新喜劇の補強メンバーとして活動。
時には座長として舞台をこなす。
1990年にダウンタウンを慕い東京進出。「ごっつええ感じ」で全国的な知名度を獲得する。
以来ダウンタウンの番組出演のほか、Wコウジとして司会などで活躍した。

現在は多数のレギュラー番組に出演しているほか、ルミネtheよしもとで新喜劇の座長も
務めている。

動物が好きで過去にペットを15匹飼っていたことがった。
キレイ好き(潔癖症)で知られ、酔って自宅に戻った後でも部屋の掃除と洗い物は
欠かさないほど。掃除グッズおたくでもある。
ブルース・リーの大ファン。自宅にはブルース・リーのフィギュアやポスターが部屋中の
いたるところに整然と飾られており、自らが「ブルース・リーBAR」と呼ぶスペースまである。
芸能ゴシップが大好きであり、東野幸治と共に「吉本のゴシップ兄弟」を自称している。
東野曰く「今田の兄貴は難しい漢字は全てゴシップ誌で学んだ」。
漫画愛好家であり、自宅に漫画を読むための部屋を持ち、複数の漫画雑誌も購読している。

東野幸治とはデビュー当時に舞台で知り合い、意気投合。「4時ですよーだ」などで2人で
コントを披露して以降、多くの番組で東野と共に司会を務めた。東野と共に『Wコウジ』と
称されているがコンビではない。
所属事務所:松竹芸能
メンバー :有野晋哉(1972年2月25日・B型)
       濱口優(1972年1月29日・A型)


2人の出会いは、中学時代に同じ塾に通っていたことがキッカケ。中学も同じではあったが
同じクラスになったことはなかった。
当時はお互いにことを「アリシン」「グリ」と呼び合っていた。
学生時代はバンドを組み「ZIGGY」などのコピーをしていた。

高校を中退していたかつてのクラスメイト(テンダラーの白川)が、吉本興業の養成所であるNSCに
入学したことを知り、「そんな身近にいた人が芸人になれるのなら、自分もなれるのではないか」
と濱口が考え、就職が決まっていた有野を誘った。卒業後の1990年、既に東急ホテルのコックに
就職していた有野を濱口が「のりピーと結婚する為にはコックよりお笑い芸人の方が可能性が
あるやろ」と言って口説いき、「俺は渡辺満里奈と結婚するからお前はのりピーと結婚せぇ、
コンビ組もうぜ」「せやな」と言ってコンビ結成。

「吉本はライバルの若手芸人が多い、松竹なら簡単に売れる」という理由で、吉本興業ではなく
松竹芸能の養成所を選んだ。
初舞台当時のコンビ名は「有野&濱口」。その後コンビ名を「なめくぢ」にするが、それでは
売れないと事務所と北野誠に改名を促され、その場に置いてあった幼児向け雑誌の「よいこ」から
コンビ名がとられた。しかし当の2人は改名に乗り気でなかったため、ささやかな反抗で「ゐ」の
字を使い、現在の「よゐこ」となった。
コンビ結成後、『怒涛のくるくるシアター』『すとらびん式』などに出演するが、旧来の
演芸番組では受け入れられず、早いうちに東京進出を果たすことになる。テレビ番組
『とぶくすり』などで知られるようになり、その後、90年代中盤から
『ウッチャンナンチャンのウリナリ』・『めちゃ×2イケてるッ!』・『笑っていいとも!』などで
露出が増えるようになった。また、渡辺満里奈のラジオ番組にゲスト出演したのを機に
「満里奈がファンらしいから使ってみるか」という話になり、全国ネット進出の足がかりを掴んだ。
実はこの出演は、ある日大阪に来ていたスチャダラパーがよゐこの存在を知り、生で見たいため、
友人である満里奈を動かしたことが明かされている。

年1回夏冬にそれぞれ単独ライブ(よゐこライブ)を開催している。このうち夏のライブは
「よゐこのこども祭り」と題し、4歳から12歳までの子供を対象にしており、大人と子供
(4歳~12歳)での参加が必須条件となっており、大人同士、子供同士でのチケット購入は
できない。また、4歳以下の子供も入場することができない。小学館学年誌「小学一年生~六年生」
では、先行予約も行っている。舞台では濱口が主役、有野が悪役という役割がほとんどである。

漫才ではなくコントを主体としている。デビュー当時は濱口が主にネタを作っていたが、
後に二人で作るようになり、その後にそれぞれ別々に作成するスタイルとなり、それは現在まで
続いている。その内容は不条理や意味不明と形容され、シュールと称される事が多い。
初期段階よりシュールなコントが売りになっており、お笑いニューウェーブ等では、
シュールコントの元祖として紹介されていた。一般にコントにおいてはボケとツッコミという
構成が定式であるが、よゐこの場合、ツッコミ担当の濱口が極度の“天然ボケ”であるため、
結果的に「よゐこには、ボケ・ツッコミの観念が無い」との認識がなされており、それが彼ら
独自の芸風になっている。よゐこ自身は早いうちから「有野がボケ、濱口はそれに対する
戸惑いでツッコミではない」としている。
因みにシュールさを倍増させる台詞の『棒読み』は、敢えてしていたという徹底ぶり。しかし、
最近ではベタなパターンに変わってきており、コントでもネタに応じて、主にボケを担当する方と
いう決まりが無くなっている。

ウッチャンナンチャンさまぁ~ずネプチューン・出川哲朗・キャイ~ン・TIMらと共に
ウンナンファミリーと呼ばれている。


【受賞歴】

1992年 『第13回ABCお笑い新人グランプリ』審査員特別賞




【パーソナルデータ:有野晋哉】

大阪府出身、大阪市立汎愛高等学校卒業。
高校卒業後、ホテルのレストランにコックとして勤務していたが濱口に誘われお笑いの道へ。
嫌煙家で、酒も飲めない。
趣味が幅広く、ゲーム、アイドル、アニメ、漫画など、オタク系の趣味が多い。
運動神経が悪い。

デビュー当時の漫才、めちゃイケの前身番組『とぶくすり』時代はキレのあるボケの連発で天才の
名をほしいままにした。そのシュールな芸風から「松竹の松本人志」と呼ばれた時期もある。



2005年3月1日、加藤浩次・香織夫妻の媒酌により元タレントの北村祐子と結婚した。
北村とは誕生日が1日違いで、有野、北村の誕生日の次の日に入籍している。2人にはゲームという
共通の趣味があり、北村が有野の趣味を理解してくれたことから結婚に踏み切った。
2006年3月10日に長女が誕生し、出産にも立ち会っている。
2007年9月2日午後10時16分に次女が誕生した。

2004年11月1日、絵本『冷蔵庫』を発売し、作家としても活躍している。




【パーソナルデータ:濱口優】

大阪府此花区出身。大阪市立汎愛高等学校卒業。

家族構成は祖母、父、母、弟2人。実家は大阪市内にある、喫茶・軽食「はまゆう」。祖父は漁師、
祖母は海女。上の弟は演劇俳優の濱口秀二で、KBS京都の「谷口な夜」などKBSローカル深夜
番組に出演していることが一部で有名。末弟はタロット占い師の濱口善幸で、兄・優が
メインMCを務める「イツザイS」(テレビ東京)に2010年1月からレギュラー出演している。

有野と同じく嫌煙家でお酒も飲めない。


『キン肉マン』が好きで、『キン肉マン二世』では「ステップマン」という超人をデザインし、
本編で採用され悪行超人を応援した。しかし、ライトニング&サンダーにあっけなく2ページで
破壊される。キン肉マンに対する思い入れは強く、上京する際はキン肉マン消しゴムだけ
持っていったほどである。
所属事務所:吉本興業
メンバー   :剛(1970年12月4日生まれ・B型・ボケ)
         礼二(1972年1月19日生まれ・A型・ツッコミ)


2人は実の兄弟。礼二が小学2年のときに初めて父に連れられなんば花月に見に行く、その後剛も
行くようになった。礼二は最初は行くのが嫌だったが、電車に乗れるのが楽しくて付いて行った。
いつの間にか漫才にどっぷりはまり、花月の最前列で舞台に釘付けになるほど2人はファンになる。
礼二の初デートはうめだ花月。当時礼二がファンだったのは太平サブロー・シロー。

ともに大阪府守口市立梶小学校及び梶中学校卒業。ちなみに、 ますだおかだの増田英彦は
剛の小学校・中学校の1学年先輩にあたる。また、元ジャリズムの渡辺の弟は礼二と同級生で
自宅にも行ったことがある。


元々は剛が芸人になりたいと思っており、相方を探していたが友人・知人にことごとく断られたため、
勝手にNSCの入学願書に弟・礼二の名前を書き、入学させた。
NSC時代はコンビ名を「中川兄弟」としていたが、先輩に「千原兄弟」がいたため「中川家」に
改名した。コンビを組み、漫才を始めるにあたり、礼二は母親から「あんたは芸人に向いてるけど、
剛はなぁ…。あの子、いっこもしゃべりあかんやん。」と、剛に対してのダメ出しを
くらっており、剛本人も母からダメ出しを食らい、礼二がそれを隣の部屋で聞いていた。
吉本興業の大阪NSC第11期生。同期には陣内智則、ハリガネロック、ケンドーコバヤシ
たむらけんじ等。NSC出身者以外では藤井隆、ココリコ、海原やすよ・ともこ等が同期。
NSC在学中に漫才が認められており、当時では異例の在学中にオールザッツ漫才に「
中川兄弟」で出演した。
2001年、第1回M-1グランプリでは大本命というプレッシャーの中、初代チャンピオンとなり、
その前後に本格東京進出。

ネタは漫才を主軸としており、漫才は剛がネタを作りボケで、礼二がツッコミだが、コントの時は
礼二がネタを作り、ボケを担当も礼二でツッコミが剛になる。
ネタの打ち合わせはほとんどしていない。最初と落ちだけ決めておいて漫才を進めていく
パターンで、舞台で何度もやっていくうちにネタを固めていくスタイル。このスタイルは
浅草キッドの水道橋博士とますだおかだの増田英彦に、常設の劇場があり場数を踏める
吉本所属だからできると評された。

兄弟揃って高校時代はラグビー部に所属。

仕事以外の場で顔を合わせる際には通常の兄弟の間柄に戻るため、漫才でのやりとりとは異なり
剛が上の立場になる。実家で顔を合わせた際には、剛が礼二に買い物してくるよう指示することも
多く、ネタ合わせも剛主導。同じ兄弟コンビの千原ジュニア曰く、「中川家は"コンビ"よりも
"兄弟"のほうが強い」。
一時期、剛がパニック障害を患い、人ごみに入ると呼吸を忘れてしまう程重症だった。
その当時の電車移動では、礼二が1駅ごとに剛を下車させ、呼吸をさせていた。


【受賞歴】

1995年 上方漫才大賞新人賞
1996年 ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞
2001年 上方お笑い大賞最優秀技能賞
2001年 M-1グランプリ優勝
2002年 ゴールデン・アロー賞芸能賞
2003年 国立演芸場花形演芸大賞銀賞
2009年 S-1バトル月間チャンピオン(11月)
2010年 第45回上方漫才大賞



【パーソナルデータ:剛】

本名:中川 剛
ボケ(最近ではツッコミが多い)、ネタ作り(漫才)担当。

中学・高校とラグビー部に所属し、ラグビー好きとして知られているが、一度もレギュラーに
なれなかった(ベンチ入りはしている)。
高校卒業後は土木建築の会社に勤務していた。また町工場で冷蔵庫を製造するアルバイトも
していたこともある。
無類のネコ好き。

一時期、パニック障害を患い仕事を休んでいた。
2002年、一般女性と入籍。
2003年4月 双子男児が誕生。


息子には自分が漫才師であることを隠しており、息子は「漫才師のことに詳しいおっちゃん」
と思っている模様。



【パーソナルデータ・礼二】

本名:中川 礼二
ツッコミ(最近ではボケが多い)、ネタ作り(コントやアドリブ系)担当。

兄の剛に誘われ芸人の道を志す。芸人になる前はリコーでサラリーマンをしており、
「営業トップ賞」を受賞したこともあった。
高校時代はラグビー部に所属。
大の鉄道ファンで、JRの車掌のモノマネを得意としている。

酒癖が悪く、以前広島市内の飲食店で女性に暴行(礼二本人は「若干酔っていてツッコミのつもり
で軽く叩いたつもり」と弁明)を加えたとして警察に事情聴取を受け一時活動を停止した。
その事件をキッカケに禁酒宣言をしたが、現在はまた飲んでいる。

1998年 一般女性の入籍、その後離婚。
2009年4月8日、 愛知県出身でピアノ講師の一般女性と再婚。
2009年11月5日、長女・奈名子が誕生。名付け親は兄の剛。
所属事務所:吉本興業
メンバー  :バッファロー吾郎A(木村明浩・1970年11月24日生まれ・A型・ツッコミ)
        竹若元博(1970年8月12日生まれ・O型・ボケ)


2人は大阪NSCで出会いコンビ結成。8期生であり、同期に千原兄弟、FUJIWAR、
ナインティナイン。なだぎ武など。
「バッファロー吾郎」というコンビ名は吉田ヒロによって命名された。
吉本の若手ユニット「吉本印天然素材」に結成時より参加。解散後は大阪へ戻り
自分達の笑いを展開しようと心に決める。一時期はテレビ出演を拒否して舞台にのみ
専念していた時期もあった。

ライブは小規模なライブハウスから始まったが、年々ライブの規模は大きくなっている。
梅田芸術劇場や大阪府立体育会館など、通常、お笑いのイベントを行わないような大規模な
会場でライブを行っている。

若手芸人を自分達のイベントに呼び、育てている。その基準は「実力があるのに会社が
推す事のなさそうな奴ら」だと言う。

バッファローファミリー(バッファロー軍団)というファミリーが存在する。
(本人達が公言しているわけではなく、後輩やメディアがそう銘打っている。さらに、
これはリットンファミリーの内部組織と思われる)。主にダイナマイト関西などの出演者で
構成されている。メンバーはケンドーコバヤシ、小籔千豊、土肥ポン太、野性爆弾、
ザ・プラン9、サバンナ、レイザーラモン、笑い飯、千鳥、南海キャンディーズ、ダイアン、
とろサーモン、友近、ネゴシックス、中山功太など。

年末恒例の特番『オールザッツ漫才』には開始以来16年連続で出演し、最年長のコンビと
なっていたが、2007年度以降出演を辞退している。

2008年の第1回キングオブコント優勝後、全国区のテレビ番組への出演が増えたことや、
2009年にはコンビ結成20周年という節目の年を迎えたことから東京再進出を決める。

ネタは舞台を所狭しと暴れまわるダイナミックな動きと、重箱の隅をほじくるようなマニアック
なネタが特徴。格闘技ネタが多く、その芸風はデビュー当時から現在までほとんど変わって
いない。マニアックな芸風はリットン調査団からの影響を受けている。

バッファローファミリーの若手はバッファロー吾郎を追い抜いて出世して行く事が多い為、
ケンドーコバヤシ曰く「バッファロー吾郎は若手の極上の踏み台」とのことであるが、
もちろん彼特有のジョークであり、彼なりにバッファロー吾郎を尊敬している。
まったく売れておらず、会社にも相手にされていなかった頃に、バッファロー吾郎に
目をかけてもらったメンバーもおり、たくさんのメンバーがバッファロー吾郎に対する感謝の
念を語っている。
友近は芸人としての活動を始めた頃、バッファロー吾郎のラジオに出演した。この時に
友近が行った「ミナミの帝王に出てくる竹井みどりのものまね」に二人が爆笑し、
「面白い奴がいる」として業界関係者に彼女をPRした。このため友近の番組出演は増加し、
全国区の芸人として活躍するようになった。その後の逸話として、すでに全国区で売れ始めて
いた友近が、バッファロー吾郎の主催する年末カウントダウンイベントに参加するために、
全国放送される年末特番の仕事を断わった事がある。この時、友近は「テレビの仕事はまた
あるけど、兄さん達のカウントダウンはもう二度とないじゃないですか」と語ったという。
ケンドーコバヤシは「バッファロー吾郎のために何ができるか?」というインタビューの問に、
「死ねと言われたら躊躇するかもしれないが、銃弾が二人に飛んできたのなら迷わず盾に
なります」と珍しく真面目に答えている。

木村、竹若ともにシティーボーイズを敬愛している。


【受賞歴】

2008年 キングオブコント優勝


【パーソナルデータ:バッファロー吾郎A】

本名:木村明浩(きむら あきひろ)
兵庫県神戸市出身。兵庫県立須磨東高等学校卒業。

お笑いイベント「ダイナマイト関西 〜全日本大喜利王決定トーナメント〜」の
インタレスティング・プロデューサーを務め、イベントを成功させている。ただ木村は
毎回出場しているにも関わらず、準決勝以上へ進出したことが一度もないため、このことを
ネタにして頻繁にいじられている。

相方の竹若やケンドーコバヤシなどの後輩からいじられ、つっこみ返す事で笑いを生む、
「いじられ芸」、「つっこみ芸」を確立。

傾向としては、相方とは異なるもって回ったようなベタな笑いを好む。わざとベタなことを
するため、ウケる人にはウケる。また、スベった後にそれを笑いに変えていくのが大好き。
しかし、素ですべることも多い。「すべり芸」も一級品である。そんな木村の才能を
認め評価する先輩の1人が東野幸治。「はよ東京来い!」と発破をかけている。後輩の
岡村隆史もラジオ番組にてバッファロー吾郎の全国区進出を望む発言をしている。


漫画やアニメ、プロレスのどうでもよい知識や、雑学に詳しい。芸人の中では比較的早い
段階からネットに進出し、自身の企画するイベント「ホームラン寄席」の公式ホームページや
自身の個人ページを立ち上げていた。
デビュー当時にコンビ名「Wメガネ:ミキ&アイガン」を名乗っていただけに、それ以来
ビジュアルイメージとして眼鏡キャラを保っているバッファロー吾郎だが、実は二人とも
レーシックを施しており、視力が回復している。視力が回復しているにも関わらず、
イメージを守って眼鏡の着用にこだわっている。

お笑いに対するその硬派なスタンスは、若手からも「尊敬する芸人」として明石家さんま、
ダウンタウンらと並び名前が挙げられるほどである。普段はいじられつつも、
後輩の面倒見もよく、そして権威には媚びない、然るべき時には物申す漢気のある人物である。

2011年11月24日から、自信が尊敬する漫画家の藤子不二雄Aにあやかり、芸名を
「バッファロー吾郎A」に改名。

2001年に結婚するが2009年に離婚。



【パーソナルデータ:竹若 元博】

京都府京都市出身。京都教育大学附属高等学校卒業。
バッファロー吾郎結成前は四面楚歌というコンビを組んでいたが、早くに解散した。

吉本屈指の運動神経を誇り、バク転ができる(天然素材時代は岡村隆史の次にダンスが上手く、
岡村と共にセンターポジションにいた)。ボケのセンスは高く評価されており、松本人志の
ラジオに電話出演したりもしている。大喜利が最も得意で、後輩からは「大喜利の神」
などと称せられることもある。お笑い以外にも様々なことに精通している。

中学、高校は名門 京都教育大学附属高等学校 だったが、大学に進学はせずNSC入りした。
過去にヨシモト∞にて「自分がいたクラスは僕ともう一人が就職組であとは全員進学」
「僕はNSCであと1人は『ランの栽培がしたい』と言っていた」と語っている。
高校時代はテニス部員であり、後輩から「メガさん」(メガネさんの省略形)と呼ばれていた。
初対面の相手には、無口でまじめ、という第一印象を与えることが多い。非常に生真面目な
性格で、NSC在学中は一度も授業を欠席したことがない。跳び箱を声を出して跳ぶという
授業があり、他の生徒が馬鹿らしいとサボっていた中、竹若は一人熱心に跳び続けた。
なお、その翌日から練習中に眼鏡が飛ばないようにと眼鏡に紐が付けられていたらしい。
昔、千原兄弟の千原せいじと一緒に暮らしていた。破天荒な生活ぶりで知られる靖史と
一つ屋根の下で同居することは並大抵の人間では無理とされており、ここからも竹若の寛容な性格が伺える。ナインティナイン岡村は竹若のことを「ガンジー」と呼ぶ。

かけているのは伊達メガネである。昔は伊達メガネではなく度が入ったメガネをかけていたが、
あまりに度が強く目が小さくなったのを嫌がり、コンタクトを装用したうえで伊達メガネを
かけるようになった。ちなみに現在かけているフレームの内側がチェックになっている眼鏡の
ブランドはレスザン・ヒューマン。他には999.9などの眼鏡を所持。なお2008年7月には
レーシック手術を行ったことを告白、裸眼での生活も支障なくできるようになった。

端整な顔立ちで生瀬勝久やくるりの岸田繁似ていると言われる。
人が良くほとんどキレたことがない。寝ぼけていたFUJIWARAの原西孝幸が竹若に小便をかけて
しまった際にも「ここトイレちゃうで」とつっこんだだけで全くキレなかったという。
千原ジュニア曰く『仏の竹若』。

釣り、プロレス、猫が大好き(飼い猫は、アズキとツユクサ)。ゲームやマンガ、アニメにも
造詣が深く、特に「機動戦士ガンダム」や「ジョジョの奇妙な冒険」、「ドラゴンボール」、
「キン肉マン」、「グラップラー刃牙」を好む。『スーパーロボット大戦シリーズ』では
ルー・ルカを熱心に育てている。一番カッコイイと思うモビルスーツはハンブラビ。
好きな超人はブロッケンジュニア。好きなアニメの女性キャラクターは人造人間18号。
基本的に多くの分野に博識である。ミステリー小説も好きで、自身のブログではよく森博嗣の
作品を取り上げていることがある。

2005年3月 一般女性と入籍。
2007年11月 第一子となる長女が誕生。
所属事務所:吉本興業
メンバー  :松田大輔(1977年3月2日生まれ・O型・ボケ)
        ハチミツ二郎(1974年11月20日生まれ・O型・ツッコミ)


ハチミツ二郎が20歳の頃、パチンコ店で店員をしていた曽根卍(そねまんじ)と知り合い、
初代「東京ダイナマイト」を結成。新宿ラ・ママのオーディションで初舞台を踏む。
1997年10月、浅草キッド主催のライブ、浅草お兄さん会で優勝。その後も浅草お兄さん会と
大川興業主催のライブ「すっとこどっこい」にレギュラー出演。しかし、ハチミツが社長を
務めていたインディーズのお笑い事務所「トンパチ・プロ」の低迷期に初代は解散した。

新しい相方を探していたハチミツが、元「温泉こんにゃくアクロバットショー」の松田と知り合い、
松田が以前より「(ハチミツと)コンビを組みたい」と考えていたことから意気投合。
「トンパチプロ」の解散宣言と同時にコンビ結成を発表し、2001年、新生「東京ダイナマイト」が
スタートした。それに伴いマネージメントがオフィス北野預かりとなり、これと前後して
浅草キッドと師弟関係を結んだ。

結成3年目の2004年、M-1グランプリで決勝に進出し、全国区の知名度を獲得した。
以後ゴールデンタイムのお笑い番組などにも出演して活躍を続け、当時の事務所の大先輩であり
大師匠(師匠の師匠)に当たるビートたけしからは「ようやくウチから商品になる奴が出てきた」
と高い評価を受けていた。

2008年6月20日をもってハチミツがオフィス北野を退社した。松田は広告契約の関係からすぐには
退社できないが、2009年3月に退社することとなった。

2008年9月5日にオスカープロモーションとマネジメント契約をした事を発表したが、
2009年3月15日付でそのオスカーからも退社。松田も3月をもってオフィス北野を退社した。
オスカー退社の理由は「M-1グランプリで4年連続準決勝敗退に終わったことが相当悔しかった」
ため「武者修行の旅に出たい」とのことで、オスカー側も「温かく見守ってあげたいと思います」
と円満退社である旨コメントしている。

2009年4月からは、そろってフリーとなる。また、同年より、よしもと浅草花月を中心に、
よしもとクリエイティブ・エージェンシーの直営館への出演が増えており、
なんばグランド花月にもゲスト出演を続けていた。

2009年、よしもとクリエイティブ・エージェンシーへ所属する事を発表した。ただし
ビートたけしは「吉本に行ったら新人扱いになっちゃうから、ハチミツ二郎は店をやったり
いろんなことやってるからいいけど相方がかわいそう」とこの移籍には否定的な見解を示している。

コンビ名は、ニューロティカの楽曲『東京DYNAMITE』からとったものである。
オフィス北野所属のタレントにはビートたけしが芸名をつけることが多いが、たけしは
その場の気分でふざけた名前を付けることも多いため、「ひどい名前をつけられたら
たまんないから」と自分たちで勝手につけた名前。
「同業者向けにネタを作っている」と公言しており、世間的な評価よりも芸人間での人気や
評価が高いコンビでもある。「東京ダイナマイトのネタを袖で見ている芸人は売れる」という
ジンクスまであり、2007年にサンドウィッチマンが、2009年にパンクブーブー
M-1グランプリで優勝しそれを実証することになる(両者とも東京ダイナマイトの袖芸人)。
パンクブーブーのネタ作成担当・佐藤は、ルミネのスタッフに頼んで東京ダイナマイトの
ネタ部分だけを自分用にダビングしてもらっているそうである。
東京ダイナマイトは2010年2月10日のブログで、「もしかしたら、パンクブーブーと一緒に
俺のネタを袖で見ていたあべこうじもR-1とるかもな」とコメント。それから一月も経たないうちに、
その言葉は現実のものとなった。

ブログ内で「自分たちはテレビの笑いを否定するライブ芸人」と述べていたり、舞台に対する
熱い思いを綴っていることも多く、現在のお笑いブームに対しては否定的なスタンスであるらしい。


【受賞歴】

2004年 M-1グランプリ8位
2009年 M-1グランプリ6位



【パーソナルデータ:松田大輔】

岐阜県揖斐郡大野町出身。
趣味は、野球、サッカー、釣り。特技は、スノーボード。
ハイテンションでシュールなボケが特徴。

元々、青木さやからと温泉こんにゃくアクロバットショーという5人組のユニットを組んでいた。
東京ダイナマイトの相方ハチミツ二郎とは、青木が松田を紹介する形で知り合った。
東京ダイナマイトのコンセプトに合わなかったため実現しなかったが、青木は自分も加わり
トリオでやりたかったという。また、収入が無かった頃、ハチミツ二郎とともに青木ファンに
青木の下着を売ろうとしたことがあるが、そのファンが拒否した。

2007年6月5日、ロシア人の血を引くクォーターの一般人女性と結婚。
同年12月6日、第一子である男子が誕生。
2011年10月、離婚。

親は借金がかなりあるらしく、息子に被害がいくと心配され離婚すると伝えられていた。
しかし2005年12月5日放送の『お台場明石城』の「さんまの授業参観ラボ」で、松田の両親が
出演した際、やはりまだ離婚していないことを伝えられた。それでも借金はあるようだが、
父親は息子がテレビに出演するだけで大金が入ると思っているらしく、現在仕事を休業している。

マザコンである。名古屋の番組の収録時、カメラのテープチェンジの間に、観覧に来ていた
母親のもとに行き、膝枕で耳かきをしてもらったという。また、東京に来てから一度も美容院に
行ったことがなく、実家に戻り母親に切ってもらっている。
母親とともに漫才を何回か披露している。

【パーソナルデータ:ハチミツ二郎】

本名、高野 二郎
岡山県倉敷市出身。
クールなツッコミで松田のボケを見事に受け流す。
趣味は、睡眠、格闘技、握手。
お笑いプロレス団体西口プロレスの所属レスラーとしても活動している。

東京NSCの1期生であり、品川庄司と同期。
浅草キッド主催の『お笑いリングス』で活動開始、その後インディーズのお笑い事務所
「トンパチ・プロ」の社長を務めていた。その頃に、曽根卍と(初代)東京ダイナマイトを結成。
また、当時ハチミツ主催のライブにたびたび出演していた猫ひろしの名付け親でもあり、
猫ひろしのネタやプロフィールはほとんどハチミツが考えたものである。お笑い芸人の傍ら、
AV男優として出演していた時期もあり、その時も芸名は変えていなかった。
2001年、(二代目)東京ダイナマイトを結成。オフィス北野にマネジメント預かりという形で
所属する。一時期、浅草キッドの付き人をしていた。
2005年7月の『M-1Dynamite』という日比谷野音で行われた単独ライブの際にエンディングで
元々持っていた椎間板ヘルニアが悪化。そのまま8月5日に入院。8月14日に立ち始め8月20日に
退院した。予定よりも2週間早い退院だったらしく周りの人々に「凄い、凄い!」と言わせたほど
超人的なスピードだった。また高血圧でも入院したことがある。
自称『日本一もてる肥満体』。

2008年6月20日、オフィス北野を退社
2008年9月5日、オスカープロモーションとマネジメント契約
2008年11月5日に鍋料理店「Dining二郎」を開店した
2009年3月15日、オスカープロモーションから退社、相方松田も3月でオフィス北野を退社した。
2009年4月、コンビ揃ってフリーとなる。
2009年8月24日、公式ブログで、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。

メキシコにてプロレスラーのライセンスを習得した。
2010年8月3日、元メロン記念日・斉藤瞳との入籍。
2011年10月14日、2011年8月に離婚していたことが報じられる。

かなりの酒豪で一時期は毎日10ℓ以上ビールを飲んでいたらしい。しかし最近は体に気をつけて
グラス2杯程度にしている。
同じ岡山県出身というのもあってか千鳥のノブとはM-1グランプリで知り合って以降仲が良い。同
じくM-1以降、笑い飯の哲夫とは2人で飲みに行くくらい仲が良くなった。

『二郎会』という芸人仲間があり、部屋や店に集まり宴会を行い鍋などを振る舞っている。
主なメンバーはサンドウィッチマンの伊達みきお、タイムマシーン3号の関太、
超新塾のDRAGONタカヤマ、末高斗夢、U字工事
猫ひろしが一時期、付き人をしていたことがある。
所属事務所:浅井企画
メンバー  :ウド鈴木(鈴木 任紀・1970年1月19日生まれ・AB型・ボケ)
        天野ひろゆき(天野 博之・1970年3月24日生まれ・A型・ツッコミ)


2人共にお笑い芸人として浅井企画に入る。同い年だが、ウドの方が一年先に事務所入りしている。
当初はそれぞれ別々にコンビを組んでいたが、解散・単独活動を経て、山中伊知郎の助言に
より1991年にキャイ〜ンを結成。捕らえ所の無いウドのボケと、それを転がす天野の
コンビネーションにより、キャイ〜ン独自の笑いのスタイルを作り上げる。

ネタは天野が全て書いている。天野曰く「ウドならこう言う」とイメージしながら製作している。
結成当時、時事ネタの「爆笑問題」とボケの玉袋筋太郎のバカキャラが売りの「浅草キッド」が
最も勢いのある漫才師で、天野はその中間を狙い難しい時事ネタをウドというバカキャラを
通して解りやすく伝えるということが根底にネタを書くとのこと。またウドがネタの
覚えが悪いため、ネタ中のフリのほとんどは天野が行っている。

コンビ名は漫画「マカロニほうれん荘」に出てくるキャラクターのセリフからとったもので、
天野が命名。「〜」の部分だけウドが考えたという。その時のコンビ名候補としてウドは
「ヒトエーズ」(二人とも目が一重だから)を推していた。

初舞台の時だけは「チャネリングファック」という適当につけたコンビ名を名乗っていたが、
この名前ではテレビには出られないことに気づき、コンビ名をつけ直すことにしたという。

ウドの天野に対する溺愛ぶりが有名で、「お笑い界一仲の良いコンビ」と称される。
さまぁ〜ずの三村マサカズからも「デビューからこれだけ変わらないコンビも珍しい。」と
言われるほど仲が良い。

デビューしたての頃にテレビで競演したことがきっかけで出川哲朗と親しくなり、今でも
「隊長」と呼び、自分たちのことを「出川ファミリー」と称するほど慕っている。

明石家さんまのことを「師匠」と呼び慕っている。関根勤主催のライブ
「カンコンキンシアター」に出演した際には毎年さんまがダメ出しに来ており、そのダメ出しを
二人していつも楽しみにしているようだ。

ブレイクした時期が近いナインティナインやよゐことは仲が良い。

所属事務所は違うもののウッチャンナンチャンは師匠的な存在とされ、共に慕っている。
内村光良を「師匠」、南原清隆を「兄貴」(主に天野)と呼ぶことも多い。明石家さんまや
笑福亭鶴瓶など師匠と呼ぶことは多いが、兄貴と呼ぶのは南原だけである。

「キャイ〜ン」の言い方だが、初期はキャイ〜ンポーズをする瞬間に言っていた。
しかし2000年代に入り、「キャ」と「イ〜ン」のあいだに間を置くようになり、「
イ〜ン」を言いながらキャイ〜ンポーズをするようになった。現在では「キャッイ〜ン」と
いう感じである。


【パーソナルデータ:天野 ひろゆき】

本名:天野 博之(読み同じ)。愛称は天野っち(アマノッチ)。
愛知県岡崎市出身。愛知教育大学附属高等学校、日本大学国際関係学部国際文化学科卒業。

お笑い芸人になろうと思い、所属している浅井企画の広告を見てとりあえず電話したところ
即OKをもらった。「芸能界って簡単!」と思ったという。しかし萩本欽一には
「お前売れない。ウドはいいけど」と言われ、その言葉に対抗すべく努力したという。
『3年B組金八先生』シリーズで直江喜一が演じる加藤優が好きで、1995年には第4シリーズの
生徒役のオーディションを実際に受けたが落選した。
キャイ〜ン結成前に『コンビ解消』という名のコンビを組んでいた。そのときの元相方
とは今でも親交がある。
デビュー当時、自分が「芸人」ということにこだわりがあり、アイドルのようにキャーキャー
言われる吉本印天然素材メンバーやよゐこが嫌いだった(本人談)。しかし、よゐこの
有野晋哉が楽屋で漫画『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』を真剣に読んでいるのを見て「
いい奴かも」と思ったのがきっかけで、よゐこと仲良くなる。また天然素材メンバーだった
ナインティナインとも、何度も共演することで仲良くなっていった。

もともとは声優を目指していたが断念。しかし、『ウリナリ』にて『ウリナリ声優部』の
部長になり、『金曜ロードショー』では『マーヴェリック』の吹き替えで声優デビューを
果たした。しかし後に、学校の先生がやたら通知表に「天野君は声がいい!」と書くので
「声優になりたい」と言っていただけで、実はそんなになりたいわけではなかった。

コンビを結成した最初の頃は眼鏡を掛けておらず、顔に特徴をつけるため眼鏡を付けるよう
になった。最初はフレームが透明な特殊な眼鏡をかけていたが、1996年末頃に眼鏡を黒ぶちの
ものに変えた。視力は実際に悪く、黒ぶち眼鏡になった後も1998年までは眼鏡にレンズが
入っていたが、現在はレンズが入っていない伊達眼鏡をかけている。レンズをはずした理由は、
写真撮影の際にレンズが光を反射したために撮り直しになるのが面倒だから。
伊達眼鏡に変えた後はコンタクトレンズを使用していたが、レーシックを受けたことを明かした。
視力は0.06から1.5に回復しているとのこと。


【パーソナルデータ:ウド鈴木】

本名:鈴木 任紀(すずき ひでき)。
山形県出身。山形県立庄内農業高等学校卒。
柔道初段。芸名の「ウド」は、名付け親である「夢麻呂」という芸人が「体だけ大きくて何も
役に立たないウドの大木だな」と言った事から命名。

1990年、山形から出てきたウドは浅井企画に飛び込みで面接を受けに行き、門前払いを
食ったが、何も当てがなく東京に知り合いもいないため、事務所にいた「夢麻呂」という
芸人が面倒を見る事となる。その後、夢麻呂座長の劇団「TEAM童里夢」
(現YANKEE STADIUM 20XX)で初舞台に上がる。
その劇団には岡元あつこもいたため、同じ舞台に上がっていた事もある。
ピン芸人として活動していたが、1991年、お笑いプロデューサーの山中伊知郎の進言により、
天野ひろゆきとともにお笑いコンビキャイ〜ンを結成。ボケを担当。ビートたけしとの共演
などで人気が爆発する。関根勤が座長を務めるカンコンキンシアターではピン時代から
注目されていた。
2002年11月1日未明に東京・新宿区歌舞伎町の繁華街で若者と殴り合い、書類送検された。
友人が危害を加えられたため、やむを得ず実力行使に至ったとされる。
2004年より同年プロ野球に参入した東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉創立会員(会員No.10)となった。
2006年4月12日に2歳下のソムリエをしている女性と結婚(入籍)。
2007年2月23日山形県知事(斎藤弘)より山形の観光大使にあたる『おいしい山形大使』に
任命される。山形県の特産品のPRのため。
2007年4月13日東京・港区台場フジテレビ本社前の交差点でウドが運転する車で青信号で直進
したところ、対面車線から信号無視で右折しようとした車に衝突され、その車を運転していた
50代の女性が負傷した。ウドにはケガは無かった。事故発生直後の現場をフジテレビのカメラに
中継され、女性の運転席に駆けつけて謝罪するウドの姿が捉えられた。当初、この女性は
ウド側が信号無視をしたと主張、意見が対立していたが、その後、「前方不注意」だったと
主張を覆したために両名ともに書類送検され、5月23日に起訴猶予処分が下された。

お笑い界一相方を溺愛しており、キャイ〜ンは「芸能界一仲の良いコンビ」と呼ばれる。
「60代でも若過ぎる」と発言する程の、かなりの熟女好き。
所属事務所:アミーパーク
メンバー  :福田 薫(1978年5月12日・AB型・ツッコミ )
        益子卓郎(1978年6月16日・A型・ボケ)


2人は高校の同級生で2000年にコンビ結成。二人ともに桜美林大学出身。
大学進学時から上京して東京(大学時代は大学近辺の町田市及び神奈川県相模原市)で暮らし
ており、更に番組の罰ゲームで一時期本籍地を栃木から東京に変更していた。
1996年、高校生時代にアマチュアコンビとして『AHERA』に出演したことがあった。
また、高校3年生の時のクラスの文化祭の出し物は2人による漫才だった[7]。
『爆笑オンエアバトル』では2回連続オーバー500を記録したことがある。チャンピオン大会に
4度出場しているが、3回はセミファイナル敗退という結果に終わり、セミファイナルが
なかった第12回大会でもファーストステージで敗退した。
『M-1グランプリ』では、2003年から2007年にかけて5年連続準決勝進出を果たしている。
2008年には初の決勝進出を果たすも、5位に終わる。
これが原因で『レコメン!』の罰ゲームで本籍地を栃木県から文化放送のある東京都港区浜松町
に移すことになった。但しその2年後の2010年10月19日の同番組で
「2時間ノンストップ漫才」に挑戦し、リスナーの高い評価を得た為、本籍地を栃木県に戻した
(仮に評価が低かった場合、「ごめんねごめんね~」に因み、本籍を浜松町から
高知県南国市後免(ごめん)町に変更させられるところであった)。
しかし、レギュラー出演している『イブニング6』内の「Road to J SC 一枚岩」
(2009年1月5日放送)で、「とちぎテレビと栃木県を盛り上げてくれた」との理由で
とちぎテレビ社長・齋藤清衛から感謝状と金一封を贈呈された。
ラストイヤーである翌年2009年も出場。準決勝まで進出するが敗退。敗者復活にも出場するが、
2年連続の決勝進出はならなかった。これにより再び『レコメン!』の企画で栃木県民に
直筆の謝罪ハガキを送る事になったが、番組が往復ハガキでの希望者を募った所1万通を
超える応募があった。

栃木なまりでしゃべる漫才が特徴。上京当時は共通語でやろうとしたが無意識に訛っていると
言われていたため、水道橋博士の助言で訛りを強調するようになる。しかし、聞き取りづらい
との指摘があったことから2005年ごろから訛りを抑えめにしてゆっくり喋るようになっている。
U字工事という名前の由来について、2009年7月26日放送の『誰だって波瀾爆笑』にて、
高校時代の同級生より‘実は工事現場のU字溝の看板からその名が付けられた’という事実を
初めて明かされ、本人達も驚いた様子であった。
「ごめんねごめんね〜」はバイト先の人の言ったフレーズをパクったものであり、2003年
ネタに導入した。
衣装のスーツはオーダーメイドであり、色は白・銀・青・金が存在する。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTやDREAMS COME TRUEもオーダーしたことのある
洋服店の常連である。
下野新聞をネタ作りの参考にしている。
かつて二人でアルバイトをしていた東京都町田市にあるマグネシウム工場ではいつでも
戻って来られるように、今でも二人のタイムカードがそのまま残されている。その工場には
10年間勤務し、主にパソコンや携帯電話の細かい部品のバリ取りに従事し、面接官を
担当した事がある。また、その工場のバイトの後輩と飲酒して喧嘩をしたときに、後輩が
「あーじゃあ!もういいよ!俺がわりいーよ(悪いよ)!ごめんねごめんね〜!」と
言い切ったので、それを舞台で披露してみたらウケたので投げやりに謝るようになった。

浅草キッドに憧れて漫才の世界を目指しており、若手時代から浅草キッドに世話に
なっており、2009年5月19日放送の『草野☆キッド』の中で浅草キッドに感謝の言葉を述べると、
浅草キッドの二人は涙ぐんだ。

サンドウィッチマンとは仲が良く不定期にトークライブ「R-4」を開催している。
『M-1グランプリ2007 DVD』の特典映像では、サンドウィッチマンの自宅で行われた優勝祝賀会
にも参加しており、その際2人から「来年はお前らが決勝行けよ」と言われ、
翌年初の決勝進出を果たした。


【受賞歴】

2008年 M-1グランプリ5位
2010年 国立演芸場花形演芸大賞 金賞

【パーソナルデータ:福田 薫】

栃木県那須郡西那須野町出身。桜美林大学経済学部経済学科卒業。
趣味:競輪、野球、映画鑑賞
プロ野球は横浜ベイスターズのファン。
中学時代はバドミントン部、高校時代はラグビー部に所属していた。
金銭面については厳しく(所謂、ケチ)後輩に奢った金額をどれだけ酔ってもしっかり
把握している。
小説坂の上の雲の愛読者。
スカジャンが好きでよく着ている。
時代劇が好きで、今も鞄の中に藤沢周平の本が入っている。
田舎の1時間に一本しかでない電車が来たのにボーッとしてて乗らなかった、M-1決勝戦の直前に
行方不明になった。見つかったと思ったら2時間ねていた」などのエピソードがあり
「でれすけ」(栃木弁でだめ、いい加減なやつの意味)と相方に言われる。

2011年5月14日、一般女性と婚約。


【パーソナルデータ:益子 卓郎】

栃木県那須郡黒羽町出身。桜美林大学経営政策学部ビジネスマネジメント学科卒業。
趣味:演歌、野球

かなりの人見知りで、上京したばかりの頃、理容店に行く勇気がなく福田に髪を切って
もらっていた。
大の猫好き。
プロ野球は東京ヤクルトスワローズのファンである。好きな選手は真中満だった。

2011年6月24日の自身のブログで5年間交際していた一般女性と結婚を発表した。
尚、女性には7歳の連れ子(女児)がいるので結婚と同時に1児の父親となった。
アメトーク!!DVD紹介





 アメトーークDVD1

 ◆家電芸人
  ペナルティヒデ・関根勤・土田晃之・チュートリアル徳井
  劇団ひとり・TKO木本・品川庄司品川
 ◆ガンダム芸人
  土田晃之・千原兄弟せいじ・よゐこ有野・品川庄司品川
 ◆メガネ芸人
  笑福亭笑瓶・おぎやはぎ・カンニング竹山・バッファロー吾郎
  ドランクドラゴン鈴木・C-C-B笠・光浦靖子・南海キャンディーズ山里
 
 ◆特典映像:有吉弘行アダ名集

   3990円 → 2418円





  アメトーークDVD2

 ◆高田純次と絡みやすい仲間たち
  高田純次・関根勤・オセロ中島・出川哲朗
  モンキッキー・TIM
 ◆ホテルアイビス芸人
  ブラックマヨネーズ・メッセンジャー黒田・ケンドーコバヤシ
  チュートリアル福田・笑い飯・サバンナ・麒麟田村
 ◆中川家&次長課長即興コント
  中川家・次長課長
 ◆特典映像:イジリー岡田の楽屋探訪vol.1

    3990円 → 2541円 




 アメトーークDVD3

 ◆中学の時イケてない芸人グループに
   属していた芸人
  サバンナ高橋・矢野兵藤兵藤・ロバート・麒麟川島
  博多華丸大吉大吉・笑い飯西田
 ◆餃子の王将芸人
  世界のナベアツ・ケンドーコバヤシ・山崎真実
  チュートリアル徳井・ガリットチュウ福島・バナナマン
  ブラックマヨネーズ
 ◆江頭2:50ひとりゲスト
  江頭2:50
 ◆特典映像:伝説の山崎邦正乱入コーナー

   3990円 → 2436円




 アメトーークDVD4
 
 ◆ガンダム芸人 vs 越中詩郎芸人
  土田晃之・千原兄弟せいじ・よゐこ濱口・
  品川庄司品川・若井おさむ
  ケンドーコバヤシ・博多華丸大吉大吉・バッファロー吾郎
 ◆ハンサム芸人
  チュートリアル徳井・ますだおかだ岡田・シャンプーハット小出水
  フットボールアワー後藤・麒麟川島・ハイキングウォーキング松田
  ライセンス
 ◆竜兵会
  ダチョウ倶楽部・土田晃之・カンニング竹山・デンジャラス
  劇団ひとり・有吉弘行
 ◆特典映像:おぎやはぎ小木の有名人じゃない名前を言うゲーム

                  3990円 → 2554円





 アメトーークDVD5

 ◆出川ナイト
  出川哲朗・よゐこ・勝俣州和・キャイーンウド鈴木
  千秋・カンニング竹山・土田晃之
 ◆エヴァンゲリオン芸人
  くりぃむしちゅー有田・オリエンタルラジオ中田・加藤夏希
  世界のナベアツ・アンガールズ山根・バッファロー吾郎
 ◆ひな壇芸人
  土田晃之・モンキッキー・カンニング竹山・品川庄司
 ◆特典映像:関根 勤一人モノマネ

   3990円 → 2422円






アメトーークDVD6
 
 ◆徹子の部屋芸人
  ガレッジセール・おぎやはぎ・友近・チュートリアル
  次長課長・インパルス・麒麟
 ◆たいこ持ち芸人
  サバンナ高橋・たむらけんじ・ブラックマヨネーズ小杉
  小島よしお・ミサイルマン西代・安田大サーカス団長
  アンバランス山本
 ◆板尾創路伝説
  板尾創路・今田耕司・木村祐一・ほんこん・千原兄弟ジュニア
 ◆特典映像:宮迫ガチガチ!大好きな富田靖子と初対面

   3990円 → 2220円




 アメトーークDVD⑦[DVD]

 ◆俺達のプロレスオールスター戦
  ケンドーコバヤシ・くりぃむしちゅー有田・関根勤・勝俣州和
  イジリー岡田・博多華丸大吉大吉・原口あきまさ・ユリオカ超特Q
 長州小力・神奈月
 ◆〇〇じゃない方芸人
  ロンドンブーツ1号2号田村・オードリー若林・はんにゃ川島・ナイツ土屋
  天津向・ザブングル松尾・デンジャラス安田
 ◆熟女芸人
  ロバート秋山・キャイーンウド鈴木・オードリー春日・ピース綾部
  サンドウィッチマン伊達・ジョイマン高木・ナイツ塙・デンジャラスノッチ
  天津木村・ダチョウ倶楽部上島
 ◆特典映像:「第2回反省大賞作品」
  サンドウィッチマン富澤 奇跡の2ヶ国語放送

                  3990円 → 2709円




アメトーークDVD⑧[DVD]

 ◆スラムダンク芸人
  石原さとみ・ケンドーコバヤシ・ペナルティヒデ
  麒麟田村・前田有紀・アンガールズ山根・品川庄司庄司・
  アンタッチャブル
 ◆最近の一発屋事情
  有吉弘行・つぶやきシロー・ダンディ坂野・ムーディ勝山
  三瓶・藤崎マーケット・長州小力・レイザーラモンHG
 ◆ミドル3
  さまぁ~ず・くりぃむしちゅー
 ◆特典映像:リーダー出川哲朗の全然オモロないメンバー紹介

   3990円 → 2709円





 アメトーークDVD⑨[DVD]

 ◆後輩の山崎に憧れてる芸人
  アンタッチャブル山崎・東野幸治・関根 勤
  FUJIWARA藤本・TK0木下・たむらけんじ
 ◆小杉イジりたい芸人
  ブラックマヨネーズ小杉・サバンナ高橋・千原兄弟ジュニア
  ケンドーコバヤシ・バナナマン・たむらけんじ・小島よしお
 ◆椿鬼奴クラブ
  椿鬼奴・藤井隆・清水ミチコ・オアシズ・博多華丸大吉大吉・森三中
 ◆特典映像:江頭2:50楽屋中継一人モノマネ傑作選

   3390円 → 2709円






 アメトーークDVD10
 ◆中学の時イケてないグループに属していた芸人Ⅱ
  サバンナ高橋・よゐこ濱口・オリエンタルラジオ中田
  ロバート・麒麟川島・博多華丸大吉大吉・笑い飯西田
  オードリー春日・YOU・スザンヌ
 ◆人見知り芸人
  オードリー若林・バカリズム・インパルス板倉・有吉弘行
  フットボールアワー岩尾・ライセンス藤原・NONSTYLE石田
  U字工事益子・千原兄弟せいじ・アンタッチャブル
 ◆町工場芸人
  U字工事・中川家剛・ロッチ中岡・ピース綾部
  モンスターエンジン西森・Wコロンねづっち
 ◆あぁ農業高校芸人 
  キャイーンウド鈴木・松村邦洋・ダイノジ大地・前田健・もう中学生
 ◆特典映像:出川の休日(~午後2時)

                  3990円 → 2691円




 アメトーークDVD11
 ◆ポンコツ芸人
  さまぁ~ず三村・ダチョウ倶楽部上島・出川哲朗・山崎邦正
 ◆腰痛い芸人
  ドランクドラゴン鈴木・土田晃之・世界のナベアツ・千原兄弟せいじ
  ペナルティヒデ・品川庄司庄司・バッファロー吾郎木村・出川哲朗
 ◆おなかピーピー芸人
  サバンナ高橋・ケンドーコバヤシ・中川家礼二・有吉弘行
  安田大サーカスHIRO・アンガールズ山根・笑い飯西田
 ◆肥後という男Ⅰ&Ⅱ
  ダチョウ倶楽部肥後・上島・有吉弘行・土田晃之
  デンジャラス・インスタントジョンソンすぎ。
 ◆特典映像:出川の休日~夜7時

    3990円 → 2691円





アメトーークDVD12
 ◆徹子の部屋芸人Ⅱ
  ガレッジセール・くりぃむしちゅー有田・バナナマン
  ハリセンボン・出川哲朗・ますだおかだ・オードリー
  ロザン・南海キャンディーズ・小島よしお・友近
 ◆鈴木拓ナイト
  ドランクドラゴン・おぎやはぎ・ラバーガール飛永
  アンジャッシュ児嶋・アンタッチャブル山崎
 ◆RG同好会
  レイザーラモンRG・ケンドーコバヤシ・友近・小籔千豊
  博多華丸大吉大吉・椿鬼奴・バッファロー吾郎
 ◆江頭2:50 with HG
  江頭2:50・レイザーラモンHG
 ◆特典映像:出川の休日~深夜11時

    3990円 → 2691円





アメトーーク!DVD13 [DVD]
 ◆天下一品芸人
  世界のナベアツ・ケンドーコバヤシ・チュートリアル
  ますだおかだ岡田・麒麟田村・サバンナ
  ブラックマヨネーズ小杉
 ◆グラップラー刃牙芸人
  ケンドーコバヤシ・東野幸治・関根 勤・キャイーン天野
  次長課長井上・バッファロー吾郎
 ◆気にしすぎ芸人
  ピース又吉・南海キャンディーズ山里・森三中黒沢・世界のナベアツ
  矢野兵藤兵藤・烏龍パーク橋本・ハリセンボン箕輪
  スピードワゴン小沢・ロッチ中岡
 ◆おばあちゃん子芸人
  千原兄弟ジュニア・宮川大輔・タカアンドトシタカ・麒麟川島
  ブラックマヨネーズ吉田・サバンナ八木・ザプラン9ヤナギブソン
                ◆特典映像:ブレイク前の若手4組貴重映像
                 アンタッチャブル・レギュラー・次長課長・アンガールズ

                   3990円 → 2768円 





アメトーーク!DVD14
 ◆人見知り芸人Ⅱ
  オードリー若林。有吉弘行・インパルス板倉
  フットボールアワー岩尾・バカリズム・サンドウィッチマン富澤
  麒麟川島・笑い飯西田・相武紗季
 ◆運動神経悪い芸人
  サバンナ高橋・よゐこ有野・笑い飯西田・ナイツ塙
  東京03豊本・フルーツポンチ村上・ザブングル松尾
 ◆嫁を大事にしてる芸人
  関根 勤・よゐこ有野・FUJIWARA原西・土田晃之
  COWCOW山田・サンドウィッチマン富澤・ザプラン9ヤナギブソン
 ◆雨上がりファミリー
  千原兄弟・ほっしゃん。・宮川大輔・バッファロー吾郎
  ケンドーコバヤシ・たむらけんじ
 ◆特典映像:芸人ドラフト会議
                 有吉弘行・ロンドンブーツ1号2号田村・出川哲朗
                 ダチョウ倶楽部上島・関根 勤

                   3990円 → 2691円





アメトーーク!DVD15 [DVD]
 ◆逆襲のガンダム芸人
  土田晃之・千原兄弟せいじ・バッファロー吾郎竹若
 ケンドーコバヤシ・若井おさむ・ライセンス井本・品川庄司品川
 ◆相方どうかしてるぜ芸人
  ブラックマヨネーズ・バナナマン・ジャリズム・サバンナ
 ◆愛方大好き芸人
  キャイーン・おぎやはぎ・オードリー・ロザン
  ハイキングウォーキング
 ◆大阪だより
  東野幸治・サバンナ高橋・小籔千豊・千鳥
  天竺鼠・シャンプーハット
 ◆特典映像・四角フェチ芸人ぐっさん
  山口智充

                   3990円 → 2768円
 




アメトーーク!DVD16
 ◆滑舌悪い芸人
  ロッチコカド・ロンドンブーツ1号2号田村・諸見里
  野生爆弾ロッシー・キングオブコメディ高橋
  ニューロマンスおにぎり・ガリットチュウ熊谷
 ◆中学の時イケてないグループに属していた芸人
  サバンナ高橋・オリエンタルラジオ中田・オードリー春日
  ロバート・麒麟川島・博多華丸大吉大吉・フルーツポンチ村上
  笑い飯西田・優香・スザンヌ
 ◆キン肉マン芸人
  ケンドーコバヤシ・小池栄子・よゐこ濱口
  バッファロー吾郎・スピードワゴン小沢
 ◆男子校芸人
  バカリズム・オードリー若林・サンドウィッチマン
  ピース又吉・ザブングル松尾・U字工事・MEGUMI
                ◆特典映像:伝説のおさむちゃん自己紹介
                 ぼんちおさむ・松村邦洋・カンニング竹山・神奈月
 
                   3990円 → 2609円





アメトーーク!DVD17
 ◆運動神経悪い芸人
  サバンナ高橋・よゐこ有野・ナイツ塙・東京03豊本
  フットボールアワー後藤・笑い飯西田・麒麟川島
  フルーツポンチ村上・ザブングル松尾・YOU
 ◆ジョジョの奇妙な芸人
  ケンドーコバヤシ・オリエンタルラジオ中田・中川翔子
  バナナマン設楽・南海キャンディーズしずちゃん
  バッファロー吾郎・野生爆弾
 ◆ひとり呑み芸人
  チュートリアル徳井・ブラックマヨネーズ吉田・有吉弘行
  ブラックマヨネーズ吉田・椿鬼奴・博多華丸華丸
  U字工事福田・ザブングル松尾
 ◆お酒飲めない芸人
  サンドウィッチマン・よゐこ濱口・FUJIWARA藤本 
                 ロバート秋山・ピース綾部・ガリットチュウ熊谷
                 アンガールズ田中
                ◆特典映像:リアクション3
                 ダチョウ倶楽部上島・出川哲朗・山崎邦正

                   3990円 → 2691円






アメトーーク!DVD18
 ◆絵心ない芸人
  チュートリアル徳井・陣内智則・カンニング竹山
  中川家礼二・ロザン宇治原・バッファロー吾郎竹若
  ケンドーコバヤシ
 ◆町工場芸人
  U字工事・中川家剛・ロッチ中岡・ピース綾部
  モンスターエンジン西森・夙川アトム・Wコロンねづっち
  我が家谷田部・江頭2:50
 ◆女の子大好き芸人
  チュートリアル徳井・フットボールアワー後藤
  TKO木下・ペナルティワッキー・アンジャッシュ渡部
  オリエンタルラジオ藤森・ピース綾部
 ◆ガヤ芸人
  FUJIWARA藤本・品川庄司・バナナマン設楽
                 アンタッチャブル
                ◆特典映像:枠無し芸人
                 アンジャッシュ児嶋・バナナマン設楽・ペナルティヒデ

                   3990円 → 2645円


所属事務所:吉本興業
メンバー  :白川 悟実(1970年11月1日生まれ・A型・ツッコミ)
        浜本 広晃(1974年2月15日生まれ・O型・ボケ)


漫才師の横山アラン・ドロンのドロンが経営する同じショーパブ「アランドロン」の難波店の
主任だった浜本と梅田店の主任だった白川は親睦ボウリング会などで顔を合わせる程度だったが、
浜本がお笑いの方向を目指し始めたときに白川がNSC出身だったことを聞き、浜本が白川の店に
訪問、意気投合してコンビ結成。
コンビ名の由来は、浜本が記号を使いたかったため。
2009年6月13日から、コンビ名を「テンダラー」とカタカナ表記に変更した。
表記を変更した理由は、主に出演するなんばグランド花月や京橋花月などの比較的年齢層の
高いお客さんが「$10」表記だと読みづらいため(『10ドル』と読み間違われることが多い)。
大阪NSC12期生(小籔千豊、土肥ポン太など)とはほぼ同期にあたる。(厳密には数カ月後輩)
同じショーパブの先輩にあたる水玉れっぷう隊とダンスユニット「ギアトランス4」を
結成している。
ネタはコントも漫才もこなす。



【受賞歴】

2011年 THE MANZAI決勝進出



【パーソナルデータ:白川 悟実】

大阪府大阪市出身。大阪市立高倉中学校卒業。
愛称:シラ、シラ猫
若手扱いされているが大阪NSC8期生で、同期に千原兄弟FUJIWARA、バッファロー吾郎、
なだぎ武などがいる。だが、コンビ結成とデビューが遅かったため、NSCに入学したのが
白川よりも後であった陣内智則たむらけんじなどからは後輩扱いされており、白川自身も
それを認めている。
「しらねこニャーン」と猫のまねをするギャグを持っている。

料理が得意。自宅に遊びにきた芸人らに、自家製手打ちうどんを作って食べさせるほどの
腕前である。
父親が病に倒れ、母子家庭同然の家庭に育つ。最初のコンビが解散した際、一度吉本をやめたのも、
「母にこれ以上苦労させたくない」と言うのが理由だった。しかし彼に吉本に復帰を促したのも実は母だった。その時、「私たち(下に妹がいる)の事は気にしなくていいから、自分のやりたい様に生きなさい」
と言われたと言う。
甘いマスクを持つ。ヘッドハンティングでテレクラに勤め、17歳で主任となった。その後
ショーパブにスカウトされ、ホスト兼ダンサーとして「アランドロン」梅田店に勤務。
ナンバーワンホストだった。そのホスト時はかなりの男前で、現在も吉本男前ランキングの
上位をキープしている。

よゐこの有野晋哉、濱口優の二人は、同じ高校(大阪市立汎愛高等学校)の同級生。
よゐこの学生時代のエピソードトークの中に「ダブリの白川さん」として登場している。
また、濱口が芸能界入りを考えたきっかけは、白川のNSC入りの話を聞いたことだった。
よゐこ曰く「先輩なのか、同級生なのか、後輩なのか分からない人」。
コンビ結成当初は今の姿からは想像できないほど行動派だったらしく、テレビ初出演となった
「爆笑BOOING」も白川がアポ無しで関西テレビに出向き、番組プロデューサーに二人の
ネタVTRを見せて直談判したおかげで出演が決定した。


【パーソナルデータ:浜本 広晃】

大阪府堺市中区出身。堺市立泉ヶ丘東中学校卒業。
愛称:ハマー
ショーパブ出身のため、トークとダンスはうまい。
「すいません。あ、いや、すいますいません」と変な謝り方をする持ちギャグがある。
小学2年生のときに両親が離婚し、その後新しい母親を迎えるなど、やや複雑な家庭環境で育った。
その為、学生時代は相当の不良だった。

2007年5月21日、心斎橋に焼き鳥屋「焼き鳥Dining ハマー」をオープンした。
店の売り上げはかなり好調で、2008年7月に八尾に2号店を出店した。
浜本の「浜」は戸籍上「濱」になっている。
笑い飯・哲夫にマイケル・ジャクソンの振り付けを教えた。その哲夫はM-1グランプリ2009の
決勝出場者控室でマイケルの踊りを披露しながら浜本の名前を呼んだ。それに対し浜本は哲夫に
「右肘の締まりがまだ甘い」と指摘した。
ペリエ(炭酸水)が大好物である。
所属事務所:吉本興業
メンバー  :四条和也(1981年7月30日生まれ・O型・ボケ)
        奥田修二(1982年3月3日生まれ・B型・ツッコミ)


2人は中学の同級生。奥田は元々四条ではない別の友達とコンビを組みたいと思っており、その
友達に「コンビ組もう」と誘ったが断られた。断られたことがショックでやけ酒を飲み、
その場にいたのが四条で、四条が奥田を慰め、励ましていた。その優しさに奥田は四条を
誘うことに決め、コンビを組もうと声がかけた。そして四条の答えが『ボケしかできへんでー』
だった。その後2005年のM-1グランプリ出場しアマチュアながら準決勝まで進んだ。
その後オーディション合格し、よしもとクリエイティブエージェンシーに所属。
コンビ名の由来は四条が「學天則」を「学天即」と書き間違えたことから。
ワラbにリニューアルする4ヶ月前から連続して、サライヴWARで1位をとった。
ネタは主に漫才。正統派のしゃべくり漫才のスタイルを取る。
5upよしもと内のバトル形式のライブ「ファーストバトル」で3ヵ月連続1位を獲り、ゼロメンに
昇格した。
コントを行うことは稀だが、コントの大会であるキングオブコントでは、2010、2011年と
2年連続で準決勝まで進んでいる。

コンビ仲が非常によく、周りの芸人からもお互い相方ではなく親友同士と言われる。


【受賞歴】

第9回MBS新世代漫才アワード 決勝進出
THE MANZAI 2011 決勝進出 Cグループ敗退
第33回 ABCお笑いグランプリ 決勝進出 6位
第42回NHK上方漫才コンテスト 準優勝




【パーソナルデータ:四条 和也】

兵庫県宝塚市出身。関西大学卒業。
中学校・社会科教員免許を所持している。
かなりの無気力で無口。
「四条ハンター」が存在し、いろんな芸人のブログでその被害を目にすることができる。
天然パーマである。
酒に強い。

【パーソナルデータ:奥田 修二】

兵庫県宝塚市出身。
薄毛であることを自らネタにしている。
かなり口数が多い。
趣味はゴルフ。
2級造園施工管理技士の資格を所持している。
スタジオジブリ作品ファンで、特に『魔女の宅急便』が好き。
AKB48を取材して以降、完全にはまってしまう。推しメンは北原里英。

東京へ仕事へ行った時に、財布に日本円が1円も入っておらず、何故か2ユーロとコンドームが
入っていた。

姉がおり、メガネ三つ編みの吹奏楽部だった姉がいじめられて泣きながら帰ってきて
40分後に部屋から出てきたら金髪パーマのヤンキーになっていた。姉はヤンキーになって
自分を泣かした相手をいじめ返すという手段をとった。




所属事務所:吉本興業
メンバー 小籔千豊 ・ ピン芸人


大阪市住之江区出身、近畿大学付属高等学校卒業。
1973年9月11日生まれ・B型

1993年、山田知一(現在はやまだともカズの名で構成作家として活動)とコンビ「ビリジアン」
を結成。フルーツ大統領のメンバーに編成されるなど関西では人気を得るも2001年に解散した。
解散直後、小籔自身は警察官への転職を真剣に考えるなど、一時芸能界からの引退を決意しか
けたが、その独特なスタイルなどから吉本の社員に慰留され続け、バッファロー吾郎の
木村明浩の薦めで同年吉本新喜劇に入団する。

入団当初は声量も足りず、セリフも棒読みに近いものだったが、主に内場勝則座長の下「
いざという時頼りない人」「全身紫スーツで固めた身体の弱いヤクザ」(池乃めだかと組んで
演じる)「小悪党の秘書」でブレイクすると司会役、店員役などあらゆる重要な役柄を与え
られるようになり、一躍新喜劇のエース、吉本の有望株に急成長を遂げた。

2004年夏からは、座長不在時に川畑泰史と組んで座長代理も務め、その「川畑小籔コンビ」の
新喜劇が内外で高い評価を得る。また、同年秋からはNHK朝の連続テレビ小説「わかば」の
レギュラーに抜擢され、原田夏希演じる主人公若葉の先輩職人・杉本康博役を演じ、全国的に
小籔の知名度を広めることになった。

2005年3月には「吉本新喜劇 川畑泰史・小籔千豊公演 がんばろっカナ!?キャンペーン」を
なんばグランド花月にて開催。吉本新喜劇の歴史に残る大イベントを成功させ、イベント内で
新喜劇の大御所・桑原和男からも「(川畑小籔両名は)次代の新喜劇を背負うのに
相応しい人材」とお墨付きを貰っている(その後も、現座長の内場や辻本茂雄が重鎮
ポジションになり、次期座長候補の小籔が座長の立場になって新喜劇を上演するなど、
次代の新喜劇を背負う小籔にさらなる飛躍が期待されてきた)。

これらを受けて、2005年8月に座長就任要請があり、2006年1月に受諾を決意。
2月28日に襲名御披露目を行い、その後1週間は「小籔祭り」として名実共に初の座長公演が
行われた。初回の襲名口上には、内場と辻本、吉田ヒロの3座長と未知やすえが脇を固め、
2回目以降は辻本、ヒロの代理としてめだかと川畑が参加した。

新喜劇外の活動としては、2006年上方お笑い大賞の話題賞を受賞するほか、2003年1月16日には
同じく新喜劇を主戦場とするレイザーラモン(出渕誠と住谷正樹)と3人によるユニット
「ビッグポルノ」を結成。コントやラップ、トークなど、様々なパフォーマンスを行った。
また、2005年8月31日には「国立文楽劇場より愛をこめて」と題して同所では異例の
コントライブを行い「伝統とエロスのコラボレーション」(小籔談)を具現化してみせ、
ラップナンバー「SUNRISE SUNSET」ではボーカルとラップを務めた。より多くの人に
ビッグポルノを見せたいという思いから、サマーソニックなどの野外音楽フェスティバルに
出演を希望したが全て断られたため、それならばと自らお笑いと音楽を融合させ
た野外イベントを企画し、2008年から「コヤブソニック」として毎年規模を拡大
させながら開催を続けている。

また、土肥ポン太と一緒におくにと申します。で2005年のM-1にも挑戦した。翌2006年は座長・
社長とコンビ名を改め出場した。また、翌2007年は、川畑と座長座長として出場し、
見事準決勝進出(敗者復活は辞退)。また、座長座長としてキングオブコントにも出場している。
2008年2月20日に、亡くなった小籔の母親への後悔の思いを歌った「プリン」を発売し、
歌手デビューも果たした。この「プリン」は「誰も知らない泣ける歌」で紹介、スタジオの
涙を誘ったが、西田敏行からは「歌、下手だな」と言われてしまった。

大阪NSC12期生。同期には2丁拳銃やCOWCOW、土肥ポン太、テンダラーなどがいる。
最大の特徴は、身長188cm、体重63kgという長身かつ超ガリガリ体型。
小籔の『やぶ』は藪や薮ではなく、正しくは籔(いわゆる原義が「竹藪(たけやぶ)」の
方の"やぶ")である。
プロフィール上、身長185cmと表記されていたが、座長就任時のキャンペーンとして「
小籔の身長188cmより高い人は無料」と言うキャンペーンを行っていたため、188cmと思われる。
妻、娘一人、息子一人。奥さんは菅原洋一にそっくりだと、他の芸人等に言われる。
夫である小籔曰く「奥さんの顔は2点だが、性格は100点」らしい。
実家は自転車屋を経営している。祖父は民間療法施術者であり、小籔はよく「医者もどき」
と揶揄して語っている。

父と妹は、小籔本人とほとんど同じ顔。子供の頃、妹と2人で道を歩いていると、見ず知らずの
おじさんから「君ら、小籔さんとこの子やろ」と言われたことがある。妹は、名古屋の
和菓子店・松河屋老舗に嫁いでいるのが自慢。
菜食主義者で、自ら「ロハスの先駆け」と語っており、BSE騒動の際には、「私の時代が来た」
と語ったと言われている。ただし、魚や乳製品は食べることが出来、思想的なものではない
(いわゆるペスクタリアン)。小籔の祖父が「肉は体に悪い」として教育していたため、
肉を受け付けない体になってしまった(ちなみに、その祖父は60代で死去)。マクドナルドでは、
もっぱらフィレオフィッシュ。にも関わらず、2006年の健康診断で、痛風の気があると診断された。2010年4月5日放送の日本テレビ「アンラッキー研究所」では、ラムなどの肉を食べないことについての
質問は何万回も聞かれてきた、もし無人島で食糧が肉のみであれば食べると語った。
年に数回、大便を漏らすことがあるらしい。
以前、陣内智則宅に招かれてトイレに入った際、藤原紀香が使用したであろう便座に興奮し、
座って間接的に便座から触感を楽しんだというエピソードが一部で反響を呼び、「便座座長」
とも呼ばれている。
座長に就任してからは、テレビ番組出演時の自己紹介の際必ず「吉本新喜劇座長の〜」という
冠をつけるようになった。また、コメントを求められた際に「I am 座長の私も〜」と言うこと
もある。新喜劇の宣伝やアピールも積極的に行う。
土肥ポン太を「永遠のライバル」と目しており、2007年の「オールザッツ漫才」で土肥のネタ
(お嫁サンバのカメラマン)が大ウケした際、小籔は舞台裏で般若の様な顔になっていたという。

小籔軍団なる一団を引き連れて、クラブ等を飲み歩く。構成員は、主によしもとの若手芸人。
将棋を趣味とし、吉本興業内での将棋大会で優勝するほどである。将棋のプロとも面識が
ある。小籔が将棋を始めた理由は母親がきっかけ。母親が勤めていた会社に同期で入社した
二人の男がおり、その内の1人は真面目で仕事もできたが、もう1人はボンクラであった。
しかしこのボンクラの方が将棋、麻雀、ゴルフを趣味としており、この趣味を生かして上司に
取り入り出世していったのだが、真面目な方は出世しなかった。このことから世渡りが上手に
なるようにと母親は当時子供であった小籔に将棋を教え始めた。
所属事務所:太田プロ
メンバー 劇団ひとり・ピン芸人・1977年2月2日生まれ・A型


本名:川島省吾
千葉市出身。
父親の仕事が日本航空パイロット(母は元客室乗務員)だった関係で、小学校2年から5年まで、
米国アラスカ州アンカレッジに住んでいた帰国生徒。ただし現在の英会話能力は、日常会話程度
であると自認している。
市立中学校卒業後、金剛学園高等専修学校(現・桜林高等学校)に入学後数週間で中退、
同年に編入扱いで千葉県立京葉工業高等学校(機械科)に入学するが(理由は「学ランを
着たかったから」らしい)1年弱で中退後、千葉県立船橋高等学校定時制普通科卒業。
高校生活は計5年間になる。当時はヤンキーだった。その後は東放学園専門学校に入学。
放送芸術科に在籍し、芸能活動と並行していた。1999年に同校を卒業。

高校1年の1992年に、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』内のコーナー「お笑い甲子園」に、
「バーテックス」というコンビを組んで出場。その後は太田プロダクションに所属しデビュー。
事務所の同期には有吉弘行がいる。
太田プロに入ってからは、一時代子役として活躍した経歴のある劇団日本児童出身の秋永和彦と
お笑いコンビ「スープレックス」を組み漫才を展開。しかし、『ボキャブラ天国』
『進め!電波少年』で、太田プロがU-turnや猿岩石などのグループをメインに売り出していた
ことや、川島自身の遅刻・ドタキャン癖が影響し、ブレイクの機会を逸したまま2000年5月に
秋永の借金による蒸発を理由にコンビを解散、川島はピン芸人として再出発することとなった。

その後はライブや『新しい波8』『完売劇場』などのテレビ番組に出演。2004年2月
『めちゃ²イケてるッ!』の「笑わず嫌い王決定戦」に出演以降、メディアでの露出が次第に増える。
また、俳優としてテレビドラマや映画などに活躍の場を広げる。



元々コンビを組んでいたが解散してピン芸人になったので、優香を真似てネットで芸名公募し
「カツカレー」という芸名にしたが事務所から「これじゃ未来が見えない」とNGになった。
続いて「波打際立夫(なみうちぎわたちお)」という芸名にしたが、これも同じ理由でNGだった。
そのためデンジャラスの安田和博に相談したところ「好きな俳優とかいる?」と聞かれ
ロバート・デ・ニーロが好きと答えると「炉端出二郎(ろばたでにろう)」と付けられた。
これもNGになり次には自分で劇団ひとりという芸名を決めた。


猿岩石は、同じ日に太田プロ入りし地方営業など一緒にまわることが多かった。猿岩石が
大ブレイクした『進め!電波少年』のヒッチハイクのオーディションには劇団ひとりも参加した。
このオーディションには他にバナナマン、TIMら、多くの芸人が参加したが、
番組プロデューサー・土屋敏男はTake2にするつもりだったが、所属事務所から断られ、
しょうがなく猿岩石にしたと話している。劇団ひとりは「猿岩石の人気が日に日に増して
いくと共に、嫉妬心も増幅した」と話している。
友人で先輩の長井秀和がブレイクするきっかけとなったフレーズ「間違いない」は、
もともと劇団ひとりが長井のものまねをする際に加えたものである。それを聞いていた
長井本人が気に入り自らのネタに用いるようになった。
仕事上のプレッシャーに弱いと自覚している。
バナナマンおぎやはぎアンタッチャブル柴田と仲が良い。

笑っていいとものコーナーで『レモンの早食い』と『ニンニクの早食い』のギネス記録を取得した。
嵐の相葉雅紀は地元が同じで中学の後輩である。
ルービックキューブが得意。
女性K-POPアイドルの大ファンで、特にKARAが好き。

2006年 小説『陰日向に咲く』で小説家デビュー(2008年1月、実写映画化となる)。
2006年 ザ・ヒットメーカーの出版部門を受賞。
2006年 「最も万年筆が似合う著名人」に贈られる「万年筆ベストコーディネート賞2006」を受賞。
2007年 「第44回ゴールデン・アロー賞」放送賞(バラエティ部門)を受賞。
2007年 エランドール賞新人賞を受賞。
2009年2月17日、大沢あかねと婚姻届を提出。
2010年9月8日、第一子となる女児が誕生。
所属事務所:人力舎
メンバー  :塚地武雅(1971年11月25日生まれ・A型・ ボケ(たまにツッコミ)担当)
        鈴木 拓(1975年12月7日生まれ・A型・ ツッコミ(たまにボケ)担当)


2人は人力舎の養成所であるスクールJCAの同期生として出会い、1996年に結成。その当時、
鈴木は常にスーツを着ていた。授業中に講師が話していた時、鈴木だけは他の生徒と違う反応を
していたため、期待してコンビを組む。しかし、鈴木はただ単に聞き流していただけだったこと
がわかり後悔した。
初舞台は同年8月7日渋谷公園通り劇場。
コンビ名はカンフー映画「ドランクモンキー 酔拳」と「燃えよドラゴン」を組み合わせた
ものだが、当時第一線で活躍していたダウンタウンやウッチャンナンチャンのように、
「同じ語韻を繰り返す名前の芸人は成功する」と言う芸能界のジンクスにもあやかれるように
うまく絡めている。実は、塚地は鈴木とコンビを組む以前に、別の人とコンビ
「ドランクドラゴン」を組んでいた。

2000年「新しい波8」に出演したことから、翌年「はねるのトびら」のレギュラーに抜擢される。
また、それ以前から「爆笑オンエアバトル」にも出演して好成績を挙げている。
はねるのトびらでの人気上昇を受け、塚地が2003年1〜3月に月9ドラマ「いつもふたりで」に出演。
また同年から「エンタの神様」でコントを披露するようになり、ブレークを果たす。

ネタは主にコント。塚地演じる様々なイタイキャラクターが、一般人を演じる鈴木を振り回す。
極稀に役割が逆転する場合は、天然な鈴木に塚地がひたすらツッコミをいれる漫才風味のコント
になる。この場合のシチュエーションは、塚地が保護者やコーチといった立場で、鈴木は子供や
弟子といった具合である。また、「下町の馬鹿親子」といったネタでは、ダブルボケを行う
こともある。ショートコントも行うことがある。

ネタ作りは塚地が行っており、鈴木が台本通りにツッコむ。しかし、せりふを覚えられないため
鈴木のミスによるアドリブが起こることも多々ある。



【パーソナルデータ:塚地武雅】

大阪府阪南市生まれ、大阪府立佐野高等学校、桃山学院大学経済学部卒業。
趣味はフィギュア収集。幼少時代から現在に至るまで、特撮ヒーローものの大ファンである。
ももいろクローバーZの大ファン。
大学時代は痩せていてモテたと言い張っている。大学卒業後は、仏壇メーカーの八木研に就職し
営業を担当していた。家族の猛反対を受けながら24歳でお笑いを志し、事務所の養成所
(スクールJCA)に入学。そこで相方の鈴木拓と出会い1996年にコンビを結成する。
芸人を始めた年齢が遅く、北陽やアンタッチャブル等、年齢は下だが芸歴では先輩であるため
敬語を使う仲間が多い。

2003年頃から俳優としても注目を集め、2004年日本テレビで放送されたドラマ『仔犬のワルツ』
ではお笑いのイメージとは正反対な悪役を好演した。2006年公開の映画『間宮兄弟』
(江國香織原作)において、佐々木蔵之介とのダブル主演に抜擢された。なお、共演した
佐々木は塚地の演技を「味のある演技が本当に良い」と絶賛している。その後、フジテレビの
特別ドラマ『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』で山本圭一(杉本春男役)
の代役(撮り直し)を務めている。さらに2007年、芦屋雁之助亡き後途絶えていた
テレビドラマ版『裸の大将』の山下清役に大抜擢される。同作は続編が定期的に制作されている。

コントでは数々の個性的なキャラクターを演じ分ける「憑依芸人」と呼ばれるタイプ。
また引き出しの多さから一発ギャグの宝庫を思わせる多彩な才能の持ち主。


会社を退職してから上京するまでの間はろくに家を出してもらえず、近所には「公務員になる
ための勉強をしている」ということにされていた。食事も他の家族がステーキだったにも
関わらず、塚地はチキンラーメンだったなど家族から冷遇されていた。特に、父親からは
未だに完全には認めてられておらず、テレビを見て「男が女の格好(ネタでの女装)をするな」
「鈴木君の失敗話じゃなくいい話をしなさい」などと言われたこともある。

【パーソナルデータ・鈴木 拓】

神奈川県綾瀬市生まれ、神奈川県立綾瀬西高等学校卒業、上武大学商学部中退。
趣味は釣り。グレイシー柔術の使い手だが骨が弱く度々骨折するなど軟弱で、ヘルニアを患って
いた時期があった。
さかなクンとは中学・高校の同級生。
実家は海老名市で居酒屋「黒兵衛」を経営している。
高校卒業後に警察官、教習所教官などの試験などを受けるが就職することができなかった。
コネの関係で消防士の試験に99%受かるはずが、三段跳びが全くできないなど成績があまりに
酷く合格できなかった。上武大学商学部に入学したが、1か月で中退した。

書店で立ち読みした本に「簡単になれる職業(最高が星五つのランク付けで星一つ)」として
お笑い芸人が挙げられていたことから芸人を志す。スクールJCA5期生として入所。当初は男性3人、
女性1人からなるカルテット「4人組」を組んでいたが、メンバーの男性の1人と女性が男女の
関係となり、残った1人の男性ともそりが合わなかったことからカルテットを解消した。
その後、鈴木の消極的な性格を、「お笑いを目指しているのに執拗に前に出ない、センスがある」
と勘違いして誘ってきた塚地と1996年にコンビを結成した。

何かあるとその人の名前を叫ぶ「ラジオツッコミ」が得意。名前の由来は、何かやった人の
名前を呼ぶので音声だけのラジオでもわかりやすいことから。

塚地がレギュラー出演するドラマでゲスト出演することが多い。

鈴木は2002年に『はねるのトびら』で彼女に強制的にプロポーズさせられたことに始まり、
両親が経営する居酒屋など私生活ネタが番組で紹介されることが非常に多かった。しかし本人は
嫌がっており、2003年の挙式や2004年に長男が産まれたことは番組スタッフはおろか塚地や
マネージャーにも話していなかった。

以前まではピンでの活動のギャラも折半していた。しかし2011年に入ってからは、ギャラの
折半はなく歩合制にされている。

アンガールズの田中によると、『潜在異色』に出演して以来芸人観が変わったらしく、事務所の
ライブでピンのネタを作るなど、お笑いに積極的になってきている。
本人は雑誌のインタビューで「13年目にして、胸を張って『芸人です』と言えるようになった」
と答えている。

仲の良い芸人はロバート山本やアンガールズ田中など。
所属事務所:人力舎
メンバー  :山崎弘也(1976年1月14日生まれ・B型・ボケ担当)
        柴田英嗣(1975年7月15日生まれ・B型・ツッコミ担当)


2人はスクールJCAで同期生として出会う。
結成当初のコンビ名は「シカゴマンゴ」だった。これは二人にコンビを組ませた(スクールJCA・
お笑い養成所時代の)先輩が考えたもの。その後まもなく、山崎は独断でコンビ名を
「アンタッチャブル」に変更した。映画タイトルの『アンタッチャブル』が由来である。
初めてのライブ出演のとき「シカゴマンゴ」のコンビ名が出演表に書かれていなかったことから、
柴田は「このライブには出られない」と思ったが、スタッフから「アンタッチャブルさん」と
呼ばれ、そのときに初めてコンビ名が変わったことに気づいたという。

若手の頃、山崎は仕事に遅刻をしてしまうことがたびたびあった。柴田が占い師の元へ仕事の
悩みを相談しに行くと「今のままでは相方に足を引っ張られて、あなたも潰れてしまう」と
言われた。しかし、時間に遅れても舞台にやって来る山崎の姿を見て柴田はいつも感謝して
泣いたと語っている。当時は、日村勇紀(バナナマン)やビビる大木の家へお互いに行き来する
ことが多かったため、柴田はビビる大木と新コンビを結成しようかと真剣に考えたことも
あったという。

ネタ作りでは、設定を決めて、まず柴田がツッコミを先に作り、山崎がそれに合わせてボケを
考える、そしてその山崎のボケが面白かった場合柴田がメモをする、という作り方。
また2人とも覚えるのが嫌いという理由で、ネタ作りでは一字一句台詞を決めるなことはなく、
要所要所のキーワードだけを決めている。その他の細かい言い回しなどはアドリブで行う。
しかし、本番前のネタ合わせは繰り返し綿密に行われている。
上記の理由のためか、山崎のボケで柴田が笑ってしまう事もあり、一度山崎の顔芸が柴田の
ツボにはまり漫才が続行できないほどになったこともある。
早いテンポでのボケ・ツッコミともに、非常にハイテンションでの漫才を展開している。

2003年のM-1グランプリで敗者復活で勝ち上がり3位になった、これを機にテレビ出演が増え
2004年のM-1グランプリで優勝し大ブレイク。

同期の芸人はブラックマヨネーズ次長課長スピードワゴンなど。


【受賞歴】

2003年 M-1グランプリ3位(敗者復活枠)
2004年 爆笑オンエアバトル第6代チャンピオン
2004年 M-1グランプリ優勝




【パーソナルデータ:山崎弘也】

埼玉県春日部市出身。埼玉県立春日部工業高等学校卒業。

当初は俳優志望であり、武田鉄矢に憧れていた。俳優事務所に履歴書を送ったことがあったが、
返信用の切手を入れ忘れていたため返信がなかったという。その後、雑誌に掲載されていた
プロダクション人力舎のスクールJCAの広告を見つけて応募、すぐに合格した。広告に
あったシティボーイズの写真を見て応募したが、すでにシティボーイズは事務所を退社しており、
「過去の所属者」として紹介されていたのを見落としていたという。
1994年、スクールJCAの同期生である柴田英嗣とお笑いコンビ「アンタッチャブル」を結成した。

2010年2月、相方の柴田が一時期芸能活動を休業(2010年2月-2011年1月)し、以降はコンビ活動
を行っていない。
漫才では、ハイテンションで適当な言動をしてボケる。バラエティ番組では、異常なほどの
低姿勢で相手を怒らせる発言をするキャラクターが定着している。アバウトなところがあり、
アドリブではノープランなことが多い。しかしスベった些細なネタでも強引に話をつなげていき、
最終的には笑いを取る力業で、先輩芸人からも羨望されている。
2009年6月18日放送回『アメトーーク!』で、東野幸治の持ち込み企画「後輩の山崎に憧れて
いる芸人」が放送された。出演者は、関根勤とFUJIWARAの藤本敏史、TKOの木下隆行、
たむらけんじ。みな山崎の先輩で、他事務所である。番組内では、山崎の同じネタで延々と
喋れる発想力、共演者のボケ芸人をツッコミにしてしまう爆発力、見切り発車は当たり前の
ハートの強さなどが絶賛された。どんな小さな入り口でもどんどん大きくすることができると
評され、関根はその破壊力を「お笑い界のヒョードル」、東野は一見適当そうに見えて、
実は計算されたボケをかぶせ続けて笑いを取りにいく山崎の芸風を「高田純次のふりをした
明石家さんま」と例えて高評価した。
ワイシャツ・白ネクタイという衣装をトレードマークとしており、「結婚式の帰り」と形容され
ている。売れない頃に、金がなくて衣装に困っていることをくりぃむしちゅーの有田哲平に
相談した所、「フォーマルなものなら、いつも同じ格好でも問題ないんじゃない?」と言われ、
今の衣装に落ち着いた。
私服ではイタリア風の服や高級ブランドを身に着けることが多い。

「ガヤ」と呼ばれるバラエティー番組の盛り上げ役と野次飛ばしで知られ、「東のガヤ王」と
評された。
テレビで見せるテキトーな性格とは裏腹に、プライベートはかなりキチンとしている。
スクールJCAの研修生の時は、1年間1度も休まずに通った。ある日、他の生徒が全員遅刻欠席して
しまい、授業参加者が山崎たった一人のときがあったが、そんなときでも授業科目の
タップダンスを先生とマンツーマンで踊っていたというエピソードがある。
東京03の角田晃広曰く、ティッシュの位置、ゴミ箱の位置、リモコンの位置がちょっとでも
ずれると嫌な顔をする。山崎が家具を選ぶ際に角田が付き合わされた際、角田が山崎に対して
適当に対応していると「俺はテキトーなことを言う奴が一番嫌いだ!」とキレられた。
プライベートでの人付き合いが少ないで、実は極度の人見知り。

仲の良い芸人はくりぃむしちゅー有田やおぎやはぎ矢作など。



【パーソナルデータ:柴田英嗣】

静岡県静岡市清水区出身。東海大学工業高等学校卒業。

1994年、高校卒業後、お笑い芸人を目指しプロダクション人力舎のタレント養成所スクールJCA
に入学。 入学当初はボケ芸人を目指していた。
スクールJCAにて生徒がそれぞれボケ役とツッコミ役に振り分けられる事になり、同期生の
山崎弘也と即席のコンビを組み、その授業の際に柴田には偶然ツッコミ役の台本が渡された。
ツッコミ担当のままコンビを続け、後に「アンタッチャブル」が結成された。

2005年9月、一般女性との結婚を発表した。現在は二児の父である。
2010年1月末、体調不良により無期限の活動休止に入ることが報じられた。
2011年1月、ピン芸人として芸能活動を再開。


静岡県出身だが江戸っ子口調。一方で、漫才におけるキレツッコミが関西漫才師・横山やすしの
ようだと評価されるがある。
動物好きで主に哺乳類を好むが、昆虫類は苦手である。
運動全般が得意で、ユースサッカーのクラブからスカウトされた経験がある。

くりぃむしちゅーとの付き合いが長く、特に上田晋也とプライベートで親しい付き合いがある。

南海キャンディーズの山里と品川庄司品川の件で、ネットで色々炎上が起こり、山里が落ち込んで
いた時にいちばん最初に心配してメールをしたのは柴田だった。
所属事務所:吉本興業
メンバー  :ヒデ(中川秀樹・1971年4月7日生まれ・O型・ツッコミ)
        ワッキー(脇田寧人・1972年7月5日生まれ・B型・ボケ)


2人は同じ高校のサッカー部の先輩、後輩にあたり(ヒデが1年先輩)、1994年に元々芸能界に
憧れていたヒデがフリーターをしていたワッキーを誘いペナルティ結成。
銀座7丁目劇場のオーディションに受かりデビュー。同期にロンドンブーツ1号・2号など。
当初はともに本名で活動していたが、2003年頃から愛称である「ヒデ」「ワッキー」を芸名と
している。
長い下積みを経て、「爆笑オンエアバトル」や「ノブナガ」(CBCテレビ)の“地名しりとり”
への出演などで大きく知名度を上げ、めちゃイケのコーナー笑わず嫌い王決定戦に出演した
ことがきっかけで遅咲きながら大ブレイクした。ワッキー曰く「僕らをここまでさせてくれた
のは『めちゃイケ』であり、岡村さんがおもろいと言ってくれたからこの地位まで来ることが
できた。ナイナイさんは師匠みたいなもんだ」と発言している。

元々はヒデがボケで、ワッキーがツッコミであったが、周囲の助言により役割を逆転させている。

正式名称は「ペナル茶」である。18年間事務所から「ペナルティ」という名前を推され、
ずっと日の目を見なかった。


【パーソナルデータ:ヒデ】

本名:中川 秀樹(なかがわ ひでき)。
千葉県船橋市出身。専修大学法学部卒業。

船橋市立船橋高等学校ではサッカー部に所属し2年生からレギュラーとして第67回全国高等学校
サッカー選手権大会準優勝とインターハイ優勝を経験、専修大学でもサッカー部でプレーした。
相方のワッキーとは市船のサッカー部で出会い先輩後輩の間柄である。

専修大卒業時に、Jリーグ・横浜フリューゲルスからスカウトを受けていたにも関わらず、
「サッカー以外の仕事がやりたい」と辞退し、後輩のワッキーを説得して銀座7丁目劇場の
オーディションを受けて合格したことでお笑いの道に進んだ。サッカーを辞めてお笑いに
進んだ理由についてヒデは「人を楽しませることは好きで、同級生の前でやっていたネタを
他の人たちの前で披露してみたかった」と述べている。

2007年7月7日に6歳年下の音楽関係の女性と結婚。
2009年1月に「しゃぶしゃぶ秀久」を開店(プロデュース)した。

性格が真面目であり、芸人らしくない芸人といわれる。倹約家。


ガレッジセールの川田広樹とは仲がよく、テレビ番組出演時でもセット扱いだったり、たまに
ツッコミが同時になるなど、息がぴったり合う。川田は「コンビ別々にして何ならヒデさんと
組みたい」とのこと。ヒデは川田のことを「広樹」と下の名前で呼んでいる。


【パーソナルデータ:ワッキー】

本名:脇田 寧人
千葉県市原市→愛知県津島市→北海道釧路市→千葉県船橋市と父親の仕事の都合で引っ越しを
繰り返す。専修大学経済学部中退。

高校は船橋市立船橋高等学校に進学し強豪のサッカー部に入部。布啓一郎監督の下で厳しい
練習に明け暮れた。専修大学経済学部に入学後もサッカー部に所属し、プロサッカー選手を
目指して精進していたが、膝を壊したことで断念することになった。自身の将来を悲観した
ワッキーはサッカー部の合宿所を秘かに脱走した結果、大学も中退することとなった。

その後タイ料理店などのアルバイトを転々としていた頃、高校時代からの先輩であるヒデに
誘われる形で1994年にお笑いコンビ「ペナルティ」を結成(因みに、ヒデが誘った数は5人で、
その5人目がワッキーであった。ヒデがある番組で告白するまで、その事実をワッキーは
知らなかった。ヒデがワッキーを誘った当初、後輩であるワッキーは『合宿所を逃げ出した
ことで、又殴られるんじゃないか』とビクビクしていた) 。ヒデの方が1学年上だが、
ワッキーの顔が老け顔で体毛が多く、対するヒデの顔が童顔気味のため、同級生の中には
ワッキーの方が年上と思っていたものがいた。

2007年に2歳年下の一般人女性と結婚。
2008年に第一子が誕生。

所属事務所:吉本興業
メンバー  :阿部智則(1979年8月29日生まれ・A型・ボケ)
        吉田大吾(1979年4月4日生まれ・O型・ツッコミ)


2人の出会いは東京NSC。同期にロバートインパルス森三中など。
入学し3ヶ月経ち、周囲の勧めで吉田から阿部を誘ってコンビ結成。阿部が複雑なコンビを
乗り換えしていたところを吉田が救う形になる。
1998年8月 コンビ結成から1ヶ月で銀座7丁目劇場で初舞台を経験し、大好評。NSC生の中から
MVPを決める大会で、4期生の中で2位になる。

1999年1月 吉田がボケになりたいという理由からコンビを解散する。その際、吉田はツッコミ
候補のNSC生とすでに仲良くしており、阿部に電話でそのことを伝えた。同年3月 お互い別々の
コンビでNSCを卒業。吉田は「ももいろ」、阿部は「積木」というコンビ。同年7月 吉田の
「ももいろ」がうまくいかず解散。7月下旬 吉田が自ら「積木」への加入を希望し、
阿部は快く承諾してトリオになるが、1回だけ活動し、すぐ解散。メンバーは解散とともに3人とも
芸人を引退。吉田はフリーター、阿部は徐々に引きこもりになる。

2000年7月 諦めきれなかった吉田が阿部を競馬場に呼び出してコンビ再結成。そのため
2000年結成とされる。2002年 ルミネのゴングショーで初めて勝ちあがった。

2004年1月 『お笑いカウントダウンTV』でテレビ初出演。同年9月 マクドナルドのCMの声に
抜擢され、動物の声を担当。


【受賞歴】

2004年 M-1グランプリ6位
2006年 M-1グランプリ9位
2007年 M-1グランプリ9位



【パーソナルデータ:阿部智則】

宮城県出身。宮城県石巻工業高等学校卒業。(土木科)

【パーソナルデータ:吉田大吾)

東京都杉並区荻窪出身。東京都立豊多摩高等学校卒業。
ネタ作成担当。
2012年4月2日よりSCHOOL OF LOCK!の教頭に在任。
愛称は坊っちゃん。グランジの佐藤大に命名された。
お酒に強い為、酔って飲んで荒れる先輩芸人の多い飲み会に誘われる事が多い。
野球が好き。
自身を筆頭に「東京大吾組」を率いている。メンバーはLLR福田、グランジ佐藤、
スリムクラブ真栄田、マキシマムパーパーサム長澤、エリートヤンキー橘。
所属事務所:吉本興業
メンバー  :品川 祐(1972年4月26日生まれ・A型・ボケ担当)
        庄司智春(1976年1月1日生まれ・ツッコミ担当)

2人の出会いはNSC東京で、1995年にコンビ結成。1期生にあたる。
コンビ名の由来は2人の名字を合わせただけのもの。
主なネタはしゃべくり漫才。かつてはコントが主だった。ネタの台本のほとんどを品川が作成
している。 以前、庄司に漫才ネタを書いて貰ったところ、二人でやるネタなのに登場人物が
三人になっていた為、その後はすべて品川が台本を書くようになった。
『爆笑オンエアバトル』にも出場経験がある。通算戦績7戦6勝。第3回チャンピオン大会では
自身初、更にチャンピオン大会初のオーバー500を達成しファイナル進出を果たしたが、
ボール2個差でルート33に敗れチャンピオンを逃した。
中川家・麒麟・次長課長・ペナルティ・おぎやはぎらと共に現在の若手お笑い芸人ブーム到来
よりも数年前(2000年代前半)に売れてしまった為、「自分達はお笑いブームに上手く乗れて
いない」と発言する事がある。だが、雛壇芸人として活躍しており、ゲスト出演も多い。

2000年、わらいのじかんの若手芸人のコーナーに出演した際、無名ながらダウンタウンの目に
止まり、後日『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』の前説に抜擢された。

コンビ仲はあまり良いとは言えないようで、現在でも「年に一度取っ組み合いの喧嘩になる」。
品川が小説「ドロップ」などピン活動が活発になり険悪になり、『めちゃ×2イケてるッ!』に
宣伝のために出演した際には、収録中のやりとりを巡って収録後に殴り合いのケンカに
発展している。だが、映画「ドロップ」公開後はメールで感想のやりとりをする程コンビ仲
が改善されたというのが本人たちの弁。しかし品川は新しい小説や映画の仕事にさらに
やる気を出し、新しいネタを書くことはもう数年なく、庄司はピンでネタを披露する機会が
増え、R-1ぐらんぷり出場にも意欲を見せていること、かつ品川が庄司の役割である筋肉
キャラ・イケメンキャラにも浸食しつつあることから、共演者からコンビ仲について
突っ込まれることは多い。だが、面と向かってはあまり話さない割には、お互いのブログを
チェックしたりしている。



【受賞歴】

2001年爆笑オンエアバトルチャンピオン大会準優勝
2002年ゴールデン・アロー賞芸能新人賞
2005年M-1グランプリ第4位


【パーソナルデータ:品川 祐】

東京都渋谷区出身、東京都立足立西高等学校中退。
志学館中学校(現志学館中等部)在学中、不良漫画に憧れ公立である狛江市立狛江第三中学校
に転学。東京都立足立西高等学校中退。
東京都生まれの東京都育ちだが、高校中退後にフリーターとなり、広島に1年間住んでいた。
現在の妻の勧めもあり、23歳で東京吉本総合芸能学院(東京NSC)に第1期生として入る。


母親は、美容家で国際魅力学会会長のマダム路子(品川路子)。父親は、山野グループの
株式会社ヤマノ代表取締役元社長故山野凱章。祖母は故山野愛子。美容家山野愛子ジェーンは
元従姉。2人の姉と1人の兄がおり、4人きょうだいの次男で末っ子。長姉はヘアスタイリスト、
次姉はシナリオライター・エッセイスト、兄は映像プロデューサー。株式会社ヤマノホール
ディングス代表取締役社長山野義友は従兄弟、会長の山野彰英(義友の父)は叔父にあたる。

幼いころに両親が離婚し、母親に引き取られた。父親ときちんと会ったのは高校入学時で、
その後もほとんど会う機会はなかったが、父親は内緒で舞台を見に来るなどしていた。
2007年3月、母のマダム路子が俳優の片岡五郎と再婚。実際には中学生時代から片岡が
父親代わりだったとブログで公表している。

2003年9月18日、約10年間交際していた女性と結婚。品川曰く、寝顔は河本準一似。
2009年11月、不妊治療の末に妻が妊娠したことをブログで発表。2010年4月15日、
長女(第1子)が誕生。

信頼を寄せて可愛がっている後輩芸人にピースの綾部祐二がいる。自分がまだ若手の頃から、
綾部を自分の仕事に同行させ、身の廻りの世話を任せるなどのほか、品川庄司の番組で
ADとして働かせるなどしていた。ちなみに綾部は、品川のことを「お師匠様」と
呼んでいる。
他にかわいがっている芸人はフルーツポンチ村上、こじまよしおなど。


【パーソナルデータ:庄司智春】

東京都大田区蒲田出身。私立東京実業高等学校卒業。
NSCに入学する前はヤナセに勤務していた。ヤナセ退職後は羽田空港で航空機清掃のアルバイトや、
竹ノ塚でホストをしていたことがある。

漫才やコントではツッコミ担当であることは前記したが、性格はかなりの天然ボケで、
バラエティ番組においてはボケ担当の相方・品川にツッコミを入れられる(または呆れられる)
場面もしばしば見受けられる。

オシャレに定評があり、好きな服のブランドはBAL(旧・balance wear design)。

自他共に認めるほどのナルシストで、自らの筋肉質の身体を写したヌード写真を自宅に飾っている。
タンクトップを70枚以上所有し、下着はビキニブリーフやTバックを愛用している。

熱烈な阪神タイガースファンである。
長渕剛好きが高じてギターとハーモニカを習得する。

1分間にお尻でくるみを割る最多回数で43個を割り、それまでの41個の記録を塗り替え
ギネス世界記録に認定されている。

実家は、ネジを作る町工場で、副業としてスナックを経営している。これを「スチュワーデス
が物を取るときに使う台のバネ」を作る町工場であると捏造し、長らく漫才等でも
「ここ笑うところじゃないですよ!」とネタにしてきたが、実際は実家で「スチュワーデス
が物を取るときに使う台」の設計図を見たことがあるだけである。さらに「バネ」は
笑いをとるために品川が加えたものであることをアンタッチャブルのラジオ番組で暴露した。

実家に住んでいた頃は屋上に設置されていたプレハブ小屋を自室としていた。しかし
番組企画で違法建築であることが判明し、そのせいで雨漏りなどが起きていた上、屋上の
床が沈んできていることも発覚したため、解体された。


2009年7月11日 元モーニング娘の藤本美貴と入籍
2012年3月27日 第一子となる長女誕生

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。