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所属事務所:吉本興業
メンバー :博多華丸(1970年4月8日生まれ・B型・ボケ)
       博多大吉(1971年3月10日生まれ・O型・ツッコミ)



2人は福岡大学在学中には2人とも落語研究会に所属し、そこで知り合う、地元のタウン誌に活動が
紹介され、それを見た別のプロダクションにコンビ名「ヨッチャン・オカチャン」を付けられ
東京でやらないかと誘われたが、怪しいプロダクションだったためそこはやめる。その後
吉本興業福岡事務所の1期生のオーディションに合格し「鶴屋華丸・亀屋大吉」
(つるやはなまる・かめやだいきち)として翌年デビュー(後に2人とも大学を中退)。
福岡県をはじめとする九州・山口地方ではトップクラスの人気があり、全国デビューする前の
1995年にフジテレビ『めちゃ²モテたいッ!」』(『めちゃ2イケてるッ!』の前身番組)で
「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。
また、本格的な全国デビュー前も『爆笑オンエアバトル』に出演していた。

福岡吉本1期生で竹山隆範が同期に当たる。

2001年の第1回M-1グランプリでは11位となり決勝進出はならなかった。結成11年だったが
吉本興業の社員から「ええねん、ええねん」と言われ出場の要請を受け出場、しかし準決勝の
時点で主催者側から「10年を超えているのはやはり駄目」となり実質失格の扱いだった。
当時は敗者復活枠が無くこの時点で結成10年を超えていた為、次年度以降は出場出来ず、
これが最初で最後の出場となった。

2002年頃から東京進出が噂になり始め、当時吉本興業社長だった林裕章から直々に
「ぼちぼち福岡からも目玉を出さなあかんな。もちろん君らからや」と言葉を投げかけられる
ものの、直後に林社長が病に倒れ会長職に退いたことや、福岡吉本も一枚看板「華大」が
いなければ巡業などの仕事も減る為、この話は一度立ち消えとなった。

2004年4月、屋号を博多に変更した現在の芸名へ改名する。改名のきっかけは、姓名判断に詳しい
福岡事務所の女性職員から「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」と判断された事である。
その女性職員から「いい名前がある」と勧められたのが、現在の『博多』の屋号である。
またその女性職員から「屋号を博多に変えて2年以内に東京に行けば運気が上がる」とも
アドバイスされる。尚、改名に際し同じ「博多」の屋号であった木村進(三代目博多淡海)にも
報告し、改名を快く認めてもらったという。

2005年4月に3年越しの念願であった東京本社へ移籍。移籍後はルミネtheよしもとでの舞台
などが主な活動の場となっている。また、月に数回は福岡での仕事も出張として行っている。
しかし、テレビ局や制作会社には新人とみなされたため、東京進出直後はテレビ出演一本あたり
のギャランティは福岡時代より断然減っており、出演数をこなしているのでそれなりの
生活が出来ている状態であった。また、上京直後に初めて笑いの金メダルのオーディション
を受験した際、担当ディレクターが福岡出身でなおかつ学生時代から華丸・大吉のファンで
あったことから「お願いですから(たった1分の出演のために)こんなオーディション
受けないで下さい」と言われたことがあり、エンタの神様のオーディションにも落選している。
芸歴が長く場慣れしているため、この手のお笑い番組が求める新鮮さとは合わず、
当時はなかなか仕事がもらえなかった。

2005年10月、とんねるずのみなさんのおかげでした内のコーナー、博士と助手細かすぎて
伝わらないモノマネ選手権の第6回大会に華丸が出場、児玉清のモノマネで優勝し、
注目を浴びる(その後、第7回大会も優勝し、連覇する)。

2006年2月、『R-1ぐらんぷり』の決勝に進出。上記の児玉清のモノマネのネタで、華丸が優勝。
なお、この大会で披露したネタを作ったのは相方の大吉であり、裏方に回って華丸を支えていた。

2006年に、親交があるつんくが福岡で活躍していたタレントの出光加奈子と結婚したが、
紹介したのが華丸・大吉であった。華丸は「いつワイドショーが取材に来るか分からないから」
と髪を整えてずっと待っていたが、一切取材が無く終わってしまった。

長らく福岡で活躍していたため、東京進出まであまり視聴者には知名度が無かったものの、
福岡に仕事でやってくる芸能人・業界人とは親交が深い。華丸は藤井フミヤと飲み友達であり、
前述のつんくを始め、三沢光晴や下柳剛など各界に友人知人がいる。

また、福岡吉本出身の芸人の兄貴分的存在であり、多くの後輩から慕われている。
特にパンクブーブーとは交流が深く、彼らの実力と才能をいち早く見抜いた芸人の一人でもある。
確かな実力を有しながらもなかなか売れなかった彼らを不憫に思い、大吉は七夕の短冊に
「パンクブーブーに光が当たりますように」と書いたことがある。その年にパンクブーブー
M-1王者に輝いた。 一方、パンクブーブーも、華丸・大吉が東京進出して間もない頃は、
二人が早く東京や東京の芸人に馴染めるように色々と売り込んだり、心を砕いたりしていた
という。黒瀬は華丸のことを「お父さん」と呼んでいる。

R-1ぐらんぷり優勝後、よしもとからの扱いが変わったと本人達は述べている。
コンビ仲が非常に良く、仕事終わりで飲みにいくこともある。
カラオケに行った際には、締めは「青春アミーゴ」をデュエットするという。
大吉は生まれ変わったら華丸の息子になりたい。



【受賞歴】

2006年 R-17ぐらんぷり優勝 (華丸のみ)
2011年 THE MANZAI決勝進出


【パーソナルデータ:博多華丸】

本名、岡崎 光輝(おかざき みつてる)。
福岡県福岡市早良区出身。福岡大学工学部中退。

2006年R-1ぐらんぷり優勝。
司会の宮迫博之に「優勝賞金500万円のうち450万円くらいは児玉さんにあげなあかん」と言われ
ると、うなずきながらも「賞金はネタを一緒に考えてくれた相方と分けます。残りは中洲で
ボンバーします!!」と発言。相方の大吉は「嬉しい。けれど、賞金はもらえない」、2人で
「次はコンビで上方お笑い大賞を狙います」と大きな夢を語る。後日別の番組で華丸が
「2人で半額に分けることを提案したが大吉から却下され、『(華丸の)嫁にあげればいい』
と言われた」と語った。なお、同番組で大吉は、華丸が賞金をもらえないのはかわいそうなので
この250万円は相方のために使うと語っていた。

嘘がつけない性格で、ネタ作成で大吉から「医者の設定はどうか」と言われると、
「俺は医者じゃなか!」と言い、コンビにの強盗の設定を提案されると、「お前はそんな
事するような男じゃなか!」と言う。


【パーソナルデータ:博多大吉】

本名:吉岡 廣憲
兵庫県神戸市生まれ、福岡県古賀市出身。福岡大学経済学部中退。
ネタ作成担当。
芸人仲間から「大吉先生」と呼ばれている。

もともとコンビ仲が良かったが、アメトークの「相方大好き芸人」に出演してから
もう我慢しなくていいんだ、とさらにたかが外れたようで、飲みに行ったらなかなか
華丸を帰さなくなってしまった。
ナインティナインの岡村と仲が良い。
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所属事務所:吉本興業
メンバー :佐藤哲夫(1976年4月3日生まれ・AB型・ボケ)
       黒瀬 純(1975年5月8日生まれ・O型・ツッコミ)



2人は元々、別コンビで活動していた。初対面は黒瀬を含む福岡吉本8期生の歓迎会で、
佐藤はその二つ上の先輩として彼らと顔を合わせた。お互いの第一印象は佐藤→黒瀬「ダサイ奴」
(黒瀬曰く、「当時は重ね着さえすればお洒落だと思っていた」といい、「重ね着の黒瀬」という
あだ名がつけられていたらしい)、黒瀬→佐藤「寡黙で雰囲気のある、ちょっと怖い先輩」であり、
とりたてて好印象というわけではなかった。その後、福岡のローカル番組でリポーター役として
共演しているうちに親交を持つようになる。

その後、ほぼ同時期にお互いのコンビは解散。上京を考えていた2人は自然と行動を共にするように
なるが、たまたまボケとツッコミだったということから、「とりあえず2人でやってみようか」と
いう流れになる。偶然と成り行きが重なった形で、2001年4月に佐藤と黒瀬で「パンクブーブー」
を結成。それゆえ、「才能に惚れた」「こいつとなら自分が目指すお笑いが実現できると思った」
「お笑い芸人としての将来を誓い合った」等の「素敵で感動的なエピソードは一切無い」といい、
「フワフワした感じで組んだ」という。

結成当初のコンビ名は、「ブーブー・ザ・パンク」だったが、程無くして現在のコンビ名
「パンクブーブー」に改める。コンビ名の由来は、それぞれの解散してしまったコンビを車に例え、
「車(ブーブー=コンビ)がパンクしてもくっついて力を合わせればまだ走れる」という意味。

当時の福岡吉本では所長の方針で、「事務所の許可なしに芸人自身の判断で東京の事務所へ移籍
することは認めない」というものがあり、どうしても上京したい芸人は「一度吉本を辞め、
東京吉本のオーディションを受けて入り直す」というのが慣例であった。上京にあたり、
パンクブーブーもこれにならって一度吉本興業を辞める。東京に来たときには、吉本にこだわらず
東京の芸能事務所のオーディションに参加していた。それから間もなく、東京に転勤になった
その福岡吉本所長(二人を事実上解雇した張本人)から謝罪を受け、「吉本の新しい劇場
(ルミネtheよしもと)がもうすぐ完成するから、もう一度吉本に来い」と誘われる。結果、
再び吉本入りを決意。ルミネの誕生と共にルミネの舞台に立ち続けている数少ない芸人でもある。

「周りに支えられ芸人」と自称するほど、多くの理解者や仲間に恵まれている。特に舞台叩き上げ
の芸人たちや長年くすぶってきた芸人たちからは絶大な信望がある。
早くから彼の才能を見抜いていた芸人に博多華丸大吉次長課長の河本などがいる。

結成から2年後の2003年、NHK『爆笑オンエアバトル』に初出演し、番組記録タイとなる高得点を
マーク。一躍、コアなお笑いファンの注目を集める存在となる。
高評価の代名詞・オーバー500獲得回数11回の最多獲得記録保持者であることから、番組内では
「ミスターオーバー500」という呼称で呼ばれた。しかし、通常回では番組屈指の強豪として高く
評価されていた一方で、強豪挑戦者のなかからチャンピオンを決定するチャンピオン大会では
成績が振るわないことが多かった。2008年4月のナレーションコールでは「無冠の帝王」と紹介
されており、実力の高さと勝負弱さ、不運を併せ持ったコンビであった。


主に漫才を専攻しているが、時々コントも行っている。佐藤の低い声や口調を生かしたキャラや
黒瀬の戸惑い気味のツッコミが目立つ。

M-1王者となりメディアへの露出が増えた現在でも舞台に立ち続けることに強いこだわりを
持っており、ネタとトークの単独ライブをほぼ毎月開いている。

漫才の場合、高い技術に裏打ちされた奇をてらわない芸風が持ち味。スタンダードなスタイルの
なかにも言葉選びのセンスや台詞回しに抜群のテンポが光る。緻密で練りこまれた正統派のネタが
多く、「みんなが安心して楽しめる漫才」がコンセプトだと語っている。パンクブーブーとしての
ネタ作りの鉄則は「人の悪口は言わない」「時事ネタはやらない」「下ネタは極力避ける」の3つ。


プライベートで行動を共にすることはないが、「パンクブーブーとして、今後も漫才はずっと
続けていきたい(=これからも2人で活動したい)」と述べている。
 

【受賞歴】

2009年  M-1グランプリ 優勝
2010年  M-1グランプリ3位
2011年 THE MANZAI 2011 優勝


【パーソナルデータ:佐藤哲夫】

大分県大分市出身。大分県立大分豊府高等学校卒業、九州産業大学商学部中退。
高校生のころ、同級生とお笑いコンビ「laughing-hi(ラフィング・ハイ)」を組み、大分県の
ローカル番組『スパーク オン ウェイヴ』で開催された「ハイスクールお笑い選手権」に出場し、
優勝を果たす。その活躍が吉本興業福岡事務所の所長の目に留まり、芸人としてスカウトされる。
福岡吉本6期生となる。
ネタ作成担当。
佐藤のネタ作りは、まず小ネタを集めることから始まる。ボケや話の設定、キャラクターの人物像
などが頭に浮かんだら、キャンパスノートの1ページに1つずつ書き出す。最初は書き込むのは
ノートの片面の端の方のみで、他の部分は後から追記できるように空白のままにしておく。
そしてそのページを破いてノートから切り離し、ひとつのクリアホルダーにためていく。
メモを用意できない状況や外出先では、携帯電話のメールにメモして残すこともある。
こうして小ネタを少しずつためていき、ネタ作りのときはそのメモを机の上に並べ、構成を
イメージしながら小ネタを取捨選択していく。ネタ作りについて佐藤は「大体は核となるボケや
設定がまずあって、それを最も生かすためにどうしたらいいか、と考えながら決めていく」と
語っている。この一連のネタ作り法は佐藤独特のもので、他の芸人仲間からも珍しがられている。


普段は非常に物静かで真面目、人見知りする性格らしく、福岡吉本時代の先輩である博多華丸や
コンバット満は、佐藤の人となりを「人付き合いが全くできない」「割と一人でいることが多い」
「暇さえあればマンガ喫茶にこもってずっとネタ作りをするような奴だった」と言っている。
ネタ作成のほぼ100%を担当しており「10時間ネタを作っていても全然苦にならない」と語っている。
その反面「自分は社交性ゼロ」とも述べており、苦手な人付き合いはすべて相方に任せている。



2010年4月3日、自身の34回目の誕生日に、交際していた一般女性と入籍。
2010年11月6日に第1子となる男児が産まれた。
妻の姉の夫(義兄)は、福岡吉本所属の先輩芸人・コンバット満。元々夫人のほうが佐藤に対し
好意を抱いており、M-1前から「佐藤を紹介してほしい」とコンバット満に頼んでいたそうで
M-1後にそれがようやく実現。当初は佐藤、コンバット共に「ちょっと会うだけ」程度の感覚で
あったが、それがきっかけとなり交際、そして結婚に発展することになる。




【パーソナルデータ:黒瀬 純】

福岡県福岡市中央区出身。東福岡高等学校卒業。
高校卒業後は一般企業に就職し、サラリーマン(アクセサリーの営業)として平凡な毎日を
送っていた。しかし、高校卒業から2年半ほど経った正月、ラグビーの試合を観戦し
「俺もやっておけばよかった」と父親が漏らしたのを見て、「自分も好きなことをやろう」と
思い立ち、芸人を志し、福岡吉本8期生として芸人活動を始める。

中学2年から暴走族のグループに入り、高校2年には副総長になった。
暴走族名は「悪死魔(あくしま)」。
当時を知るバッドボーイズ佐田は「ものすごく怖かった」と語っており、相方の清人は
「黒瀬のケンカを見たことがあるが、ヘッドバットが得意でケンカは強かった」と述べている。

小学生の頃に両親が離婚し(原因は母の浮気)、父子家庭で育つ。
母親は少々ぶっとんだところがあり、借金の連帯保証人に勝手にさせられてしまい、M-1優勝直後の
記者会見で賞金の使い途を尋ねられると、「まず、母親の借金を返したい」と話していた。
ちなみに借金額は18万円。その後、M-1賞金授与式で、母親に100万円を渡している。
前述のように荒れた青春時代を送っており、辛い思いをさせてしまった負い目から、現在でも
父親に対しては頭が上がらない。

相方がネタ作成担当なのに対し、黒瀬は人付き合いを担当している。数多くの先輩、後輩との
交流があり、特に次長課長の河本、品川庄司の品川、COWCOWの多田と仲が良い。
COWCOW多田が率いる「多田軍団」の発起人でもある。また自身でも「くろじゅん軍団」と
いうものを率いているが、芸能界最小派閥と言われている。

2009年のM-1決勝進出が決まったとき、歓喜のあまりその場に泣き崩れて三時間そのまま泣き続け、
周囲の芸人たちからはドン引きされ、カメラマンも途中で帰ってしまった。

名古屋が好きで、大阪で仕事の際もわざわざ名古屋に泊まりに来るほど。

2010年12月25日、M-1制覇前から数年来交際していたトリマーの女性と入籍。
2011年7月20日、第一子(女児)が誕生。



所属事務所:人力舎
メンバー :豊本明長(1976年6月6日生まれ・A型・ボケ)
       飯塚悟志(1973年5月27日生まれ・O型・ツッコミ)
       角田晃広(1973年12月13日生まれ・A型・ボケ)



元々、豊本と飯塚は「アルファルファ」というコンビで、角田は「プラスドライバー」という
トリオで活動していた。2002年にプラスドライバーが活動休止を経て解散、2003年9月30日、
アルファルファに角田が加入する形でトリオ「東京03」が結成される。
豊本と飯塚はJCAの2期と3期で、お互いコンビを組む相手がおらず、余り者同士が
くっついた形だった。角田は事務所も違ったが、たまたま飯塚と家が近所で一緒に飲むように
なり、角田が芸人を辞めようとしていたところを、アルファルファに限界を感じていた
飯塚が誘い東京03を結成することとなった。
爆笑オンエアバトルの香川大会(収録日:2003年10月4日)では、結成4日目にして初挑戦
初オンエアを達成し、同番組におけるデビューからオンエアまでの最短記録を作った。


トリオ名は、アルファルファとコントグループ『チョコレイトハンター』を組んでいた作家の
オークラが命名。3人組であるということ、2003年に結成したこと、東京23区の市外局番である
ことをかけている。おぎやはぎの矢作兼が提案した「トリオ・デ・サンシャイン」
(2回目の単独ライブのタイトルになる)、「ウィークエンドジェントルマン」などという名前も
候補にあった。角田は「スリーゼウス」を考案したが、最悪な名前と言われ却下された。

2005年1月、人力舎オールスターユニット「ビジトジ」でCDデビュー。

主に舞台を中心に活躍している。
コントのみを行い、漫才やショートコントなどを行うことはない(理由はやってみたが下手だった)
ネタは飯塚と角田の2人により考えられており、豊本はそれをパソコンに写し台本化している。
ライブでの映像、音楽、効果音などは作家のオークラ、メンバーの豊本が担当している。

『爆笑レッドカーペット』に出演しなかったのは、出演しなかったのはなく、出来なかった。
自虐的に「ショートネタブームに乗れていない」と語っている。また、キングオブコント優勝後
メンバーは「今後もライブで食べていきたい」と語っており、ネタ番組以外のバラエティ番組の
出演はあまり多くない。これはメンバーがフリートークは苦手と公言しており、現在の
バラエティ番組はトーク番組全盛で活躍できる場がないため。また、豊本は「『ダウンタウンDX』に
出させてもらったとき、ダウンタウンさんとブラマヨさんとのすごいやり取りを目の当たりにして、
トーク番組で活躍するのは無理だと思った」とも語っている。

圧倒的な演技力で、コントをする後輩芸人が憧れる存在であり、単独ライブを見に来る芸人も多い。

キングオブコント優勝後はライブに来てくれるお客さんが5倍に増えた。


【受賞歴】

2006年 第4回お笑いホープ大賞大賞受賞
爆笑オンエアバトル - ゴールドバトラー
2009年 キングオブコント優勝

【パーソナルデータ:豊本 明長】

愛知県春日井市出身。
趣味:音楽、特技:プロレス観戦、甘党、動物好き
スクールJCA3期生
ネタ時、他の二人ほどのセリフはなく独特のおっとりとした雰囲気をかもし出しているが、
「アルファルファ」時代のシュールなボケは現在では減っている。


【パーソナルデータ:飯塚 悟志】

千葉県四街道市出身。
趣味:野球・麻雀、特技:ボウリング
スクールJCA2期生
角田に対して、キレたテンションでのツッコミを行う。怒りと驚きが合わさった、「はぁ!?」と
いうセリフが特徴的。
芸人を志したのは子どものころからお笑い番組が好きで見ており、あるとき、ひょうきん族で
西川のりおがプールでおぼれてるのを見て、腹抱えて笑っていて、ふっと「この人、これでお金
もらってるんだな。いいな(笑)」って思ったのがキッカケ。それから職業として意識しはじめた。


【パーソナルデータ:角田 晃広】

東京都文京区出身。
趣味:弾き語り、特技:卓球
でべそ。
飯塚と張るレベルのテンションでのボケを担当する。
離婚歴がある。
芸人になったキッカケは東京03を組む前の相方の1人に大学のときに誘われて始めた。その後、
プラスドライバーを解散して、どうしようかなって思っているときに飯塚に誘われて、東京03を
結成した。すべて受け身だという。
もともとミュージシャン志望で、長渕剛のような、メッセージ性のある、社会に向けて発信する
ようなシンガーソングライターになりたかった。

所属事務所:ホリプロ
メンバー :井戸田潤(1972年12月13日生まれ・B型・ツッコミ)
       小沢一敬(1973年10月10日生まれ・B型・ボケ)




両者とも名古屋吉本の養成所に通っており、共に吉本興業名古屋事務所の2期生。
吉本での同期デビューの芸人は次長課長や徳井義実(チュートリアル)、ブラックマヨネーズ等。
小沢は幼馴染とオーディションを受け、井戸田は高校時代の同級生とコンビを組む予定だったが、
オーディションにその同級生が現れず、結局1人で受ける。受験番号が前後であった事、小沢の
コンビのネタの完成度が高かった事、井戸田は声も出ており陽気で騒いでいた事などから、
互いに印象に残っていた。養成所では常にライバル関係で、名古屋に所属している芸人の
オーディションがリーグ戦形式で行われ、小沢のコンビ「バツイチ」は毎回優勝、井戸田の
コンビ「マグニチュード」(このときは井戸田は「イトリ」という芸名だった)は毎回2位。
(バツイチが出場しなかったら1位)だった。


その後、井戸田はマグニチュードを解散し上京、アルバイトをしながら活動。この頃、
バツイチが解散したと聞き、以前より小沢とコンビを組みたいと考えていた井戸田は、小沢に
声をかけた。しかし、腰の重い小沢は名古屋からなかなか出ようとせずコンビ結成に意欲を
見せない為、井戸田がトラックをレンタルして名古屋まで小沢を迎えに行き、小沢は身ひとつで
上京した。小沢は住まいが見つかるまで井戸田の家に居候し、井戸田は小沢の昼食を作る為に
アルバイトの昼休みに帰って来ていた。そして、1998年12月11日にスピードワゴンを結成。
当時のM2カンパニー(現・ホリプロコム)社長の宮原匡彦に誘われ、同社所属タレントとなる。

スピードワゴンの転機となったのは後述の2002年『M-1グランプリ』に敗者復活枠での出場。
これを機に名前が知られるようになり、注目度も高まった。本人たち曰く、M-1決勝出場前の
給料は3000円だったが、出場後はテレビ出演が増えた為、給料は100倍になったという。
この頃の打合せの際、井戸田は「来年から忙しくなるよ」と小沢に言ったという。その言葉通り、
テレビ出演も増え、知名度も上がった。

転機のキッカケとなったM-1グランプリだが、2004年度も出場したが、準決勝止まりで
敗者復活戦も辞退。2005 - 2006年度は出場していない。2007年は3年ぶりに参加したが準決勝で
敗退、ラストイヤーとなった2008年度も準決勝敗退。因みに第1回大会に出場していない理由は、
公にはコントしかやっていなかったからだ(実際は結成当初から漫才を本分としている)と
語っているが、本音は小沢曰く「単純に怖かったから出場しなかった」という。

小沢より井戸田の方が年上だが、互いに「潤」「小沢さん」と呼び合っている。
コンビ仲が良く、プライベートや性格のことを互いにネタにしあっている。小沢が井戸田を
支えている様に見られる事が多いが、実は人見知りな小沢を井戸田が持ち前の愛嬌でカバーし、
精神的な面は井戸田が支えている。一方で、井戸田の天然ボケを小沢がフォローしていたりする。


【受賞歴】

2002年 M-1グランプリ7位(敗者復活枠)
2003年 M-1グランプリ6位



【パーソナルデータ:井戸田潤 】

愛知県小牧市出身、愛知県立小牧工業高等学校卒業。
家族構成は父、母、兄。父は政治家。
実家が金持ちとして知られ、既に自分の土地がある。本人も「一人暮らしをするまで苦労した
事がない」と発言している。
父親も離婚歴があり、バツ1である。これは安達との結婚式の直前に「父さんも一度失敗している
から、お前も気をつけろ」といって知らされたという。
元妻は女優の安達祐実。一児あり。
AKB48の大ファンであり、中でも特に高橋みなみ推し。
小沢の失敗を持ち前の明るさでフォローしていることから、小沢曰く「スピードワゴンの愛嬌」。
バナナマンの日村と仲が良い。



【パーソナルデータ:小沢一】

愛知県知多市(新舞子)出身。。名古屋大谷高等学校中退。
名前は、祖父が「一番敬われる人間になるように」との願いを込めて付けてくれた。
ネタ作成担当。
井戸田と同じくAKB48のファンで宮澤佐江推し。
クイズが得意で「スピードワゴンの頭脳」と称される。
大の読書家で、家に小説、漫画を3000冊以上を所有している。
好きな作家は筒井康隆、常の寺山修司の「ポケットに名言を」を持っている、出会った人に
プレゼントしている。

大の犬嫌いにも関わらず、引越し祝いとして犬を井戸田からプレゼントされた。
その犬は友人であるウエンツ瑛士に引き取られ、「オザワ」と命名された。

仲の良い芸人は雨上がり決死隊の宮迫博之、ダイノジアンジャッシュバナナマン麒麟の川島明、
劇団ひとり、チュートリアル徳井、次長課長井上、流れ星ハマカーン磁石など事務所関係なく
交友関係が広い。
所属事務所:ホリプロ
メンバー  :佐々木優介(1980年3月31日生まれ・A型・ツッコミ)
        永沢たかし(1979年12月28日生まれ・O型・ボケ)


日本映画学校で知り合い、2000年磁石結成。コンビ名は2人のイニシャルが「SASAKI」と
「NAGASAWA」である事から来ている。

佐々木が青、永沢が赤のシャツの上に上着を着たスタイルが定番(以前は『G-shack』のロゴの
入った赤と青の長袖シャツだった)だった(2010年M-1まで)。2011年のTHE MANZAI 2011以降は
と白のシャツに佐々木が青、永沢が赤のネクタイになっている。
初仕事は週刊誌「FLASH」の企画で、風俗店に行き、風俗嬢たちのバストを足して2000cm測る
企画だった。
初舞台は、人力舎主催の「バカ爆走」の若手勝ち抜き戦コーナー。初舞台を迎える一週間前から
永沢が佐々木の家に泊りこみ、毎日50回くらいネタの練習をした。
吸っている煙草はともにマールボロ。
2008年4月末に三木プロダクションを退社し、6月中旬ごろにホリプロコムに所属。
同年6月19日の「ドライブインナガサワ」にて報告された。
M-1グランプリにおいて、2003年から2010年まで毎年準決勝に進出するも、決勝進出は叶わなかった。
チャド・マレーン(旧ジパング上陸作戦)、とろサーモンと並び敗者復活戦最多出場記録(8回)。
メンバー達は「M-1に踊らされた」と語っている。
2010年7月に行われた「磁石漫才ライブワールドツアー最終公演」では15本のネタを一度も締めず
90分間やり続けるノンストップ漫才を披露した。
THE MANZAI 2011において認定漫才師50組に選ばれる。本戦サーキットでは2回の出場で3位と2位と
好成績を残し決勝進出を決める。各サーキット会場では上位3組のみ発表されるが、2回の出場とも
上位3組に入ったのは磁石を含めパンクブーブースリムクラブのみ。
決勝ではグループAに入ったものの、ナイツに敗れてグループ2位で敗退した。

ネタの設定、流れ、構成などは基本的に永沢担当で、家で一人で作ることが多いが、佐々木と
二人で喫茶店でネタを考えることもある。


【受賞歴】

2003年、2005年 お笑いホープ大賞決勝進出。
2003年~2010年 M-1グランプリ準決勝進出。(2010年予選順位15位)
2011年 THE MANZAI 2011決勝進出。




【パーソナルデータ:佐々木 優介】

広島県呉市出身。和庄中学校→武田高等学校卒業。
実家は寿司屋。
ニックネームはササキング、キングなど。
4歳年下の弟が居て、「伝承遊戯」というバンドでドラムを担当している。
3歳から中学進学前まで水泳を習っており、中学入学後はバスケットボール部に入部。
当時は身長が148cmしかなかったが、その後成長し、現在は184cmとなっている。
入院した永沢の見舞いに行った時、名簿の患者との関係の欄に『相方』と書いた。
高校生のとき同級生と「年中無休(ツッコミ役)」と言う名前でコンビを作り、学園祭更には
呉市内の老人ホームでもコンビでコントを披露したことがある。後述の件は地方紙でも
取り上げられた。「年中無休」は学内でも有名になり、学園祭では学校長が聴くほどの人気で
会場の教室を埋め尽くしたほど。この活動の実績を肩書きに相棒と早稲田大学の推薦入試を
受けるも揃って不合格。高校卒業後、相棒は他大学に進学し別々になり解散した。


カバチタレの作者(原作、作画ともに呉市出身)と遠い姻戚関係にある。
母親は地方局の元アナウンサーで、ホリプロコムに移籍して単独ライブを行った際、
ホリプロコムの社長が打ち上げの席で佐々木の母親を指し、「あの女を紹介しろ」と言ってきた。
永沢曰く、ツッコミよりボケのほうが得意らしい。

愛されたい願望が強いらしく、相方よりも人気が欲しく、バレンタインのチョコや
誕生日プレゼントの数が相方より少ないと激しくへこむそう。

器が小さいとよく言われる。

【パーソナルデータ:永沢 たかし】

秋田県秋田市出身。将軍野中学校→秋田県立秋田高等学校卒。
本名は永沢喬之(たかし)だが、たかしと読んでもらえない為、芸名はひらがなにしている。
トリッキーな動きと言動、眼鏡が特徴。別名「磁石のN」
パチンコが趣味で得意。そのため番組や雑誌に出演することもある。
髪の色は茶髪。染めてはおらず地毛である。
ネタは永沢が作成。
視力は両目とも0.02。
7歳下の弟がいる。
見た目から文化系に思われがちだが、文武両道で小学生の時は野球部、中学生の時は
バスケットボール部、高校生の時はスキー部に所属しており、体育の成績も5や4を取っていた。
頭も良く中学生の時は学年トップを取るほどの秀才だったが、生活態度の面でよく怒られていた。
出身高校は秋田県で屈指の進学校である。
前述の様に急性虫垂炎で入院した事がある。出番前に痛み出して、のたうち回り、本番15分前まで
楽屋で横になっていた。退院後もしばらく痛みが治まらず大変だったという。元から悪玉菌が腸に
溜まりやすい体質らしい。
アルコールにとても弱い。単独DVDで焼酎の水割りを飲まされるが、1杯を飲むのに苦労した上、
1杯しか飲んでいないにもかかわらず、その後まっすぐ立つことすらできないほどに酔った。
この状態で行われた漫才(『酔漫』と称される)はある意味凄まじい内容となっている。
結婚を前提に付き合っていた彼女がいたが、なかなか売れない磁石の先行きが不安、
という理由から2007年M-1グランプリ準決勝の直前にフラれたとのこと。

自らのブログで芸歴10年前後のライブを中心に活動するコンビを集めたユニットを作る事を呼び掛け、
「FKD48」を立ち上げた。その後行われた第1回総選挙では1位になり、センターを獲得した。
因みに「FKD48」の「FKD」とは、「吹き溜まり」の略である。
キングオブコメディの「就職祝い」と言うネタに登場する高橋健一演ずるわがままな後輩は、
永沢をモデルにしている。
所属事務所:ASH&Dコーポレーション
メンバー :尾関高文(1977年8月6日生まれ・O型)
       高佐一慈(1980年9月2日生まれ)


2004年結成のコントユニット。同年、ゲンセキや爆笑オンエアバトルに出演し知名度が上がる。
2006年1月に初の単独ライブ「手と足が同時に出る」をシアターイワトにて行なった。
事務所の先輩「シティボーイズ」のファンであり、尊敬している。当初はフリーで活動するも、
シティボーイズと同じ事務所への所属を希望し、2005年秋に所属となる。
映像コント集団「モダンレコーディング」にも所属し、その中で、尾関主演の「マッドメン」が
「東京ネットムービーフェスティバル2005」にてグランプリを受賞した。
戯曲作家・故林広志氏第3期コントサンプルの一員で、故林氏のバックアップの下、活動を開始した。
GEESEとは英:GOOSE(ガチョウ)の複数形だが、尾関曰くラテン語で「腰が低い」と言う意味で、
そこから命名したという説もあるが、これは尾関の冗談である。
最近では、TV出演の際に「ザ・ギース」とカタカナ表記となっていることが多い。

ネタは2人と作家の3人で作っている。
シュールで非日常的な設定のコントをする。初期のラーメンズと比較される

ラバーガールと仲が良く、合同でユニットコントを行うことがある。


【受賞歴】

2005年 東京ネットムービーフェスティバル グランプリ(尾関)
2007年 第5回お笑いホープ大賞決勝進出
2007年 NHK新人演芸大賞決勝進出
2008年 第6回お笑いホープ大賞
2008年 第1回キングオブコント決勝進出 Aグループ2位
2008年 NHK新人演芸大賞決勝進出




【パーソナルデータ:尾関 高文】

広島県広島市安佐北区出身。明治大学商学部卒業。
特技は水泳、バレーボール、野球(投手)、広島東洋カープを語ること。
親が厳格で、お笑い番組は見せてもらえなかったという。大学に入ってから『爆笑オンエアバトル』
などお笑いを見始め、その頃に友人に誘われてお笑いの活動を始める。
背後霊が見えるという特殊な能力があり、素人時代から現在まで路上パフォーマンスとして
1回500円で「背後霊スケッチ」をやっている。
基本的に思慮や配慮に頭が回らず、礼を欠いた物言いをしてしまう。また怒られたり注意される時
などに神妙な素振りをするが、真面目に話は聞いておらずあくまで形式的な振る舞いらしい。
その他の場面においても人の話をきちんと聞くことが苦手だという。

2009年6月に入籍、11月11日に女児誕生。

ラバーガール飛永、グランジ五明と仲が良い。五明とは住んでいるところが同じ千葉県の柏市で
駅でバッタリ会うことが多いという。



【パーソナルデータ:高佐 一慈】

北海道函館市出身。函館ラ・サール高校卒業。早稲田大学理工学部中退。
特技はパントマイム、ピアノ。パントマイムはネタ中で披露することもある。
好きなものは映画「博士の異常な愛情」、あんこ。
大学生の時にお笑いのサークル「早稲田大学寄席演芸研究会」に入っていた。大学対抗お笑いバトル
で決勝にいったことがある。
ネタ中に尾関から「古い男前」といじられることがある。
鬼ヶ島のおおかわらと仲が良い。美容院に行くときはいつも一緒とのこと。
ライトノベル作家の川岸殴魚は大学時代のサークルの先輩であり、その縁で月刊ガガガチャンネルに
出演することになったと番組内で語っている。
所属事務所:浅井企画
メンバー:瀧上伸一郎(1978年12月12日生まれ・ツッコミ・B型)
     ちゅうえい(1978年7月29日生まれ・ボケ・A型)


岐阜県立斐太高等学校の同級生であったが卒業後、関西美容専門学校に通っていた瀧上を
大学浪人中のちゅうえいが誘い、コンビ結成。1998年頃の一時期、ホリプロに所属し、
フォークダンスDE成子坂の単独LIVEの企画などに出演していたが、退社。路上ライブを行いながら
オーディションを受け、浅井企画に入社した。
コンビ結成時に瀧上がちゅうえいに「面白いコンビ名を考えてくれ」と言い「赤森県」「キティー君」
「流れ星」となり、最終的に消去法で流れ星になったという。
2008年10月31日放送の爆笑オンエアバトルで19戦全勝を記録し、タカアンドトシが打ち立てた記録を
塗り替えた。また、2009年1月23日放送の同番組で無傷の20連勝を達成し記録を更新した。
ネタ作りは瀧上、ちゅうえい、かもめんたるの岩崎う大の3人で作っている。岩崎はネタ作りの時
片寄ったネタになってしまわないように、ブレーキ役として参加している。


【受賞歴】


2006年 GyaO!サタデーナイトファイバー グランドチャンピオン大会優勝
2008年 第7回漫才新人大賞優秀賞




【パーソナルデータ:ちゅうえい】

岐阜県下呂市出身。拓殖大学卒業。
本名:中島仲英(なかじま ちゅうえい)
趣味はビックリマンシール集め、perfumeのファン。
ネタ中は常に裸足。本当は靴を履きたいらしい。
歯を使って十分な音量で曲を演奏できる特技がある。
実家は温泉で有名な下呂市であり、温泉があるため周りの家は家の水道から温泉がだせる。
しかしちゅうえいの家のみ何故か水道水しかでない。
小沢一敬(スピードワゴン)や永沢たかし(磁石)、浜谷健司(ハマカーン)、
若林正恭(オードリー)などと仲が良い。


【パーソナルデータ:瀧上 伸一郎】

岐阜県高山市出身、関西美容専門学校卒業。
ネタ作り担当。
趣味はゲーム(スト4本田マスター)と読書。剣道2段を所得。
天然ボケで、単独ライブ中で一部ネタを忘れたり言い間違いをするなど、素の状態では相方より
笑いをとることが多い。
佐藤江梨子と漫画「魁!!男塾」の大ファン。かつて飼っていたペットのインコの名前も「トガシ」。
ツッコミの師匠は村田渚。
元フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎の家に居候していた時期がある。

所属事務所:ワタナベエンターテイメント
メンバー :バービー(19984年1月26日生まれ)
       ハジメ(1984年7月28日生まれ)



ワタナベコメディスクール1期生を卒業後、同スクールを手伝いに来ていたハジメが、
2期生として入学したコンビとして活動していたバービーと出会う。
バービーが2007年にイモトアヤコとのコンビ「東京ホルモン娘」を解消し、バービーが
しばらくの間一人で活動。その後、普段と違う相方とライブをする企画で、バービーに
ハジメの方からスカウトしてフォーリンラブ結成。


【パーソナルデータ:バービー】

北海道夕張郡栗山町出身。東洋大学文学部卒業。
本名:笹森花菜(ささもり かな)。
ワタナベコメディスクール2期生。ドラマの脚本を書きたいと思い最初は放送作家コース志望
だったが、同スクールからの勧めでお笑いタレントコースの方へ進んだ。アンガールズ
田中卓志に憧れて、ナベプロに入った。
ワタナベコメディスクールの後輩のイモトアヤコとコンビ「東京ホルモン娘」を組んで活動して
いたことがあった。このコンビで2006年のM-1グランプリにも出場。この当時、所属は
「アマチュア」表記。その後イモトが『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ)の珍獣ハンターに
選ばれ長期ロケに出たこともあってコンビは自然消滅したという。

山崎弘也(アンタッチャブル)に似ていると、番組の共演者に言われることが多く、ハジメとの
初対面の時も、いきなり「山崎さんそっくりやな」と言われた。山崎とは何度もバラエティ番組
などで共演している。また、「もしフォーリンラブが解散になった場合、アンタッチャブル山崎と
組んで『山崎兄妹』を結成しろ」。とネタにされることがある。

4年間テニスインストラクターをしていた。
美容にかけるお金が半端ではなく、永久脱毛をしたり、頬の凹凸を薄くする整形を100万円かけて
した。


【パーソナルデータ:ハジメ】

大阪府大阪市住之江区出身。大阪府立大和川高等学校卒業。
本名:佐原肇(さはら はじめ)
最初はNSC大阪校に入学したが、約6か月後にNSCを辞めて上京。創設されたばかりのワタナベ
コメディスクールに1期生として入学した。
お笑いで影響を受けたのは、中学生の時に視ていた『すんげー!Best10』(朝日放送)と、
紳助・竜介のビデオだった。
小学生、中学生の時にSPEEDのファンクラブに入っていた。
父親はデザイン会社の社長で、裕福な家庭に育った。母親からは大変溺愛され、非常に
甘やかされていたとの事で『お笑い芸人親子で漫才王座決定戦スペシャル』にて、
上京してから4年間で毎月20万円、トータルでおよそ1000万円もの仕送りをもらっていた。
上京時に舞台に立つ機会を求めて、早稲田大学のお笑いサークル「早稲田寄席演芸研究会」に
所属していた時期があった。その時に浅井企画の山マウンテン、松竹芸能のカノンと知り合った。
土田晃之に似ている事が度々指摘されており、モノマネしたこともある。土田も似ていることを
認めている。
所属事務所:ワタナベエンターテイメント
メンバー:田中卓志(1976年2月8日生まれ・B型・ツッコミ)
     山根良顕(1976年5月27日生まれ・O型・ボケ)



大学時代に『ボルケーノ』と称する旅行(正確には旅行企画)サークルで出会って友人となる。
出会った当初は違う大学であることと、ルックスがかぶり過ぎで何となく敬遠し合っていたが、
サークルの連絡ノートに田中が自分の名前を「たくしのり」と記入していたのを山根が見て、
同じ東野幸治ファンだと知り、声をかけたのがきっかけで友人関係となる。

2000年春頃、先に田中が、後に山根が友達2人を連れて上京。山根は友人2人と生活をはじめるが、
次々挫折。仕方なく友人の田中と同年9月頃コンビを結成。現在のプロダクションの
オーディションに合格し、2002年1月付で正式に『アンガールズ』としてデビュー。
ネタ見せを無料でしてもらえる事務所(プロダクション人力舎や浅井企画など)のオーディション
を多数受けていたところ、今の事務所に受かった。

因みに正式デビュー前にプロダクション主催のライブに出演済みの為、波田陽区、クールポコは
後輩になる。コンビ名の由来は、二人ともナヨナヨしていて女っぽいということから田中が
「ガールズ」と名付けようとしたが、山根の反対によって否定を意味する「アン(UN)」を
付け加えたことによる。

2004年、『爆笑問題のバク天!』内のコーナー『恐怖のバク天芸人』(『エンタの神様』に絶対
出られないような珍芸人を紹介)に登場し、番組内で人気を得る。その後『エンタの神様』や
『バク天!』のレギュラーとして出演。

2004年、『笑いの金メダル』(初期の番組内容時)初登場で決勝進出し対戦相手のダイノジ
番組初の同点で引き分けとなり、結局両者とも金メダルを取った。


2005年11月23日にカンニング竹山、いつもここからと共にU.N.O.BANDという企画ものユニットで
CDデビュー。田中はギター、山根はベースを担当。

2006年8月26日 - 8月27日放送『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』にて、2人でチャリティー
マラソンに挑戦した。複数での参加は1994年のダチョウ倶楽部以来12年ぶりで、芸人の参加は
2003年の山田花子以来。完走を危ぶむ声が多数聞かれ「史上最弱ランナー」と下馬評は最悪
だったが完走。司会者などから「史上最強ランナー」と評された。

2007年、白石昌則著の『生協の白石さん』の第2弾『生協の白石さん 木洩れ日』の付録CDで
正式にアンガールズとしてCDデビュー。「木洩れ日」(作詞・作曲:白石昌則)を歌っている。
田中曰く、「Mr.Children並の高音を出せないと歌えないくらいキーが高い」とされる。

2008年12月31日の第59回NHK紅白歌合戦に、羞恥心 with Paboの応援にヘキサゴンファミリーと
共に出演し、「羞恥心」の一部を唄った。アンガールズ出演時が紅白の瞬間最高視聴率となる。


ブレイク前までは、所属事務所のスタッフ間で「ナベプロっぽくない」と言われ、良い扱いを
受けていなかった。そのため2004年に第2回お笑いホープ大賞受賞時に取材が殺到したが、
事務所関係者が不在だったためにその場を仕切った。

彼らの先輩であるふかわりょうは、彼らのライブを見て「これは面白い」と思ったらしく、
彼らをテレビに出演させた。ところが、彼らが瞬く間にブレイクして以来、ふかわは彼らを
ライバル視し始め、「同じ髪型なのに、あっという間に抜かれた」とウッチャンナンチャン
内村光良に話していた。『爆笑問題のバク天!』などのバラエティ番組でも、2人をライバル視
しているかのような節が時々見受けられるが、実際は普段から仲が良いらしく、ブレイク前は、
2人でふかわの自宅に行ったり洋服を貰ったりと世話になった。

ダウンタウン松本人志はエッセイの中で、
「今の若手芸人で一番面白いと思うのはアンガールズ。コントもよく練られている」と語っている。

タモリは『森田一義アワー 笑っていいとも!』で「ふたりは本当に人間がいい(性格が良い)」
と語り、『タモリ倶楽部』に出演させるなど彼らを気に入っている。

また関根勤は「芸風もキャラクターも唯一無二。かぶる存在がいない貴重な存在」とことある毎に
語る。単独ライブ開催の度に、必ず趣向を凝らした花を贈っている。

自分達から前に出るのが苦手な彼らを、ライブで積極的に前に出したり、テレビ番組に
「面白い奴らがいる」と宣伝し続けたのは、前述のふかわりょうやいつもここから等の同じ事務所の
先輩達であったり、他事務所の爆笑問題次長課長やアンタッチャブル等の先輩達であったと言う。

痩身、長身という2人のルックスと、どこでオチるか解らない、グダグダ感を前面に出し、他人から
「キモい」と言われるのが売りのシュール芸が特徴(“キモカワイイ”とも言われる)。
どことなく力の抜ける雰囲気から、「脱力ネタ」とも呼ばれていて、独特な世界観が話題を呼んだ。


2人がブレイクしたきっかけでもある「ジャンガジャンガ」と呼ばれる動作は、プロレスラーの
武藤敬司の『プロレスLOVEポーズ』を元にして作られたもので、ショートコント間を結ぶブリッジ
として使用する。更に田中によれば「左手の甲に書いたショートコントのネタ順の一覧を
カンニングするという役目も持っている」とのこと。



【受賞歴】

2004年、第2回お笑いホープ大賞受賞。




【パーソナルデータ:田中卓志】

広島県甲奴郡上下町(現:府中市)出身、広島大学工学部第四類(建築系)卒業。
愛称は「ミイラ」、「たなぴー」、「ハゲピスタチオ」、「ガイコツ」。
ネタ作成担当。
好きな食べ物は酢豚。嫌いな食べ物はレバー。
下戸で非喫煙者である。

憧れている芸人は東野幸治。

男3人兄弟の次男。大学卒業前に同大学大学院に合格していて、旭化成ホームズへの入社も内定
していたが、それらを辞退してお笑いの道に進む。

aikoの大ファンであり、それをとある番組で言ったところから雑誌で対談し親交を深める。
趣味は紅茶、バイオリン、苔栽培。




【パーソナルデータ:山根良顕】

広島県広島市安佐南区出身、広島修道大学法学部国際政治学科卒業。
愛称は「カッパ」。
福岡県内の中学校で教師をしている弟がいる。
好きな食べ物はラザニア。嫌いな食べ物は納豆。
酒豪であり、ヘビースモーカーでもある。

田中の山根に対する第一印象は「俺と似たような体型の奴がいるな」だったが、山根の田中に
対する第一印象は「気持ち悪い」だった。

ネタは田中が書いているが衣装・ネタの最終確認は山根が担当している。自分がリーダーだと
言い張っているが、田中は山根の事を「ハンコ係」と言っている。

憧れている芸人は相方と同じく東野幸治。

2011年9月、当時33歳のデリヘル嬢が「山根に強姦された」とする告訴状をインターネット上に
掲載したことが問題になり、2012年1月19日、大阪府警淀川署は名誉毀損容疑でデリヘル嬢を逮捕。
容疑者は、大阪市内のホテルで2009年11月にデリヘル嬢として派遣された際、山根から乱暴された
として淀川署に告訴していた。なお、所属事務所は「その様な事実はない」とコメントしている。

小学・中学・高校の9年間サッカー部に所属したが、9年間補欠だった。

気が弱く頼み事をするのが苦手で、「マネージャーさんに何か買ってきて下さいとか躊躇して
言えない」「誰かにオマエも何かいる? と聞かれないと○○お願いしますと言えない」
「後輩にものを頼むのにも勇気がいる。どうしても頼むときはお金を多めに渡して、お釣り
取っといていいよ、と言わないとドキドキする」と述べている。
「うつ病になりやすいタイプ」と診断されたことがある。
地声が小さく雛壇芸人としては目立たないが、時々無表情で思い切ったことをハッキリ言う。
売れる前、ズボンや洋服ははほとんど事務所の先輩ふかわりょうのものであったが、最近は仕事の
合間に頻繁に服を買いに行くのが何よりの楽しみでありストレス解消になっている。
髪型は以前は友人のヘアメイクの人にカットしてもらっていた。一時前髪が極端に斜めにカット
してあったのは、自分で切って失敗した時「わざとこうしている」と言い訳をするため。

酒好きである。自宅や飲み屋などでほぼ毎日飲む。大人数でも一人でも飲む。ワインやカクテル系
より、ビールや日本酒や焼酎などを好む。しかし、酒に強いわけではなく、酔うとテンションは
上がるが喋るペースは普段よりさらに下がる。
特技は書道で、7段を有する。多数のアルバイト経験で身につけた、包装、お菓子作り、
ミシンを使っての裁縫も得意である。
趣味は、音楽鑑賞(ちなみにイギリスのロックバンド「OASIS」のファン)とスポーツ観戦と
ファッション系を中心としたショッピング。クラブに1人で行くことも好き。
アニメ映画や世界遺産のDVD鑑賞も好む。特に『チェブラーシカ』が好きで、グッズを何種類か
持っている。他にプロ野球やサッカーに限らず、スポーツ全般何でも好きで、格闘技やNBAなどにも
詳しい。
新世紀エヴァンゲリオンオタクを自称している。
料理も得意でカレーが得意料理。
所属事務所:ホリプロ
メンバー :日村勇紀(1972年5月14日生まれ・O型・ツッコミ)
       設楽 統(1973年4月23日生まれ・O型・ボケ)



1993年10月、2人の共通の知人であり、現在は『東京フレンドパークII』に従業員として出演
している西秋元喜の呼びかけにより、日村・設楽と西秋の元相方を含めた4人グループを結成
したのが2人の出会いのきっかけ。当時、日村は高校の同級生と組んでいたコンビ『陸上部』を
一方的に相方から解散させられ、ピン芸人としての活動も殆どすることなく、新しい相方を
探している状況だった。一方の設楽は、渡辺正行の運転手をしながら相方を探していた。
そんな2人に西秋から声がかかったわけである。西秋の名前は、『バナナマンのキューピット』
『バナナマンの恩人』として、2人の話に挙がることがある。
4人時代はアルタの裏で待ち合わせとしていた。ところが設楽は、そのグループの2回目の稽古で、
西秋とその相方がつまらないことに気付く。その日、日村の家に寄った設楽はそこで
「(2人を)切るか」と話し、その翌日に西秋を呼んで脱退の意思を伝えた。これが事実上
バナナマン結成の瞬間である。
結成の夜、設楽の家に泊まることになった日村は、一度消えた部屋のあかりを再びつけ、
何を言い出すのかと思いきや、「オレたち、これから凄いことになるぜ」と、真顔で話し、
設楽は突然の告白に戸惑いを隠せなかったという。
1994年2月、「設楽日村」の名でラ・ママ新人コント大会でデビュー(ネタは「パピヨン病」)。
同年春、バナナマンと命名、OFF・OFFシアターにて初単独ライブ『処女』を開催。
当時、単独ライブをやる芸人は珍しかった。
その後、設楽の提案でコンビ名を「バナナマン」とした。由来はひと昔前のアメリカにおける
日本人の俗称「バナナ」(外は黄色「黄色人種」だが一皮剥けば白「白人(みたいな振る舞いを
する)」であるという意味)である。


大ブレイクする事はないが、一定の人気を保って長年続けている事から「低空飛行芸人」を自称。
『芸歴は長いが、実働期間を数えるときゅっと7ヶ月』というのがお決まりの自虐ギャグであった。

ホリプロコムの前身事務所であるM2カンパニーが、芸人を自ら売り込むような事務所では
なかったため、自分たち自身で売り込みを行ったり単独ライブを開いたりしていた。設楽は
「ゲリラ戦法を得意とする」と述べている。またそのため「バナナマンは自力で(テレビに出たり
出来るようになるまで)這い上がった」と語っている。

コンビ仲がよく、互いの誕生日に一番近いラジオの本番中にプレゼントを贈りあったり、ラジオで
日村が設楽に相談したりすることがある。設楽は「自分たちのように)ずっと仲いいって
滅多にない」と述べている。

舞台コントを原点と考えており、毎年夏に行う単独ライブは恒例となっている。ボケ、ツッコミが
はっきりしていない演劇のようなコントが特徴。ライブでは10分〜30分超のコントを主に行うが、
あまりネタの時間が取れないテレビでは、4、5分ほどのコントや、オリジナルのショートコント
を披露する場合が多い。

週何本ものレギュラーを持っているにも関わらず単独ライブを続ける理由について
「ライブ自体には利益も少ないが『テレビに出るようになってライブをやらなくなった』と
言われ出すのが嫌だから」「ライブはつらいけど、終わってみると楽しいと思えるから」などと
述べている。

結成当初は日村が「芸歴も年齢も自分が上だから」とネタ作りを引き受けたが、設楽は日村の書く
ネタをあまり面白いと感じなかったため、設楽も書くようになった。結成して1ヶ月も経つと、
日村はネタ作りを完全に設楽に任せるようになった[4]。コントはたびたび「シュール」と形容
されるが、本人達は『自分達はシュールではない。シュール(な笑い)ってもっとわけの
分からないものだと思う』と語っている。

単独ライブの練習は最終的には2人で合わせるが、基本的にはバナナマン2人で練習せず、
互いに手伝いで来ている若手やスタッフに相手のパートを演じてもらっている。その理由について
「設楽日村で練習すると、本気になってしまって練習で疲れちゃうから」と述べている。


おぎやはぎとは若手時代から公私に渡って親交がある。



【受賞歴】

2008年 キングオブコント2位
2009年 第4回勝手にバナナ大賞
2010年 第5回勝手にバナナ大賞(2年連続受賞により殿堂入り)




【パーソナルデータ:設楽 統】

埼玉県秩父郡出身。埼玉県立秩父農工高等学校機械科卒業後
ネタ作り担当。
家族構成は両親、姉、兄。
西武系企業に勤める父親の縁故で、1992年に西武鉄道に就職。西武池袋線小手指駅で駅員として
働いていたが、僅か半年で退社。その後、カラオケ屋、酒屋の配達など半年間のフリーター期間を
経て、お笑い芸人を目指し父親の友人で制作会社勤務の人の紹介で、渡辺正行の付き人と
して芸能界に入る。

自他共に認めるドSである。
モモイロクローバーZの大ファン。

自らのタバコの不始末にて自宅が火事の被害に遭う。幸いにも自分の部屋が一部屋燃えただけで、
全焼はまぬかれた。しかし、自宅にあった大事な写真やDVD、衣装、バッグ等のほとんどの私物を
この火事により焼失してしまった。



1999年4月23日、19歳の時から交際していた一般人の女性と結婚
2002年4月29日に長女が誕生


【パーソナルデータ:日村勇紀】

広島県生まれ、神奈川県相模原市育ち。神奈川県立相模田名高等学校卒業。
高校在学中に同級生の原田健と共に「陸上部」というコンビで活動していた。渡辺正行主催の
お笑いライブ「ラ・ママ新人コント大会」の情報を同級生から得てオーディションに参加。
以後も出演することになる。高校卒業の際に渡辺から進路を尋ねられお笑いを続けたい意向を
示したところ、渡辺の事務所に誘われ1990年に正式に芸能界入り。

しかし原田が結婚を理由に芸能界から引退することとなり「陸上部」は解散する。一方的に解散を
告げられたために日村はショックを受けたが、 結婚相手は二人の高校の同級生であり、
その人に告白しろとしかけたのは高校時代の日村であった。

その後一年間程は、テレビの再現ビデオに出演したり、1994年3月公開の『横浜ばっくれ隊
夏の湘南純愛篇』のツッパリ役や『機動警察パトレイバー 2 the Movie』にチョイ役の声優と
して出演したり、細々と芸能活動を続けていた。しかし1993年10月に、知人から
「四人でお笑いをやろう」と誘われ、その集まりの席で現在の相方である設楽統と出会う。
その後まもなく、四人組から設楽と日村が脱退する形で現在のバナナマンが結成された。

とんねるずに憧れている。

趣味はビリヤード、相撲。
梅干し、スイカ、コーヒーが苦手。

10代の頃は、今とは似ても似つかない細身でかなりモテたらしく、本人が言うには19歳ぐらいから
おかしくなってきたとの事。

歯の治療に500万円以上かかった。

バカリズムと同居していたころがあり、バカリズムの事を「ヒデ」と呼んでいる。
仲の良い芸人はスピードワゴンの井戸田潤、アンタッチャブルの柴田英嗣、アンジャッシュ児嶋
ケンドーコバヤシおぎやはぎ等。
所属事務所:人力舎
メンバー :小木博明(1971年8月16日生まれ・B型・ボケ)
       矢作 兼(1971年9月11日生まれ・A型・ツッコミ)


2人の出会いは高校だった。2人とも東京都立北野高等学校卒業。中学から電車が一緒で
お互いに気になる存在だったという。
2人ともサラリーマン時代を経て、矢作が小木をお笑いの道に誘った。

人力舎に所属する前はどこにも属さずフリーで活動してからナベプロ(ロンドンブーツ1号2号
フローレンス(ネプチューンの原田泰造と堀内健が組んでいたコンビ)が当時は研修生としていた)
ホリプロなど東京の事務所を転々としていた時期がある。
無名時代、二人にはサラリーマン時代の蓄えがあったため、オーディション会場にお互い外車で
行っていた。「あいつらただものじゃない。妙な仕事でもしているんじゃないか」と羽振りの
良さを不思議がられていた。オーディションでコンビ名を決めず、とりあえず「小木と矢作」と
書き部屋に入ると、次は「おぎやはぎ」と言われそれをそのままコンビ名にした。
他のコンビがぎりぎりまで練習するのに、集合時間に間に合いそうになかったら次の機会
(オーディション)にするほどマイペースだった。

おぎやはぎ所属以前の人力舎は、今のアットホームな雰囲気はなく、芸人同士の会話も皆無で
荒んでいたという。おぎやはぎが入ってきてから、おぎやはぎ(特に矢作)が芸人間を取り持ち、
あの和やかな雰囲気で一つにまとめあげた。これらのエピソードは「人力舎の三大革命」の一つ
として、
東京03が語っている。

2人そろって眼鏡をかけるようになったのは、加藤浩次の助言によるもの。
それまでは小木しかかけていなかった。

コンビ仲が良いことを売りにしており、高校時代に「あいつら、できているのでは?」と噂が立った。
小木が高校一年から一年間付き合っていた子と、矢作は高三から七年間付き合ったといった
エピソードが多々ある。矢作は小木と遊びすぎて彼女に振られた事がある。
今まで一度も喧嘩をしたことがない。

元々コントをやっていたが、漫才が対象の『M-1グランプリ』に出場するために漫才を覚えた。
コント用の小道具の用意や持ち運びが面倒と感じてマイク1本で出来る漫才を始めたとう説もある。

漫才では主にお互いを褒め合い、高め合うというネタを使うことが多く、ジワジワ笑いを誘う
脱力系。まったりとしたスローテンポと独特のボケ、ツッコミ(激しいツッコミはほぼ無い為、
ツッコミというよりも「宥め」「訂正」「説得」と取ることもできる)で展開される漫才が特徴的。
この漫才のスタイルはその後多くの芸人に影響を与えることとなる。

ネタや、フリートーク、2人の空気感、人間性など、すべてにおいて玄人評価が非常に高い。

バナナマンと非常に仲が良い。



【受賞歴】

2001年 M-1グランプリ2001出場 決勝10位
2002年 M-1グランプリ2002出場 決勝4位
2003年 第12回NHK新人演芸大賞特別審査員賞
2006年 第3回虎の門話術王準優勝 矢作のみ
2011年IPPONグランプリ2011 開幕戦inお台場 優勝 小木のみ



【パーソナルデータ:小木博明】

東京都板橋区ときわ台出身、東京都立北野高等学校卒業。
本名は「こぎひろあき」で、「おぎ」ではない。
妻は元歌手の森山奈歩。義母は森山良子、義弟は森山直太朗。
日本メガネ党の党首。
高校時代はファンクラブができるほどモテていたという。
高校卒業後、テーマパークのマネージャー職を経て、旅行代理店に就職。約1年間ハワイに滞在し、
VIPの旅行手配を行っていたが、バブルがはじけた影響で会社が倒産。帰国後はタワーレコードに
就職し、アメリカ本社への商品の手配などを担当していたところ、矢作に誘われ芸人こ志す。

アンガールズの田中から非常に慕われている。

2006年10月18日 入籍、2009年1月に第1子(女児)が誕生。
妻との出会いは、まちゃまちゃが小木に「ファンの女の子が会いたがっているから紹介する」と
言って森山奈歩を小木の楽屋に連れて行ったのがきっかけ。初対面の日は2000年6月5日であったと
はっきりと覚えているという。

非常にやさしい性格で虫さえも殺せない。テレビに出ている時は毒舌キャラとして出ているが
本人は毒を吐いている自覚はまったくないとの事。


【パーソナルデータ:矢作 兼】

東京都豊島区池袋出身。東京都立北野高等学校卒業。
両親は離婚したが、3歳までは実父の「渡辺」姓だった。「矢作」姓は、母親の実家の姓である。
父親は長らく行方不明であったが約30年ぶりに行方が分かり、河口湖で猿回しの芸人をしていた
ことが判明した。3歳年上の姉がおり、ファッションデザイナーをしている。
高校卒業後、ビルのメンテナンス用品を取り扱う貿易会社に就職。上海勤務を経験するなど2年間は
サラリーマンとして生活を送っていたが、自分が担当していた商品に元々興味がなく、だんだんと
仕事に嫌気が差し始め、笑いを“仕事”にしようとの意欲が高まる。退社後、23歳の時に高校時代
からの友人・小木を誘いコンビを結成。

人間関係を築くのが上手く、事務所の後輩からもダントツで慕われており、他事務所の大御所
芸人にも非常にかわいがられている。
アンジャッシュ渡部と同居していたことがある。
温厚な性格で、周りの人間から怒ったことを見たことがないと言われる。

ビリヤード、ゴルフ、テニスが得意。




所属事務所:吉本興業
メンバー  :西田幸治(1974年5月28日生まれ・A型)
        哲夫  (1974年12月25日生まれ・A型)



それぞれ別のコンビのボケ同士が組んだ珍しいコンビ。西田は「たちくらみ」、哲夫は「スキップ」
というコンビでフリーで活動していた。2000年に共通のライブイベントに出演していた事から、
新たにコンビを結成。このイベント名が「笑いで飯が食えるか!」だった事から、それを
コンビ名として拝借した。 二人ともそれぞれのコンビでボケを担当していたことが
きっかけとなり、役割を固定せずボケとツッコミが交互に入れ替わるというこれまでの
漫才にはなかった独自のスタイルを築き上げた。このことから「漫才界の革命児」と
呼ばれることがある。また、この独特のスタイルは「Wボケ」と呼ばれ島田紳助や松本人志から
高い評価を受けている。

ネタ作りの方法はテーマを出して互いにボケ合い、お互いにネタが尽きるまで続けるという独自の
スタイル。哲夫は「ネタのシチュエーションは自分が考えているが、西田のほうが抜群に面白い
ボケを考える」と冗談交じりに述べている。

2001年より、オーディションで吉本興業大阪本社に入社。
baseよしもとの舞台に立っていたが、2008年4月「ガンガンライブFINAL」でbaseよしもとを卒業。
2010年春、東京にも部屋を借りる形で東京進出をする。所属は大阪吉本のままで東京吉本へ移籍は
していない。

コンビ仲は不仲な訳ではないが、ネタ合わせ以外で話すことはほとんどないという。

M-1グランプリが大きなきっかけとなって飛躍した彼らだが、最初に彼らの才能を見出したのは
バッファロー吾郎の2人だった。彼らが自らプロデュースするイベント「バッファロー吾郎の爆笑
新ネタ逆転満塁ホームラン寄席」に出演させたりと、無名だった2人に活躍の場を与えたという話
は有名。現在でも彼らと親交は深く、いわゆる「バッファロー軍団」の一員とされている。
また、インディーズ時代、千鳥、ヘッドライト、ソラシドらと共に「魚群」という
インディーズライブを行っていた。その頃から苦楽を共にしてきた千鳥とは、兄弟同然の仲
(哲夫はノブと一緒に住んでいたこともある)。

麒麟千鳥南海キャンディーズの3組とはbaseよしもと時代からの仲間であり、ライバルでも
あった。田村裕曰く「この(4組)中から誰か(M-1)獲ろうぜみたいな気持ちがあった」。
後に麒麟が第1回、笑い飯が第2回、千鳥が第3回、南海キャンディーズが第4回大会に無名ながら
初めて決勝進出し、それをきっかけにブレイクしている。特に第4・第5回大会では4組とも決勝進
出した。

「笑い飯」としての芸歴は2000年から(吉本入社は2001年)だが、西田、哲夫個人の芸歴は共に
1996年からのため、年数のみからみると大阪NSC15期(ストリーク、ランディーズなど、西田も
実際に在籍したが後に中退)・東京NSC1期(品川庄司など)とほぼ同期にあたる。NSC出身以外
では、同じ1996年に初舞台を踏んだロザン、すっちー(元ビッキーズ)、りあるキッズなどが
同期と思われる。しかし、ロザン、りあるキッズ、品川庄司らは彼らを後輩扱いしている。
芸歴は下だが先に吉本に入社した千鳥は「さん」付けだが、仲が良いためか半分タメ口混じりで
呼んでいる。

2人は大喜利が大好きで、得意としている。


☆M-1グランプリについて☆

2002年、第2回M-1グランプリに無名かつノーシードながら決勝進出を果たす。その斬新な
「Wボケ」で注目を浴び3位に終わるも知名度を上げるきっかけとなる。この年から9年連続
M-1グランプリ決勝進出(大会最多記録)を果たしている。
2009年の第9回大会では、本大会唯一の「100点」を審査委員長の島田紳助が付けた。」
2010年、最後の大会で念願の優勝を成し遂げる。



【受賞歴】

2002年 第17回 オールザッツ漫才 優勝
2002年 第3回 笑わん会 優秀賞
2003年 第24回 ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞
2003年 第38回 上方漫才大賞 新人賞
2003年 第32回 上方お笑い大賞 新人賞
2004年 第34回 NHK上方漫才コンテスト 最優秀賞
2004年 第2回 MBS新世代漫才アワード 優勝
2004年 第33回 上方お笑い大賞 新人賞
2005年 第34回 上方お笑い大賞 最優秀新人賞
2006年 第12回 ダイナマイト関西 優勝(西田)
2002年 第2回 M-1グランプリ決勝 3位
2003年 第3回 M-1グランプリ決勝 2位
2004年 第4回 M-1グランプリ決勝 5位
2005年 第5回 M-1グランプリ決勝 2位
2006年 第6回 M-1グランプリ決勝 4位
2007年 第7回 M-1グランプリ決勝 5位
2008年 第8回 M-1グランプリ決勝 4位
2009年 第9回 M-1グランプリ決勝 2位
2010年 第10回 M-1グランプリ 優勝



【パーソナルデータ:西田幸治】

奈良県奈良市出身、奈良女子大学文学部付属中学校・高等学校卒業。
NSC15期中退。

高校卒業後、フリーターを経て1995年大阪NSCに入校するも、一身上の都合により自主退学する。
中退後はインディーズ芸人として再起し「たちくらみ」というコンビを組むも即解散し、同じく
解散して間もなく、同い年で芸歴もほぼ同じである哲夫と2000年に「笑い飯」としてコンビ結成。

極度の運動音痴。
幼少時は病気がちだった。手裏剣を買ったり、鎖帷子を作ったり、ミリタリーで遊んだりする
インドア生活を送っていたが、好きな女の子が出来たのをきっかけに笑いの道を目指した。

漫画「もやしもん」に登場する美里薫は西田をモデルにしたもの。作者は当初は無関係と否定して
いたが、実は笑い飯の大ファンで、西田をモデルにしたことを後に認めた。



【パーソナルデータ:哲夫】

奈良県桜井市出身、関西学院大学文学部哲学科卒業。
出身高校は奈良県立トップの進学校で、一時は秀才芸人と呼ばれていた。
小学生の集う塾(浜学園)の講師をしていた。家庭教師を5件かけもちしていた時期もあり、
教員免許も持っており、一時期までかなり本気で先生になる夢を持っていた。
大学在学中に自動車販売のディーラーへ内定が決まっていたが、芸人になるという夢を諦めきれ
なかったため、卒業後に今の道へ進んだ。初舞台は1996年で、芸歴は現相方である西田幸治と
ほぼ同期である。その頃「スキップ」というコンビを組んでいたが、相方を何回も替えて活動
していた。結局解散し、同じくまだ解散して間もなかった西田と「笑い飯」を組む。

般若心経が大好きで、スケジュール帳に記入してある。ネタを考える際に手を動かしながらの方が
思い付く為、写経をする事もある。
2009年2月ワニブックスから「えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経」を出版。同年8月には
朝日カルチャーセンター・新宿で「おもしろくてためになる 笑い飯 哲夫の般若心経入門」講座を
開催。2011年5月の東大五月祭でも、「笑い飯 哲夫のおもしろ仏教講座」を開催した。

趣味はモーグルで、それが高じて以前スキー雑誌「BravoSki」(双葉社)で連載を持っていた。
飲食店でのバイト経験がある為、料理が得意。
鉄道ファンである。
実家は中西商店と言うそうめん屋を営んでいる。
小学校 - 大学までサッカーをしていた。現在は、吉本興業のフットサルチームに所属している。
愛読書は三島由紀夫作品や夏目漱石作品。

西田よりも社交的な性格で交友関係が広い。
麒麟田村、トータルテンボス藤田、友近千鳥ノブ、小藪千豊、などと特に仲が良い。
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