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所属事務所:吉本興業
メンバー :大島美幸(1980年1月30日生まれ・O型・ボケ)
       村上知子(1980年1月2日生まれ・O型・ツッコミ)
       黒沢かずこ(1978年10月17日生まれ・O型・ボケ)

 
1998年結成。東京NSC4期の同期生として出会う。同じ東京4期生にはロバートインパルス
POISON GIRL BAND、椿鬼奴がいる。

トリオ名「森三中」の由来は、黒沢の出身校「勝田三中」と村上の出身校「森中」をたして名付け
られた。(結成当初は黒沢と村上のコンビで、ピンで活動していた大島が一人では限界があると感じ、
コンビに入れてもらいトリオとなった。)

2001年、『進ぬ!電波少年』の企画「15少女漂流記」に黒沢が参加。無人島脱出に成功し
久保田利伸プロデュースでCDデビューも果たしたが、全く売れなかった。

森三中がブレークしたきっかけは、2000年12月放送『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』
に3人で出演したことである。「ハイテンション ザ・ベストテン」に出演して注目を集めたことを
きっかけに、大島が浜田雅功に猛アタックをする企画が計4回放送された。
(浜田への求愛企画は、上記「15少女漂流記」で黒沢不在のため大島と村上の二人で始まり、
後に黒沢が合流)

最近はトリオだけにとどまらず、3人それぞれ単独または3人のうち2人での番組出演も多い。



【パーソナルデータ:大島美幸】

栃木県那須郡黒羽町出身。栃木県立黒羽高等学校卒業。
小中学校時代はひどいいじめにあっていた。プールで裸で泳がされる、裸で土に埋められる等、
陰惨かつ壮絶なものだった。当時のあだ名は「ウンコ」。そこで意を決して中学時代いじめっ子に
「なぜ、いじめるのか?」を問うと「お前が泣くとおもしろいから」と言われたことを契機に
「私が泣くとおもしろい→私が笑わせている」と心の持ち様が変わり、いじめを克服した。
その後、当時のいじめっ子から吉本総合芸能学院 (NSC) を紹介され芸人を目指した。
それまではスタイリスト志望だった。

中学校時代はバスケットボール部で、そこでも先輩からの激しいいじめにあっていた。
小中学校時代のいじめがトラウマで、無視されることが嫌い。
U字工事の益子卓郎とは、幼稚園と小学校、中学校が同じ幼なじみであり仲良しで、益子が大島の
先輩である(1歳違い)。
高校時代は自転車通学で、夏に大きな赤い麦わら帽子をかぶっていたら、
「赤い帽子をかぶったヘンな男がすごいスピードで自転車で走り去っていった」と町内で
大騒ぎになった。学生時代、大田原市にあったチェーンストアのサティにプリクラが設置された
ときは町内が大騒ぎになり、大島は原付を5、6台連ねて撮りに行ったという。


夫である構成作家鈴木おさむとは交際0日で結婚した。飲み会で酔っていたせいもあってか、
鈴木が初対面の大島に向かって「結婚しよう」と言い、大島も「いいっすよ」と芸人のノリで
返していた。しかし、会うたびに鈴木から「結婚しよう」と言われ続け、当時鈴木には彼女が
いたことから(その後、別れている)大島も精神的に参ってしまい、見かねた村上が鈴木に電話で
注意したほどである。ちなみに大島は、鈴木の電話番号を婚姻届を提出する日まで知らなかった。
婚姻届を誤って税務署の時間外ポストに入れてしまった。
結婚後は鈴木の高級マンションで暮らすようになる。だが最初のころ、自分の下着は鈴木に見られ
るのが恥ずかしく、コインランドリーで洗っていた。
交際0日で結婚した為、大島は結婚当初は緊張しっ放しでなかなか打ち解けれなかった。ある日
外食した後の帰り道で腹痛を起こし、夫の前で大便をしたことがある。その時鈴木は、他人に
見つからないようにそばにあった新聞紙で隠してくれた。これが鈴木に心を開く一因となる。
現在は夫婦で交換日記をしている。
2009年11月22日、鈴木とともに「パートナー・オブ・ザ・イヤー2009」に選出された。
一度流産している。
テレビ番組では女を捨てた相当な汚れ役を演じることも多いが、おならなどをしてしまい顔を
真っ赤にするなど恥じらいの部分はもっている。


【パーソナルデータ:黒沢かずこ】

茨城県ひたちなか市出身。水戸短期大学附属高等学校卒業。
デビュー当初は本名で活動していたが、「宗子」が「かずこ」と読みにくいためか、名前を
ひらがな表記に変更した。
一人っ子で、実家は食堂喫茶「まわたり食堂」を経営している。バブルの頃は繁盛し裕福な
生活を送っていたが、「両親がパチンコにのめり込み、お昼時に「準備中」の看板を掲げ、
後に客足が遠のいた」と本人が語っている。オリジナルメニューとしてコーンポタージュに
麺が入った「ポタージュラーメン」がある。

素人時代から大のお笑いファンで、よくお笑いのライブを見に上京していたという。
ダウンタウン松本人志のライブビデオ「寸止め海峡(仮)」の「恩返しされた男」というコントで
真っ先に「板尾さーん!」と叫んでいる観客は黒沢である。また増田英彦(ますだおかだ)に、
「将来は芸人になりたい」と綴ったファンレターを送り、返事を貰ったこともある。
さらに、関東地方に住んでいるにもかかわらず、『MBSヤングタウン』などを聞くためMBSラジオ
に周波数を合わせたり、有線でクリアな放送を楽しんでいた。

人格を幾つか演じることがあり、くーちゃん(11歳)、くろちゃん(17歳)、
くろさん(33歳、ゴシップ好き)がある。

ゴミ屋敷と評されるほど家が汚く、ホコリが原因で肺炎にかかったこともある。しかし本人に
自覚はないようで「家にゴミなんてない」と言い切り、ゴミ屋敷ぶりはますますエスカレート
している。売れない頃は借金もあった。
幼少時は多忙な両親に朝食を用意してもらえなかった事で、中学2年までその存在を知らず
親にその事を告げると「バレた?」と言われたという。
お笑い芸人が出演するラジオ番組の聴取を趣味にしており、芸能人となってからも様々な番組の
コーナーに匿名でメール投稿している。TBSラジオのJUNK、JUNK2筆頭に文化放送、
オールナイトニッポンまで愛聴しており、ゲストとして呼ばれることも。ペンネームは、
癒し系な感じで読まれるようにと「ゴマ」である。
「ラジオは出るもんじゃない、聴くものだ」と公言している通り、トークは苦手。
レギュラー出演中の「ゴチャ・まぜっ!火曜日」では「ラジオなのに発言が少ない」と共演者の
藤井隆が致命的と言える評価を下している。藤井曰く「オープニングは10分くらいあるのに
、いつも話が広がらず7分程度で終わってしまう」「片付けられない症候群の話題にしか
積極的に参加しない」。
まちゃまちゃのプレイの一部始終を見たことがある。
腋の下を他人に見られることに対して異常なまでの抵抗感を持ち、例え仕事であっても割り切れ
ないらしく「性器を見られた方がましだ」と断言する程である。実際に芸人として露わな格好を
する場面でも肌色の襦袢を着込んで腋の下を見せないようにしている。因みにこの肌襦袢を
30枚ほど所有している。
デビュー前から ダウンタウンの大ファンで、松本人志の家まで行った事があるとの事。
妄想が趣味。一人っ子で遊び相手がいなかったため、小さい時からよく妄想をしていたという。
番組でもよく妄想話を披露している。
自身も芸能人だが、かなりのミーハーでありブブカが愛読書であることを明かしている。
好きな有名人ができると、その人にばったり会わないかと住んでる地域を徘徊する。
かつては痩せており「森三中の中ではキレイな方」と言われていたが、夜中に食する自宅での
一人焼肉にハマリ激太りしてしまった。
オアシズ大久保佳代子、光浦靖子、いとうあさこ椿鬼奴、ボルサリーノ関と仲が良い。いとうの
「浅倉南」ネタで着ているレオタードは黒沢がプレゼントしたものである。
人見知りが激しく人に心を見せることができない性質らしく、相方の大島ですら「私に心を
開いてくれるまで2年かかった」と語っていた。
結婚相手に求める条件として『光浦と3人での同居可』『光浦の老後の要介護』を挙げている。
芸人内で「AG会」という派閥を作り、リーダーになっている。「AG」とは「温(A)かいご(G)飯
を食べよう会」の略。


【パーソナルデータ:村上知子】


神奈川県横浜市磯子区出身。橘女子高等学校(現・橘学苑高等学校)卒業。

初期のころはハイトーンでギャーギャーと叫びたてるような芸風だったが、ゆっくりと
しゃべるようになった。
過去に番組の企画でアイドルキャラを演じさせられた事がある。
周囲からよくMEGUMIに似ていると言われ、光浦靖子から「たまにMEGUMIよりカワイイ時がある」
田村淳から「写真集出したらMEGUMIと間違えてそこそこ売れるんじゃないか?」と言われたが、
本人は優香に似ていると断言している。
大島曰くかなりの不器用で、2つ以上のことを並行して行えないため、電話をしながらメモを取る
こともできないという。
また、運動が苦手。しかし、側転だけはできる。
料理が得意。
MAXのNANAと仲が良い。

2008年3月23日、2歳年上の一般男性と入籍。
出会いから3日後に交際を始め、1週間後にプロポーズをされ、3週間で結婚を決めた。
夫と交際するまでは処女であった。
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所属事務所:マセキ芸能
メンバー:塙 宣之(1978年3月27日生まれ・A型・ボケ)
     土屋宣之(1978年10月12日生まれ・AB型・ツッコミ)




2人の出会いは創価大学の落語研究会の先輩・後輩。塙が大学卒業後の2001年に四年生だった
土屋を誘ってコンビを結成。2人とも名前が「のぶゆき」なので当初コンビ名を「Wノブユキ」に
する予定だったが、Wけんじの弟子と勘違いされると思い、「ナイツ」とした。
漫才師として内海桂子に、落語芸術協会では三遊亭小遊三に、それぞれ師事。
また土屋の母が所属していたことが縁で、マセキ芸能社に所属する。

コンビ結成直後、塙がバイク事故で大腿骨を骨折し、一年間歩けなくなった。その時土屋は遠くに
住む塙の所に三ヶ月間毎日見舞いに行った。また、栃木の牧場に住み込みでビンゴ大会の司会を
毎日4ステするといったピンの仕事をしたりした。

レッドカーペット賞をもらった日にこれからのことを熱く語り合いすぎて言い合いになった。
塙が言い過ぎたと思い、土屋に謝罪のメールをしたところ、土屋からすぐに返信があった。
そのメールに「はい!!誰になんと言われようと僕は塙さんが世界でいちばんおもしろい
ボケと 確信しています。こちらこそこれからもよろしくお願いします。」と書かれており
塙はこのメールを永遠に保存している。


売れないころは、中野区の集会所を自腹で借り、定期的にネタを披露していた。ロケット団、
宮田陽・昇、ホンキートンクを加えた4組で「漫才協会の四天王」と、ロケット団とWコロンを
加えた3組で「漫才協会の若手三羽烏」または「~の若手三銃士」と呼ばれる。

2010年11月に漫才協会の真打に昇進した。




【受賞歴】

2003年 第2回漫才新人大賞大賞受賞
2007年 第7回M-1グランプリ準決勝進出
2008年 第6回R-1ぐらんぷり準決勝進出(塙のみ)
2008年 第6回お笑いホープ大賞大賞受賞
2008年 NHK新人演芸大賞大賞受賞
2008年 第8回M-1グランプリ決勝 - 3位
2009年 東京スポーツ第9回ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞
2009年 第26回浅草芸能大賞新人賞受賞
2009年 第9回M-1グランプリ決勝 - 4位
2010年 東京スポーツ第10回ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞
   (オードリー、U字工事、東京03も同時受賞)
2010年 第10回M-1グランプリ決勝 - 6位
2011年 THE MANZAI 2011 - 準優勝


【パーソナルデータ:塙 宣之】

千葉県我孫子市出身、佐賀県佐賀市育ち。佐賀龍谷高等学校、創価大学卒業。
芸人のはなわは実兄。三人兄弟の三男。ちなみに兄のはなわは二男にあたる。

千葉にいた頃はいじめられっ子で、家で1人でテレビを見る等して過ごしていた。
この時期大相撲を熱心に観戦したことで現在も好角家となっている。
また野球観戦も好きで、大の巨人ファン。

佐賀に引っ越すといじめられなくなり、中学入学後お笑い担当としてすっかり人気者になった。
中学時代に見たダウンタウンの漫才に衝撃を受け、芸人を志す。松本人志の目の前で漫才を
やることを目標にしており、後に「M-1グランプリ2008」に決勝進出して達成した。

高校時代にテレビ西日本のオーディション番組「第3回お笑いめんたいこ」に出場し優勝した。
しかし千葉出身の為標準語に戻したかった事、更に「ツッコミで売りたくない」という理由で、
優勝直後自分からコンビの解散を宣言し、大学入学と同時に上京。当時の相方が後を追う様に
上京し何度も説得したが、その信念を変える事は無かった。なお、その元相方は10数年経った
現在も塙に未練を持っており、ナイツが売れる事は正直複雑だと語っている。更に土屋に
対抗意識をむき出しにしている。

2007年6月、史上最年少で漫才協会の理事に就任。就任した理由は、当日遅刻してしまい到着する
までの間に理事を選ぶ投票が始まり、土屋が隣にいた若手を誘って冗談で入れた塙への数票を
師匠たちが若手の心意気と汲み取ったから。

2009年2月11日に一般女性と結婚。結婚式は東京ドームホテルで行い、兄のはなわがスピーチで
号泣した。

運動神経が非常に悪い。



【パーソナルデータ:土屋伸之】

東京都出身、千葉県船橋市育ち。創価高等学校、創価大学卒。
演歌歌手の津島亜希の息子。

大学生時代は公認会計士を目指していたが、勉強についていけなくなる。その時に大学の
落語研究会のライヴをよく観に行って「癒された」ということで自らも落語研究会に入る。
落研では「山銭」というコンビでシュールなコントをやっていた。山銭は当時一年上で部長
だった塙が命名。就職活動中に塙から誘われて芸人を志すようになった。

「ナイツのヤホーじゃない方」と言われることがある。

塙の元相方にライバル視された時は、彼も必死で応戦し、「あまり(元相方に)
近寄らない方がいい」と塙の椅子を自分の方に寄せた事から小競り合いとなり、「何でこんな
オッサンを取り合ってんだ!?」と自らツッコミを入れている。

2009年3月16日に一般女性と3年の交際を経ての結婚。電話でプロポーズをした。
2010年10月5日に長男が誕生。

眼鏡は伊達眼鏡。

馬が大好きで、馬と馬に乗っている騎手の絵だけうまく描けるという。

所属事務所:吉本興業
メンバー :横山きよし(1979年7月21日生まれ・B型・ツッコミ)
       吉田サラダ(1977年2月6日生まれ・B型・ボケ)


元々、東京NSC同期で別々にコンビで活動していた2人だが、当時東京NSC講師であった
ラッキィ池田が東京NSC卒業生や在校生で集めた「元祖一発屋」というグループに
選ばれたことにより関係を深く持つようになる。その後、お互いにコンビ解散で新たな相方を
探していたという縁で「ものいい」を結成。
東京NSC6期生、同期にアームストロングロシアンモンキーマキシマムパーパーサム
大阪だとチーモンチョーチュウモンスターエンジン西森など。

コントと漫才両方行っている。


【パーソナルデータ:横山きよし】

本名:横山 清志。
埼玉県出身、埼玉県立新座総合技術高等学校工業デザイン科卒業。
中学生時代のあだ名は枯れ木。
NSC入学以前に、しばらくデザイン関係の仕事をしていた。
NSCで知り合った有場弘貴と「エントランス」を結成。のちに解散する。
昔から絵が上手く、手も器用で、ものいいの小道具は彼がほとんど製作している。
ものまねが得意。
大のフィギュア好き。 元JUDY AND MARYのYUKIの大ファンである。
身長178cm、体重50kg、体脂肪率5%とかなり痩せている。
針金ハンガーを、ほぼ原型を留めた状態でくぐり抜ける事が出来る。
好きな食べ物はサーモンの刺身、マグロの赤身、ピーマン料理、トマト。
嫌いな食べ物はしそ、梅干し、うに、いくら、ジャム。
多少潔癖症ぎみのところがあるので、手作りのプレゼントは苦手。



【パーソナルデータ:吉田サラダ】

本名:吉田 貴博
大阪府堺市出身。桃山学院高校を経て桃山学院大学卒業。
大学生の時に素人としてくぼた隆政(現いち・もく・さん)と遊びでコンビを組んでいた。
NSCで知り合った芝崎英昭と「ファイングラス」を結成。のちにワッキー(ペナルティ)に
「そのコンビ名はなんか似合わない」と一喝され、「はなすい」に改名し、しばらく活動する。
「はなすい」を解散し、「吉田サラダ」としてピンで活動する。なお「吉田サラダ」命名の由来は
単にゴロがいいからとの事。好きな食べ物はタコの天ぷら。

所属事務所:吉本興業
メンバー  :山本 博(1978年9月5日生まれ・A型・ツッコミ)
        秋山竜次(1978年8月15日生まれ・B型・ボケ)
        馬場裕之(1979年3月22日生まれ・A型・ボケ)


3人共にNSC東京校の4期生。同期にインパルス森三中椿鬼奴、POISON GIRL BANDなど。
大阪NSCだと21期生が同期にあたり、カナリアなどがいる。
ネタはコントが専門。漫才は得意ではなく、M-1グランプリやオールザッツ漫才等に出場経験が
あるが予選で敗退。
トリオ名の由来は、「何となくダサいイメージのアメリカ人の名前」から。


秋山と馬場は幼稚園から高校まで同じ学校に通う親友同士。秋山は当初、代官山でお洒落な雑貨屋
をやりたいという夢をもって上京したが、NSCに入学することを決意。しかし、一人では不安だった
ため地元から人を呼ぼうとすると、就職や進学が決まっている人が多く、フリーターだったのは
馬場だけであった。その馬場を「東京見物に来い」と誘い、帰りの電車代まで全部使わせ、
日雇いの仕事を20日程連続で入れた。秋山は馬場が稼いだお金を振り込ませ、NSCの入学の手続き
を済ませた。振り込んだ時点でそれを知らされた馬場と共に、NSCに入学した。

NSC在学中、秋山・馬場のコンビは、秋山がボケで馬場がツッコミを担当していた。イベントに出る
ためのネタ見せの時だけ本気を出し、それ以外のネタ見せや演技・ダンスなどの授業は手抜き気味
だったという。それでもイベントではトリを務めていた。NSCでは1人でのネタ見せもあったが、
馬場は面白いことを言うことなど考えたことがなかったので、ネタ見せ前日の夜に秋山が書いたネタ
を受け取り、それを当日読んでいた。

馬場のツッコミが笑いながらで、ボケを殺してしまうものだったため、限界を感じツッコミを探す。
一時は同期の板倉俊之(現・インパルス)を加えて、ゼナイルというトリオを短期間組んでいたこと
もある。しかし、板倉がボケをやりたいと言い出したため解散。

一方、山本はNSCで、山本山崎というコンビを組んでいた。しかし、山本をNSCに誘った張本人である
相方の山崎が入学後2か月で辞めてしまったため、山本は「ネタのないピン芸人」として様々な同期生
とコンビを組んでは解散し、彷徨っていた。当時、1日だけコンビを組んでは解散するのを繰り返して
いたため、ニックネームは「お笑いヤリマン」だった。

NSC在学中、秋山・馬場はずっと「選抜クラス」だったが、山本はずっと「基礎クラス」だった。

1998年12月、卒業公演のオーディションを直前に控え、焦り気味でツッコミを探していた秋山が
同い年の山本を加え、ロバートを結成。このような関係性から、山本はトリオ内で邪険に扱われる
ことが多い。秋山は「余っていた奴らの中から選んだだけ。こいつが良かったというこだわりは
一切ない」と話している。

結成してまだ日が浅い頃、『トゥナイト』の「養成所特集」という企画に出演が決まった。初のテレビ
出演、しかも全国放送ということで張り切っていたが、遅刻癖のあった山本が収録日に寝坊したため、
出演を逃す。チャンスを潰されて激怒した秋山は、収録が終わったあとに「ごめんー」と言いながら
やってきた山本を、NSCの階段の頂上から突き落とした。その夜、冷静になった秋山が心配して
山本の携帯電話に電話をかけると、バックグラウンドに波の音が聞こえた。山本は深夜2時、
真冬の江ノ島に独り佇んでいたという(「山本逃亡・自殺未遂事件」)。しかし、翌日には
山本は何事もなかったかのように現場に現れた。

2000年5月、フジテレビの深夜番組『新しい波8』に出演。2001年4月、同番組に出演した若手芸人から
選抜され、新番組『はねるのトびら』のレギュラーに抜擢される。この番組をきっかけにブレイク。
本人たち曰く「あまり挫折を経験していない感じ」。

2004年10月から『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』にレギュラー出演し、番組の視聴率を
アップさせるきっかけとなった「チキンレースクイズ」で最初にプレゼンを務めた。馬場が毎回
案内役を務めていたが、10m高飛び込みに挑戦すると番組初のリタイア、イノシシ大接写に挑戦しても
最下位という成績になってしまい、「レギュラーの中で最もチキン」という汚名を着させられる。
秋山は山本に大抵のチキンレースで負けているが、水中でエイを接写する企画で見事な
パフォーマンスを披露し、番組内では「マーメイド秋山」の異名をとっている。また秋山は、
潜水企画で非公式ながら日本男子歴代4位(当時)である75mという記録を出し、同番組の
潜水企画が展開するきっかけを作った。
この番組で、ロバートは結成9年目でゴールデンタイムでの司会を務めた。

アメトークで3人共に「中学イケてないグループに属していたゲインイン」に出演。

コンビ仲が非常に良いことで有名だったが、秋山は入籍したことをメンバーに秘密にしており
約1年間知らされないままだった馬場と山本は大きなショックを受けていた。


【受賞歴】

2008年 キングオブコント決勝進出
2011年 キングオブコント優勝

キングオブコント2011優勝。決勝で1stステージ・2ndステージ共に1位評価、またその日の最多得点
ランキングの1位・2位を独占する「完全優勝」という記録を樹立し。
決勝の前日はメンバーでゲン担ぎに「かつ丼」を食べたという。


【パーソナルデータ:秋山竜次】

福岡県北九州市門司区出身。門司北高校卒業。
ネタ作り担当。
父親は、梅宮辰夫や山城新伍が出演した「不良番長」シリーズにも出演した映画俳優の城春樹。
メンバーの馬場とは学生時代からの同級生で親同士が同性愛者ではないかと疑うほど仲が良かった。
水泳が得意。
酒が飲めない。
時間があればとんこつラーメンを作っているという。
あまり社交的な性格でなく、他の芸人とあまり絡みがない。
熟女好き。
2008年4月に1歳年下の一般女性と入籍していたが、約1年間メンバーにも打ち明けなかった。


【パーソナルデータ:馬場裕之】

福岡県北九州市門司区出身。福岡県立門司北高等学校卒業。
馬場自身はお笑いにはまったく興味がなく、秋山に半ば無理やりやらされている。
ロバートの中でもセリフが圧倒的に少なく、今でもライブの打ち合わせ等に呼ばれない事が多い。
酒に強くロバートの中では社交担当。
今田耕治率いる今田軍団に所属している。
2009年7月7日放送のTVで、生まれてから当時まで彼女が一度もできたことがないと告白したが、
後の明石家電視台では 2010年2月10日にはじめて彼女ができ、30年間待ち続けたため、
「抱きつきたい」「キスしたままガムテープでぐるぐる巻きにしたまま寝たい」などをすぐ思う
ようになり、 2010年のクリスマスの前に「重い」という理由で破局した。

都内にマンションを35年ローンで購入。


【パーソナルデータ:山本 博】

群馬県邑楽郡邑楽町出身。足利工業大学附属高等学校卒業。
プロボクサーのライセンスを取得している。
ツッコミだが、力強く突っ込むタイプではなく、貧相ないじられキャラ。また、プロボクサーの
ライセンスを所得しているため、所得後はネタはおろかトークの中でも叩くツッコミは
行っていない。「博」と呼ばれることが多いが、ピン芸人のヒロシがブレイクした時期は「山本」と
呼ばれることが多かった。

コンビ仲がよく3人で一緒に仕事場へ行く時は山本の車で行くことが多い。
沖縄でグラスボートの底に潜ったところを撮影した3人の写真を持ち歩き、仕事で落ち込んだ時に
見て心の支えにしているという。

仲の良い芸人は千原兄弟の千原ジュニア、ドランクドラゴン鈴木、アンガールズ田中など。
所属事務所:吉本興業
メンバー  :板倉俊之(1978年1月30日生まれ・B型・ボケ)
        堤下 敦(1977年9月9日生まれ・B型・ツッコミ)



2人の出会いは東京NSC。4期生にあたり、同期にロバート森三中
当初は別のコンビ、トリオで活動していたが1998年にインパルス結成。
ネタは主にコントで、ネタ作成はすべて板倉。

お笑いブーム到来の数年前から活躍しており、2003年に「エンタの神様」に出演して頭角を現す。
2005年にレギュラー番組「はねトび」がゴールデン進出に成功して大人気を博したこともあって
本格的にブレイク。現在は双方がピンで活躍することも多い。

「ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円SP」で完全制覇(100万円獲得)を
2度達成したという快挙を成し遂げている。これは歴代の挑戦者の中で彼らと次長課長
アンガールズ、劇団ひとり、小島よしお、設楽統、藤田憲右の6組のみであり、インパルスは
番組初の100万円獲得者でもある。


【受賞歴】

2009年 キングオブコント4位
2011年キングオブコント4位




【パーソナルデータ:堤下 敦】

神奈川県横浜市出身。
インパルス結成前は同期とコンビを組んでいた。
趣味はダーツ、カフェ巡り、ゴルフ・スキューバダイビングなど。ダーツに関してはプロ級の腕前。
MISIAやエレファントカシマシのファンである。
先輩芸人であるライセンス井本のファン、理想的な顔とスタイルらしい。
1番仲のいい芸人はキングコングの西野亮廣であると述べている。
肉好きな一方、大の野菜嫌い。

パワフルで的確なツッコミから「ツッコミ番長」の異名をとる
NSC5期生の教育係だった。

2011年3月3日に入籍。2012年2年1月24日に長女が誕生した。



【パーソナルデータ:板倉俊之】

兵庫県宝塚市生まれ、埼玉県志木市で育つ。
ネタ作成。
兄と弟がおり、兄は東京大学卒業で現在はキリンに勤めており「のどごし生」を開発した。
NSCの入学願書に「小学校6年生で初めてお笑いをやりたいと思い、テレビを真剣に見て
いたので基本はできているつもりです」と書いた。
インパルス結成前はロバートの秋山と馬場とでトリオを組んでいた。



NSC時代からロバートの秋山と仲が良くお互い親友だと言っている。
先輩では品川庄司の品川にかわいがってもらっている。
人見知りな性格。

趣味はサバイバルゲーム、エアガン。
趣味が高じて小説「トリガー」を執筆し、さらに原作を元にマンガ化もされた。

所属事務所:人力舎
メンバー:渡部 健(1972年9月30日生まれ・O型・ツッコミ)
     児島一哉(1972年7月16日生まれ・A型・ボケ)



2人は高校の同級生で2.3年と同じクラスだったが、当時はあまり仲良くなかった。
元々芸人になりたかった児嶋が渡部を誘って「アンジャッシュ」結成。
2人が一番最初に交わした言葉は、渡「俺のジャンプ盗ったろ!?」児「盗ってねーよ」だった。
ちなみに渡部は覚えてない。

深夜の2時ごろに電話をかけて、「俺は人力舎の社長にも気に入られていて、相方さえ見つければ
一週間でテレビに出してやるって言われてるから。お前しかいない!」とお願いしていたところ、
5人目にOKをしたのが渡部(当時大学2年生)だった。(児嶋曰く、「渡部はドラフト5位」)
実のところ、児嶋は社長にはまだ名前すら覚えてもらえてなかった。
結成当初はやっと見つかった大事な相方に逃げられないようにと、児嶋が渡部の家まで車で
迎えに行ったりしていた。

人力舎のタレント養成所スクールJCAの1期生(児島)と2期生(渡部)で芸歴に差がある。
お笑い好きの児島が渡部を誘い、その時に渡部に見せたお笑いのビデオはバカルディ(現さま~ず)
である。それからバカルディの単独ライブに2人で通った。
93~94年にTBSで放送されていたバカルディが出演していうたお笑い番組
赤坂お笑いオールスターライブの収録も必ず見に行っており、そこのスタッフに顔を
覚えられて声をかけられた時にネタを見てもらい、それがキッカケでその番組にも
出演した。それがTV初出演となる。

コンビ名は、渡部が考えた「J(JOY)、A(ANGRY)、S(SAD)、H(HAPPY)=喜怒哀楽」と、
児嶋が「あ行と「ん」の字が付いている芸人は売れるから」とつけた「UN」という意味で命名した
という説もあるが、UNは否定の接頭語であり、喜怒哀楽を否定するという意味が由来だという説も
根強い(爆笑オンエアバトルでも後者であると紹介された)。当初のコンビ名表記は英語表記の
「UNJASH」だったが、ほどなく「アンジャッシュ」に改名。スクールJCA1期生(児嶋)
2期生(渡部)と芸歴は異なる。初のJCA出身コンビの為、当時の若手実力派が集まるライブに
早くもたびたび出演する。



【受賞歴】

1999年 爆笑オンエアバトル - 第1回チャンピオン大会3位
2001年 国立演芸場 花形演芸大賞 - 銀賞
2001年 爆笑オンエアバトル - 第3回チャンピオン大会4位
2002年 NHK新人演芸大賞 演芸部門 - ノミネート
2003年 爆笑オンエアバトル - 第5回チャンピオン大会優勝
2004年 爆笑オンエアバトル - 第6回チャンピオン大会4位
輝け!2005年お笑いネタのグランプリ(日本テレビ) - 放送委員会特別賞
爆笑オンエアバトル - ゴールド&プラチナバトラー




【パーソナルデータ:児嶋一哉】

東京都八王子市出身、東京都立日野高等学校卒業。
スクールJCAの第1期生。
2011年9月10日、15年間付き合っていた一般女性と入籍。2、3年前にもプロポーズしていたが
断られていた。相方の渡部から10年SEXレスと暴露される。

幼少期両親が別居し(理由は父親のギャンブル)、一時期大分県に移住していた。
その後東京に戻る。

小学校では当時八王子で一番強いサッカークラブでキャプテンをつとめていた。
中学校では陸上部(1500メートル)に所属。この時期が児嶋にとって人生で一番輝いていた。

高校時代はあまり目立たず、例を挙げれば相方渡部が一軍なら彼は三軍だった。
高校へはあまり通わず、デパートのトイレで弁当を食べていた。

お笑いを目指そうと思い、同じ中学の先輩であるヒロミ(B21スペシャル)に弟子入りしたくて、
ヒロミの妹と児嶋が同級生だったこともあり、ヒロミのお母さんに相談した。その後ヒロミに会い、
弟子入りのお願いをして断られたが、ヒロミも所属していたことがある
プロダクション人力舎に入る決意をする。

スクールJCAに入ったが相方が見つからずピン芸人として1993年デビュー。その後
「高校時代の人間から探そう」と電話を掛けたが断られ続け、1994年に今の相方となる渡部と
アンジャッシュとしてデビュー。今の相方は5人目だった。渡部によれば児嶋が誘った最初の4人に
ついては凡そ芸人には向いていない同級生ばかりだったようである。

コンビ結成当初は「お前だけだ」と言い張り本人曰く「辞められたら困る」ため、
車で送り迎えもしていたらしい。しかし渡部が歩いていた一般的な道(神奈川大学卒業)を
踏み外させた原因として渡部の両親には未だに嫌われており、『児嶋』と呼び捨てで呼ばれている。

プロ雀士の資格(日本プロ麻雀協会)を持っている。取得した理由は、周りの人達に「すごい」と
言われたいためだけである。
大型自動二輪の免許を持っており、バイクが趣味。
酒が飲めない。
しっかりした人物だと思われているが、実際はズボラで面倒くさがりな性格。休みの日も家に
ずっといることが多いらしい。またいわゆる天然ボケで、「1 - 3月まで英語で言え」と言われ
「ジャニアリー、フェブラリー、ライブラリー」と言ってしまった。
漫画『ONE PIECE』のファンだと公言している。
ジャニーズ事務所に履歴書を送ったことが2回ある。しかし、2回とも落選した。。

相方・渡部によると、ネタ合わせの時などは饒舌で噛まないらしい。いわゆる「あがり症」で
人前に出ると喋れなくなってしまう。そのことについて相方や芸人仲間からは
「もうお笑い辞めろ」と言われる。
スクールJCA一期生のオーディションで、応募者中唯一補欠合格であった。選考委員の斉木しげるは
パチスロの勝率が8割(当時)だったので、授業料が支払えると判断した。
最近ではドラマや映画に出演するなど俳優としての活動も多くなっている。

自分が大好きで家では、自分が出た番組をチェックしている。またその際自分の言ったことや
行動に笑っていない人をチェックして、その人を思い浮かべながら下記の通り体を鍛えている。

明石家さんま、ペナルティのワッキー、インスタントジョンソンのじゃいとは麻雀仲間である。
アンタッチャブルの柴田英嗣やおぎやはぎの小木博明と仲が良い。
一時期くりぃむしちゅーの上田晋也の家に居候していた。
明石家さんまとは週1回程会って麻雀をしている。また頻繁にメールをしあう仲でもあり、
本人曰く「ある意味、一番仲がいい芸能人はさんまさん」と述べている。
明石家さんまにONE PIECEを勧めた。
陣内智則とは誕生日を祝ったほど仲が良い。 



【パーソナルデータ:渡部 建】

東京都八王子市出身、神奈川大学経済学部卒業。
スクールJCAの第2期生
正式にオーディションを受けて人力舎に入ったわけではないので、途中でみんなに紛れて
JCAの授業を受けてみたところ、意外と気付かれなかったらしい。

心理学に興味があり、恋愛に使える“恋愛心理学”をたくさん持っている。
2008年、夜景鑑賞士検定3級取得。社交ダンス(ラテン1級)も取得している。
英検2級。
歌が上手い。
以前は喫煙していたが、二コレットで禁煙に成功。
高校野球マニアで、時間が空くと地方予選を観戦するために様々な球場に足を運び、出場選手にも
相当詳しい。高校野球を観戦に行くとデジタルカメラで写真を撮るが、試合だけでなく、
スタンドで応援している部員も撮る。理由は将来試合に出る選手になる可能性があるから。
阪神ファンである。
小学1年〜中学3年までの9年間、八王子リトルリーグに所属していた。
学生時代からモテていたといい、一番モテたのは中学の時、高校でもクラスで目立つ存在だった。
趣味は小説を読む事。 好きな漫画家は弘兼憲史。
俳優の伊原剛志に似ているというのが、自慢である。
食通で、いつかはグルメ本を出したいと思っている。食べ物の中ではラーメンと天ぷらが好き。
大の酒好きで、特に麦焼酎の「兼八」、米焼酎の「鳥飼」を好む。
韓国のヒップホップ系女性歌手グループ・2NE1のファン。
くりぃむしちゅーの上田晋也を見て自分もピンで仕事をしたくなって、マネージャーに
「ピンで仕事をいれろ」と言ったことがある。
戸籍上は男性である佐藤かよに告白したが、佐藤本人から自分が男性であることをカミングアウ
トされ相当ショックを受けたという。
2009年の初めごろにレーシック手術を受け、同時に視力は0.06から1.5に回復した。

仲の良い芸人はくりぃむしちゅーおぎやはぎ矢作兼、長井秀和、カンニング竹山隆範、陣内智則
土田晃之、
スピードワゴンの小沢一敬。
おぎやはぎ矢作兼とは若手時代同居していた。
有田哲平と山崎弘也と渡部の3人で同居していた頃もあった。
所属事務所:吉本興業
メンバー :遠山大輔(1979年5月10日生まれ・AB型・ボケ)
       五明拓弥(1981年8月24日生まれ・B型・ボケ)
       佐藤 大(1980年2月18日生まれ・B型・ツッコミ)



3人ともに東京NSC生である。元々は遠山と佐藤のコンビだったが2005年に五明が加わり
グランジを結成。
コンビ名は遠山が勝手につけた。当初は格好付けて自分の好きだったあるバンドの曲の歌詞カード
から選んだので、意味は分からなかったという。2人で活動している時期もこの名前を使用している。
ちなみに英語訳(スラング)で“汚い”あるいは“ゴミ”という意味。
基本ネタはアドリブだと本人達は言っている。コントと漫才の両方を行い、それぞれピンネタも
持っている。
コンビ全員、人力舎の鬼ヶ島と仲が良い。
遠山がNSC5期生、佐藤、五明がNSC6期生である。

キングオブコント2008から出場。2010年現在で、3年連続準決勝進出。
THE MANZAI 2011において、認定漫才師50組に選ばれる。

【受賞歴】

2007年 Mori-1グランプリ 優勝
第3回 博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜 優勝(佐藤)


【パーソナルデータ:遠山 大輔】

北海道札幌市豊平区平岸出身。
東京NSC5期生。立ち位置は中央。
以前は祖母とは板橋の一軒家にて2人暮しをしていたが、現在は一人暮らし。
高校3年生の時に千原兄弟のライブを観たことが、お笑いをやろうと決めたきっかけ。その後
ライブでもらったNSCのチラシを見てNSCに入学する。
通称がT山D輔であり「D」「TD」「Dちゃん」「D輔クン」などと呼ばれることが多い。
吉村崇(平成ノブシコブシ)と仲が良く、遠山のことを「D輔」と呼んだのも吉村が最初である。

元相方は大平カンフー(現・構成作家)。
自称アイドル担当。犬の心押見泰憲、LLR伊藤智博らとDOI(ドゥーイ)というアイドルユニット
を一方的に組んでいる。
音楽が大好きで、thee michelle gun elephant、米米CLUB、他奥田民生、ユニコーン、
BUMP OF CHICKENが好きである。

神保町花月「Lovin' you」で演出家・林灰二と出会い、彼の所属するOi-SCALEの本公演に役者
として出演した。
ホコリアレルギーである。
コーラが大好き。
Perfumeの大ファン(のっちが特に好き)。
現在はラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』で「とーやま校長」として出演中。


【パーソナルデータ:佐藤 大】

秋田県秋田市出身。秋田県立金足農業高等学校卒業。
東京NSC6期生。立ち位置は右。
高校卒業後は就職していたが、当時の同級生に誘われてNSCに入る。
トリオとして非常に珍しい立ち位置右のツッコミである。
『とんねるずのみなさんのおかげでした』「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」
第3回大会で「富士そば恵比寿西口店の店員」シリーズのモノマネを披露し優勝に輝く。
競艇等のギャンブル好きである。
やたらと雑学に詳しい。
酒が好きで、よく声を枯らしている。また酒癖が悪く、仕事に多々遅刻したりする。
いつもキャップをかぶって舞台に立っている。
グランジ以前は岩崎う大(元WAGE、現かもめんたる)とコンビを組んでいた。コンビ解散後はピン
で活動しており、「佐藤夢丸(さとうゆめまる)」と名乗っていた。
好きな芸能人は菅野美穂、深田恭子。

ある日、ライブの帰りにリュックに衣装を詰めて、ポケットに小道具で使ったごぼうを入れて
バイクで帰った。その時期にちょうどその辺りで事件があり、その犯人の格好と佐藤の格好が
似ており警察に職務質問された。運悪く、免許の期限が切れていてやばいと思った佐藤は
最初に姉の名前を言ってごまかそうとしたが、当然そんな嘘はすぐにバレることとなり、警察に
連れて行かれ、結局拘置所に一週間入れられることになった。一週間後、メンバーの遠山と
五明で迎えに行った。




吉田大吾(POISON GIRL BAND)が主催する東京大吾組の一員。そのほかメンバーは、福田恵悟(LLR)、
長澤喜稔(マキシマムパーパーサム)、真栄田賢(スリムクラブ)、橘実(エリートヤンキー)。
ライスの関町が好きで、一時期会うたび関町にキスをしていた。
ツッコミの時の力が著しく強く、暴力的。NON STYLEの石田は「服の襟を掴むツッコミなんて
初めて見た」と語っている。
仲の良い芸人はLLR福田、マキシマムパーパーサム長澤、ロシアンモンキー中須、ライス関町など。
LLR福田に関しては20代になってから一番しゃべっている人間と言っている。

スリムクラブがブレイクする前から可愛がっていた。
可愛がってもらっている先輩はパンクブーブーの黒瀬。

【パーソナルデータ:五明拓也】

千葉県柏市出身。
東京NSC6期生。立ち位置は左。
現在も千葉の実家に住んでいる。
高校生の時に『爆笑オンエアバトル』を見ていたのがきっかけで、同級生とアマチュアコンビを
組んでライブに出演するようになり、その後NSCに入る。
「ジャムトランプ」というコンビで活動していたが解散後、遠山・佐藤のコンビに加わった。
「ストッキング被った様な顔男」「美空ひばりの息子似男」等と、様々な物に例えられる顔をしている。
潔癖症である。
グランジの中で1番年下ではあるが、3人の中で1番しっかりしていて大人といわれる。
遠山と大が殴りあいの喧嘩をしている時も、暴力で解決しないで口で解決しろと諭す。
同期のピクニックと仲が良く、「同級生」というユニットでライブを行ったりしている。
トータルテンボスが監督・キャプテンを務める芸人草野球チーム「アフロモンキーズ」に参加。
髪を伸ばしており、舞台に立つ際はお団子にしている。髪を伸ばした当初の理由は、佐藤大との
区別をつけるためだった。
大喜利が得意。
読書家。

平成ノブシコブシの徳井、THE GEESEの尾関と仲が良い。
所属事務所:吉本興業
メンバー :タカ(1976年4月3日生まれ・B型・ボケ)
       トシ(1976年7月17日生まれ・A型・ツッコミ)



2人は中学の同級生でタカがトシを誘い中学2年生の時にコンビを結成。学園祭で漫才を披露する。
タカがトシを相方に選んだ理由は、「トシが「面白い」と思うところが、自分と一緒だったから」。
中学卒業後は別々の高校へ進学。 高校3年生の時に、吉本興業札幌事務所主催のオーディション番組
「トミーズのよしもとのもと」を受けるが落選。同時期に、札幌吉本主催の素人勝ち抜き型お笑い
ライブ「吉本特選 空飛ぶイクラ SPECIAL」にも参加。オーディションに合格。同収録にて
アップダウン(当時高校2年)も合格。
高校卒業後、吉本興業札幌事務所に入りプロとして活動を始める。札幌吉本の1期生となる。
芸歴は、大阪NSC13期生(次長課長など)とほぼ同期にあたる。同時期に笑ハンティングらと共に、
地方ローカル深夜番組にてコントなどを披露。
占い師に画数が悪いと言われ、コンビ名を「タカ&トシ」から現在の「タカアンドトシ」に改名。
2002年4月 に活動の拠点を、札幌から東京に移す。
2005年頃から「○○か!」のツッコミで知られるようになり、テレビ出演も増える。

ネタはタカが大部分を作り、その台本のツッコミの部分をトシが細かく変えていく。
当初は、普通の正統派しゃべくり漫才だったが、タカのボケに対し、トシが連続で「○○か!」
と突っ込みながらタカの頭を叩くパターンを生み出した(通称「○○か!漫才」)。
これは、もともとタカはネタの台本をツッコミの部分は細かく作らず、その部分はトシが
手直しをしていた。そういったときに、タカの書いた台本のツッコミが一部分すべて「○○か!」
と書かれていた。それをトシが舞台で使ってみたところ、先輩などから高評価だった。
その中でも「欧米か!」とツッコむネタがヒットしてメディア出演が増えた。


2006年10月に発売したDVDの「タカアンドトシ新作単独ライブ タカトシ寄席 欧米ツアー2006」が
10万枚以上のセールスを記録。これは2005年2月に発売したアンガールズの「アンガールズ 単独
LIVE ~88~」4万超え以来の快挙。



【受賞歴】

2004年 M-1グランプリ4位
2005年 爆笑オンエアバトル7代目チャンピオン
2006年 爆笑オンエアバトル8代目チャンピオン
2008年 ゴールデン・アロー賞放送賞(バラエティ部門)
2008年 ビートたけしのエンターテインメント賞日本芸能大賞
2010年 S-1バトル月間チャンピオン(1月)



【パーソナルデータ:タカ】

本名:鈴木 崇大
北海道札幌市出身、北海高等学校卒業。
とんねるずがお笑い芸人を目指すきっかけとなっているが、「とんねるず」がグループ名に「ん」
が付いているので、「自分たちも『ん』が付くグループ名にしたい。」と思い、
「タカア“ン”ドトシ」(最初は「タカ&トシ」)というグループ名にした。

タカがよく着ている服のライオンの絵柄は、坊主頭のトシのインパクトに負けないよう、何か
可愛いものをと探していたところ、公園の遊具のライオンを見て「これだ!」と直感して写真に収め、
デザイナーにお願いしてデザインしたもの。
以前の風貌は短髪にヒゲでなおかつスレンダー、とかなりワルっぽかった。髪はソフトモヒカン風
や左右サイドを別の色に染めるなど、かなり奇抜なものだった。今の姿とはまるで別人で、
トシが「相方変えた?」と聞かれる。

同級生と言うこともあり、コンビ愛も深く、解散ドッキリでトシが「休業したい」と言った時も、
タカは涙ながらに「俺はお前とじゃないと出来ないから」と言った。トシは同番組の最後で
「(タカが自分とじゃないと漫才出来ないと言った事に)感動した」と言う発言をしている。


仲の良い芸人はパンクブーブーの黒瀬、次長課長の河本など。
最近では「タカ軍団」を率いており、メンバーはオードリー春日、オリエンタルラジオ中田、
初恋タローこうすけ。2011と2012年の正月がこのメンバーで旅行に行っている。


【パーソナルデータ:トシ】

本名:三浦敏和
北海道旭川市出身、札幌市育ち。北海道札幌南陵高等学校卒業。
中学2年生の時にタカから誘われコンビ結成。

短気な性格で、文句が多いため相方のタカは「ツッコミじゃなく文句」と言っている。
初期の頃はネタは作っていなかったが、現在はツッコミの部分の多くはトシが作っている。
「○○か!」のつっこみが特徴。
トレードマークの坊主頭になったきっかけは、1999年2月にIZAMと吉川ひなのが結婚した際、
ラジオでトシが「2人が年内に離婚したら坊主になる」と宣言。その事も忘れかけていた同年9月に
2人は離婚。さらにリスナーからの問い合わせでトシは坊主となり、その後定着した。
北海道時代はマッシュルームカットだった。

母親からは「トコちゃん」と呼ばれている。幼少の頃、トコトコ1人で歩いてどこかに行って
しまった事があだ名の由来。
妻からは「どんたこちゃん」と呼ばれている。(三浦→みうどん→うどんくん→どんちゃん、
さらにタコに似ているため。)
幼少の頃からファミコン好きで、テレビゲームは得意である。
中学校時代は、バスケットボール部に所属。
一番好きな漫画は『SLAM DUNK』。
趣味は、アメリカのフィギュア収集で、10万円で購入した物もある。
父親が松山千春のマネージャーをしていた。自宅に松山が麻雀をしに来ていた。



2010年5月7日、高校2年時から交際していた女性と入籍。現嫁からの逆プロポーズ。
2011年6月9日、長男が誕生。
所属事務所:吉本興業
メンバー :中田敦彦(1982年9月27日生まれ・0型・ボケ)
       藤森慎吾(1983年3月17日生まれ・B型・ツッコミ)



2人の出会いは大学時代に保険の自動車事故受付のオペレーターのアルバイト先。
藤森が中田を誘い、東京NSCへ通う。10期生で同期にはんにゃフルーツポンチ少年少女等。


コンビ名は「オリエンタル」を中田が持ち寄った言葉の中から選び、「ラジオ」を藤森が持ち寄った
言葉から選んだ。また中田の父親が自動車保険販売業を営んでおり、「いい車には、名前には
ラ行(ラ・リ・ル・レ・ロ)の文字が入っている。」と言われ、「自分もコンビ名には、
ラ行を入れたい。」と思い、ラ行が3文字入っている「オリエンタルラジオ」にした。
コンビ名をオリエンタルラジオに決定した理由のひとつは、この単語をネット検索にかけたところ
1件もヒットしなかったため、「このコンビ名にすれば、今後自分たちがどれだけ売れたかが検索
ヒット数で分かるようになる!」と思ったから。

2005年TBS「ゲンセキ」にてTVデビュー。

NSC在学中に「武勇伝」ネタで、M-1グランプリ2004の準決勝まで残り、敗者復活戦にも出場。
M-1グランプリ2005では、漫才のみで準決勝まで残った。しかし、事務所の決定によって
敗者復活戦には出場できなかった。2006年は事務所の意向によってM-1出場はかなわなかった。
2007年、2008年はM-1グランプリの準決勝進出に加え、NHK新人演芸大賞でも決勝に進出した。
両大会共にも漫才のみで戦っている。2009年にも、M-1グランプリにて追加合格ながら準決勝まで
進んでいる。

デビュー3年にしてゴールデンの時間帯に自分達の冠番組を持つ。これは最短記録で
今現在も破られていない。当時は月収は300万円を超えていたという。

次第に人気が低迷してきた頃から2人の間に不穏な空気が流れ始め、ラジオ生放送中に
喧嘩をしたこともある。
元々、中田がお笑いが好きで、藤森が中田に乗っかった形だった為、ふたりの間が師弟関係の
ようで、藤森は当時、中田の事が嫌いだったという。
デビューしていきなり売れた為、当初は先輩芸人との交流がまったくなかった。


NSC在籍時のネタ見せでダダすべりをした事があり、少年少女の二人に「今日はどうしたの?」と
心配され、中田が「休み明け見ててよ、俺すごいネタ作ってくるから」と宣言し、
休み明けのネタ見せで披露したのが、あの武勇伝のネタだった。



【受賞歴】

輝け!2005年お笑いネタのグランプリ ブレイク賞




【パーソナルデータ:中田敦彦】

大阪府高槻市出身、慶應義塾大学経済学部卒業。
愛称は「あっちゃん」。

小学生の時は生徒会長や応援団長をするなど明るい少年だったが、中学生になり東京へ引っ越す
と同時に、都会の空気が合わないと性格が一変、暗い少年となってしまい、丸いメガネを
かけていた為、ついたあだ名は「瀧 廉太郎」。しかし、この頃からお笑いが好きで
お笑い番組の音声をレコーダーに録音し、聞きながら通学していた。
高校生の時に見たビデオでダウンタウンや千原ジュニア、シティーボーイズが好きになり、
お笑い芸人の夢が少し芽生えた。
『新世紀エヴァンゲリオン』の大ファンで、初恋の相手は綾波レイであり、自分の女性の好みを
統合するとレイになるというほど現在でも理想の女性であると公言している。
学生時代には、アニメ内のレイの音声のみをすべてMDに録音し、それをヘッドフォンで聴きながら
登校していた。初号機など劇中のキャラクターの動きの再現も得意である。

中田はNSC入学前に藤森とは違う相方とコンビを組み「サメハダ」の名でインディーズで活動して
いた時期があり、吉本からのデビュー以前にすでにお笑いの世界で生きて行く厳しさに触れていた。
お笑いをやりたい気持ちは強かったが躊躇する気持ちも同時にあり、藤森から受けた3度目の誘いで
ようやく決心をする。そのため万全を期すためNSC入学時にすでにネタを100本も考えていた。

武勇伝のネタが出来た時には「これは売れる」と確信したという。

自転車が好き。熱海まで行った事がある。
万年質をコレクションしている。ファーバーカステルがお気に入り。
メモ魔で手帳にその日あった出来事、食べた物、会った人などすべて記録に残している。

ダンサーの弟がおり2009年にパリで行われたJuste Debout世界大会で優勝している。

イラストを描くのが得意。

プライベートではタカアンドトシのタカ軍団と呼ばれる軍団に属しており、2年連続に正月に
タカアンドトシタカオードリー春日、初恋タローこうすけの4人で旅行に行っている。



【パーソナルデータ:藤森慎吾】

長野県諏訪市出身、明治大学政治経済学部卒業。
愛称は「しんご」、「チャラしんご」。
父の仕事の都合で中学時代は香港で過ごした。
小さい頃は美容師になりかった。

人気が低迷して、再ブレイクのキッカケとなったのが藤森自身の「チャラ男」キャラ。
2011年には「あげぽよ」「君、きゃわゆいネェ」が流行語大賞にノミネートされた。

イタリアンの店を経営している兄と同居している。兄の店の近くに川越シェフの人気店ができた
為に兄の店が経営不振に陥っているという。
大御所芸能人と仲が良い。
次長課長の河本にかわいがってもらっている。
藤森がかわいがっている後輩はシソンヌの長谷川と御茶ノ水男子のおもしろ佐藤。
所属事務所:吉本興業
メンバー :菅 広文(1976年10月29日生まれ・A型・ボケ)
       宇治原史規(1976年4月20日生まれ・B型・ツッコミ)



2人の出会いは高校時代、菅が宇治原としゃべってるのが楽しく感じ、ずっと一緒にいるのは
お笑い芸人になるのがいい!と思い、宇治原を誘ってお笑いの道に進むことにした。
芸人になった時に話のネタになるからという理由で宇治原に京大へ行くように言い見事に現役合格。
しかし菅は一浪し、翌年大阪府立大学に合格後ロザンを結成。NSCには通っておらず、
オーディションでデビューした。
ネタは漫才とコントの両方を行い、M-1、キングオブコントに参戦してきた。

コンビ仲が非常によく、ピンの仕事のギャラもすべて折半にしている。
宇治原がクイズ番組で得た賞金も、菅の本の印税も折半。


【パーソナルデータ:菅 広文】

大阪府高石市出身、大阪府立大学経済学部中退。
愛称:「菅ちゃん」。左利き。
ネタ作成担当。
中学・高校は大阪教育大学附属天王寺校舎。幼少時は東京都・長野県に住んでいたこともある。
高校の同級生である宇治原とこの先もずっと一緒に過ごすためにはお笑い芸人になればいいと
思い、宇治原を誘ってコンビを組んだ。
吉本興業の情報誌「マンスリーよしもと」の吉本男前ランキングで11年連続で上位10位以内に
ランクインしている。
童顔で、25歳の時にシャンプーハットの小出水に連れられてパチンコに行った時、店員に未成年と
間違われた。
2001年秋の『オールスター感謝祭』で優勝している。
デビルマンの大ファン。
持ち前の笑顔と、誰とでもすぐに仲良くなれる“広く浅い付き合い”をしていた(転校を繰り返して
いたため、仲が良くなり過ぎると別れるのが辛くなるから、とアメトーークの『転校生芸人』で
発言している)ため、相方の宇治原と出会うまでは本当の親友と呼べる人間はいなかったという。
宇治原の両親に、真面目な京大生の息子をお笑いの世界に引きずり込んだ「元凶」として嫌われ
ていた。現在は良好な関係である。


【パーソナルデータ:宇治原 史規】

大阪府四條畷市出身。京都大学法学部卒業。
成績は常に良く、高校在学中は学年で1、2位を争う成績で、大学受験生時代には京大模試で
全国第2位になったこともある。通っていた代々木ゼミナールから授業・模試を全て無料で
受けられるゴールドカードを交付されていたほどであった。

菅にお笑い芸人になろうと誘われ快諾、芸人になった時の話のネタになるからと京大進学を
勧められ京都大学法学部に現役合格で入学。作家の万城目学は同学部の同級生にあたり、
万城目は宇治原のことを一方的に知っていたとのこと。
その後留年・休学を経て9年かけて2004年3月に卒業した。

宇治原は両親が反対することを悟り、京大時代は父には自分が芸人として活動していることは
秘密にしていた。しかし、ある年の正月にテレビ番組でふんどし一丁でお金を追いかけて走り
回っているのを目撃され、父親は「何のために京大に行ったんだ!!」と激怒、その後も
「芸人をやりたい」「許さない」の押し問答が続いていた。結局、宇治原が9年かかって大学を
卒業した際に、その熱意を認めて許してくれたとされる。

その学力と豊富な知識を生かしクイズ番組にも出演する機会が多い。
2011年『お笑いワイドショー マルコポロリ!』の企画において、MENSAの入会テストでIQ158
(標準偏差24)以上という成績を取った。上位2%のIQ150(標準偏差24)以上がMENSAの入会資格
だが、上位1%のIQだった。その結果、JAPAN MENSAの会員となる。

菅と対比して「ブサイクキャラ」でいじられることが多い。特に目が落ち窪んでいるために
「ガイコツ」や「目窪(めくぼ)み」などと揶揄されることが多い。

2011年10月30日、大阪マラソンを走り、4時間10分22秒で完走した。

所属事務所:吉本興業
メンバー :川島邦裕(1976年3月12日生まれ・AB型・ボケ)
       ロッシー(1975年4月6日生まれ・O型・ツッコミ)


2人は幼稚園からの幼馴染。共に大阪NSC13期生で、同期に次長課長ブラックマヨネーズ
チュートリアル徳井、シャンプーハットなど。
2003年8月、当時の主要メンバーと共にbaseよしもとを卒業。現在はルミネtheよしもとで活動中。

バッファロー吾郎にかわいがられている。



【パーソナルデータ:川島邦裕】

滋賀県守山市出身。滋賀県立守山北高等学校卒業。
愛称は「くーちゃん」。
音楽的センスもあり、またとても特徴的な絵を描く。特に「指字」を得意とする。
ネタ作り担当で、コントで使用する小道具も川島が作成。
たむらけんじが経営する「炭火焼肉たむら」の題字を任された。
テレビ出演時は破天荒だが、裏ではとても礼儀正しく優しい性格だという。
上半身の数箇所にタトゥーを入れていることから、地上波のテレビ番組では裸になれず、
全身の水着を着用する(手首にある★のマークは確認できる)。
シャンプーハットのてつじと仲が良い。
カナリアの安達から慕われており、「お師匠さん」と呼ばれている。

川肉糞亭スポーツを名乗り、Wコージ・千原兄弟・バッファロー吾郎なども肉糞亭一門の名を
持っている。


2004年12月に結婚。2008年3月に長女が産まれた。
東京に仕事で行ったときに今の嫁にファンレターを貰ったのがキッカケ。プロポーズは
川島の浮気がバレて泣きじゃくる彼女を慰める為につい「結婚しよう」と言ってしまったという。
結婚式の際、夫婦初めての共同作業としてガンダムのプラモデルの頭を一緒に組み立てた。
ちなみに、このプラモデルには武器を持たせておらず、争いを避ける気持ちを表現した。しかし、
新婦が父親に自分の誕生時の体重と同じ重さのテディベアのぬいぐるみをプレゼントとして
渡したのに対し、誕生時の体重と同じ重さの武器である鎖鎌をプレゼントした。



【パーソナルデータ:ロッシー】

滋賀県守山市出身。滋賀県立守山北高等学校卒業。
本名:城野克弥(しろの かつや)
性格は天然ボケ。フクロウのぬいぐるみ『ほうほう』を可愛がっていた。
「チンさむ」なる言葉も彼から発祥している。
中学時代は生徒会長を務めていた。
高校では成績が学年で下から2番目だった。
シャンプーハットの小出水と仲が良い。



所属事務所:吉本興業
メンバー:松田洋昌(1976年10月21日生まれ・AB型・ツッコミ)
     鈴木Q太郎(1974年8月14日生まれ・A型・ボケ)


2001年6月に結成。松田の方が年下であるが、芸歴では先輩にあたるためQ太郎は松田さんと呼び、
松田はQ太郎と呼ぶ。コンビ仲がとても良く、仕事終わりに2人で食事に行ったり、休みの日に
一緒に出かけたりすることもあるほど。
Q太郎いわく、「会話が絶えない」との事。以前は一緒に住んでいたこともあった。その時は
Q太郎が食事を作る担当で、Q太郎は「食事は俺作るから松田さんはネタ作ってて!」と
言っていた。

マツダ、スズキと二人とも自動車メーカー名と同じ苗字のため、結成2ヶ月ほど「くるま」と
いうコンビ名で活動していた。「くるま」というコンビ名がぱっとしなかったため、車から
降りて歩いていこうという事で、現在の「ハイキングウォーキング」となった。
2006年ごろから松田の地元・富山テレビ放送の番組に出演。 2007年は彼らにとって飛躍の
年になった。元日早朝の『爆笑ヒットパレード』(フジテレビ)第0部で十八番のコーラネタを
披露したところ、司会の今田耕司が「こいつら最低や!」と言いながらも腹をよじって爆笑。
そこから『爆笑レッドカーペット』第1回に出演したり、4月20日放送の『たけしの誰でもピカソ』
では今田の「オススメ芸人」としてビートたけしに紹介されるなど徐々に業界人の注目を集める
ようになる。 以降レギュラー番組やCM出演などが決まり、現在に至る。





【パーソナルデータ:松田 洋昌】

富山県富山市出身、富山県立富山商業高等学校卒業。
高校時代は野球部に所属し、甲子園に出場するが松田はレギュラーではなかった。
ネタ作り担当。
実家は美容院。
2011年4月23日に元おはガールの安藤聖と入籍。



【パーソナルデータ:鈴木 Q太郎】

新潟県南魚沼市出身。
本名 猪熊 正志(いのくま まさし、旧姓:鈴木、結婚し婿養子になった)

2010年8月8日 7年間交際していたスタイリストの夏子さんと入籍。
過去に一度、Q太郎の浮気で一度破局し、半年間は別の女性と交際していたが
その後、夏子さんと復縁し、復縁直後に
「おじいちゃんになっても、おばあちゃんになっても、どっか2人で遊びたいね」
とプロポーズ。20万のティファニーの婚約指輪をプレゼントした。

所属事務所:吉本興業
メンバー :西野亮廣(1980年7月3日生まれ・O型・ツッコミ)
       梶原雄太(1980年8月7日生まれ・B型・ボケ)


2人の出会いは大阪NSC、22期生で同期にNONSTYLE、ダイアン、平成ノブシコブシ
ウーマンラッシュアワー村本、ピース南海キャンディーズ山里等。
別のコンビを組んでいた西野がコンビを解散し、梶原が西野を誘いキングコング結成。

コンビ結成秘話:変な動きと変な顔で笑いを取る梶原を見て「あいつおもろいな。」と西野は
思っており、一方の梶原も「あいつおもろいネタつくんなぁ。男前やし、あのボケを俺がやったら
もっとおもしろくなんのに…。」とそれぞれ別のコンビで活動しつつも互いにひかれ合っていた。
ある日、オーディションに落選し落ち込んでいる西野の元に、同じように落選した梶原が話しかけ、
意気投合。すっかり打ち解けた2人は毎日のように遊んでいた。しかし「コンビを組もう」とは、
お互いに言い出せずにいた。
ある日西野が夜景を見に行こうと梶原を誘い、バイクで二人乗りをし、大阪を一望できるという
夜景スポットで、西野が「この下にはすっげーいっぱいの人がおるんやろな。こんなんみんな
笑わそ思たら、たいへんやろなぁ。」と言い梶原が「俺ら二人やったら出来るよ!」と答えた。
「え?!今のどういう意味??」と西野が聞き返すと「こういう意味や!」梶原が手を差し出し、
がっちりと握手し合ってキングコングが結成された。

コンビ名の由来は、西野が「~コング」という言葉を入れたがっており、梶原が「それなら
“モンキーコング”は??」と提案。しかし気に入らず「だったらキングコングの方がいい」と
いう西野に梶原も同意してキングコングとなった。元々「名前なんて売れればあとからついて
くるもの。」と2人は思っており、あまりこだわりもなく命名したと言っている。


2000年に受賞したNHK上方漫才コンテスト最優秀賞は吉本総合芸能学院 (NSC) 在学中、
コンビ結成5か月、19歳という若さでの快挙を成し遂げた。NSC在学中に関西の賞を受賞したのは
過去に彼らのみである。また、M-1グランプリ2001には芸歴2年3か月で決勝進出も果たし、
この記録は大会史上最短記録であり、最終的に大会が終了するまで一度も破られなかった。


1990年代から2000年代にかけてブレイクした若手芸人で『エンタの神様』に出演していない
数少ないコンビである。



【受賞歴】

2000年 第30回NHK上方漫才コンテスト最優秀賞
2001年 第22回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞
2001年 第36回OBC上方漫才大賞新人賞
2001年 第30回YTV上方お笑い大賞最優秀新人賞
2001年 M-1グランプリ2001 決勝進出(7位)
2007年 M-1グランプリ2007 決勝進出(3位)
2008年 M-1グランプリ2008 決勝進出(8位)





【パーソナルデータ:西野亮廣】

兵庫県川西市出身。兵庫県立川西緑台高等学校卒業。
ネタ作り担当。
自他共に認めるナルシストで、突然『この顔に生まれて良かった』と言う。学生時代には自分の
ファンクラブがあったらしい。
社交的な性格で交友関係は広く、芸人以外ではw-indsの橘慶太や妻夫木聡氏と仲が良い。
タモリにかわいがられている。
芸人ではインパルス堤下、ブロードキャスト房野らと仲が良い。
特技はマラソン、ギター、絵を描くこと。

2009年1月26日には初の著書となる絵本『Dr.インクの星空キネマ』を出版。
2010年1月25日には2冊目の絵本『Zip&Candy -ロボットたちのクリスマス-』を出版。



【パーソナルデータ:梶原雄太】

大阪府大阪市都島区出身。
家族は母と2人の兄で、両親は小学校1年生の時に離婚した。

2003年2月から5月まで、ストレスによる病気で仕事を休養した。
休業がきっかけで、女性と交際し結婚。復帰の翌年(2004年4月)に、本人の浮気が原因で離婚。
2006年3月下旬、蜂窩織炎、血管浮腫(世界的に症例が少なく、梶原が日本人で38人目)で入院。
2007年 元読者モデルと再婚。
2007年10月9日に、第一子の男児が誕生し、2009年7月に第二子が誕生した。

運動神経抜群でサッカーやボクシングなどの経験がある。
ダーツに熱中していた時期があり、芸能人ダーツ大会という企画で優勝するほどの腕前である。

苦労した母を見ていたためか母親思いで、反抗期はなかったという。2,000万のマンションを
購入して母にプレゼント、母を喜ばせたことが。しかしそれが原因で、当時21歳にして35年ローンを
組むことになり、返済が終了するのは56歳の時だという。
所属事務所:吉本興業
メンバー :吉田敬(1973年6月27日生まれ・A型・ボケ)
       小杉竜一(1973年7月5日生まれ・0型・ツッコミ)


1994年、大阪NSC13期生の同期として出会う。同期に次長課長チュートリアル徳井、
野生爆弾などがいる。在学中から、小杉は「関西キング」、吉田は「ツインテール」と
いう別々のコンビを組んでいたが、小杉の元相方が結婚を期に引退。それをきっかけに
吉田が小杉を誘う形で、1998年にコンビを結成した。

小杉がコンビを解散してから、小杉の母親が「アンタ、吉田君と組み」ときっかけを作った。
その発言の後、吉田のコンビを組むプロポーズに小杉がOKを出した。また、2009年に小杉が
「やりすぎコージー」で明かしたところによると、当時、吉田とコンビを組んでいた
和田義浩が小杉が自分を気遣って、吉田とコンビを組むことを躊躇しているだろうと思い、
自ら小杉に吉田とコンビを組むように説得しに来たという。番組で小杉がその話をするまで、
吉田はそのことをまったく知らなかった。和田義浩は現在、放送作家をしており、
ブラックマヨネーズを裏方として支えている。

コンビ名は、日本のロックバンド「Mr.Children」のように正反対でアンバランスな意味の
単語を組み合わせたもの。マヨネーズという身近なものの名前を入れることで
「マヨネーズを見るたびに自分たちのことを思い出してくれたら」という願いも込められている。
ただし、当初はこの名前を吉本興業に申請した際、「ブラック」はイメージがいまいち良く
ないとして一時保留扱いとなっていたが、同時期にブラックビスケッツのヒットがあったため、
イメージが払拭されて話を通った事を明かしている。

2005年、第5回M-1グランプリ決勝に進出し、優勝。翌年2006年東京進出する。優勝直後、
他のM-1優勝コンビに比べて優勝後のメディア出演が少なかった(実は関西ですでに売れ始めて
いたため、すぐに東京に拠点を移せなかった)。2007年頃からはキャラも浸透し始め、
少しずつ全国区でのテレビ出演が増え、M-1覇者には珍しい「時間差ブレイク」を果たした
とも言われた。しかし、メンバーはこれに対してやや否定的であり、「関西での仕事ばかり
していただけ」「自分達では全力疾走してたけど周りからは歩いているようにしか見えて
なかったのかも」と振り返っている。

漫才は吉田のネガティブでやや屈折した世界観を持つ独特のボケに、小杉がツッコミを入れる
スタイルの正統派上方漫才。ダウンタウン松本は「どつかない、どつき漫才」と形容したことが
ある(正確には吉田が小杉をビンタしたことがある)。ネタ作成は吉田を中心に二人で行っている。

フリートークでのセンスは早くから認められていたものの、漫才やコントのネタになると途端に
勢いを失うため、実力を持ちながら売れずに終わることを心配されていた。しかし2005年頃、
「ラジオのフリートークのような漫才がやりたい」という吉田の提案で、吉田が1人でネタを
作る方法から2人の前にノートを置き、その場の思いつきを会話形式で書き込んでゆく方法に変更。
その結果、現在のスタイルが確立されていった。

「ハゲの小杉」「ブツブツの吉田」と、2人の特徴的な風貌はキャッチコピー化している。

大物芸人からの評価も高く、M-1優勝する前から目をつけていた人も多い。

コンビ仲がよく、吉田の携帯メモリのNo.0は小杉、小杉の携帯電話のメモリのNo.1は吉田に
なっている。吉田は小杉の代わりがいないという意味でNo.0、小杉は有事の際に一番に連絡を
取りやすいことからNo.1に登録している。東京の吉田の新居に小杉が遊びに行ったりすること
もある。ネタを中心に書いている吉田の気を遣い、小杉は吉田が休めるように月に一度大阪で
ソロライブをやったり、M-1優勝時は吉田に「賞金を折半してええんか?」と聞いてきたりなど、
優しさをのぞかせている。また、楽屋で2人きりでも、会話をよくする珍しいコンビであると
自ら認めている。恋愛に関する相談をお互いにする。

吉田にとっての優先順位は「弟>小杉>両親」だと語っており、「親と小杉が同時に溺
れたら小杉を先に助ける」とも語っている。

吉田が小杉にコンビ結成を申込みに行った際、吉田は母親の軽自動車を借りて小杉宅へ行ったが、
小杉宅には高級車が止まっており、「こいつ、すぐに芸人に見切りをつけるんちゃうか?」と
心配した吉田は、「コンビ解散を切り出したら3,000万円支払う」という誓約書を小杉に
書かせようとした。

小杉の髪の毛が薄くなり始めたころ、まだ気持ちが吹っ切れていなかった小杉は、楽屋で
先輩芸人たちにネタにされる度に芸人を辞めてやろうと何度も考えたことがあった。しかし、
吉田は小杉が「ネタにして笑いを取っていい。」と言い出すまで、楽屋ネタとしてはもちろん、
プライベートでも小杉の髪についてふれることは決してしなかった。小杉は、吉田のこの
気遣いに非常に感謝している。

『ビーバップ!ハイヒール』で、今言いたい事をボードに書いて見せるという企画が行われた際、
他の出演者が無難な内容を書く中、吉田は「小杉へ、いつもありがとう。お前のお陰で今の
俺がいる。本当にありがとう」と小杉への感謝のメッセージを書いた。

大阪時代、同じアパートの別の部屋に住んでいた。入居を決めた際、4階と5階に1つずつ空き
部屋があったが、そのアパートにはエレベーターが付いていなかったため、「吉田はいつも
ネタを考えてくれたりして大変だから、せめて1階分の上り下りだけでも楽をさせたい」と、
小杉は自ら進んで5階を選択した。吉田はそのことに感謝しているという。

2008年7月現在、仕事などでコンビでタクシーに乗る際は、後部座席に二人とも座るのではなく、
助手席と後部座席に分かれて座っている。理由は隣同士座るのが飽きたからと、後部座席の
「こんもり」している所にどちらが足を乗せるかで揉めたので小杉が助手席に座るように
なった。しかしその状態でも普通に会話はする。助手席に座っている小杉の携帯のメールの
内容を後部座席に座っている吉田がのぞいたりすることもよくあるという。

タクシーのお金を払うのは毎回小杉だが、吉田はタクシーを先に降りても建物の中には
絶対に入らず、支払いを終えた小杉を待って、「(払ってくれて)ありがとう」と声を掛けて
から一緒に建物に入る。このエピソードを聞いたフットボールアワーの後藤は、
「そんなんなかなかできないですよ」と驚いていた。

2011年9月現在、吉田は一度もコンビを解散しようと思ったことはない。小杉は、
ブラックマヨネーズとして最初の単独ライブに向けた練習で、吉田からの指示が厳しく、
また日によってコロコロ内容が変わることに嫌気が差し、「このライブ終わったら解散しようかな」
と一度だけ解散を考えたことがある。しかし、吉田の指示通りにやったライブの受けが
良かったため、思いとどまったという。]


2010年結婚した小杉の夫人は、吉田からの紹介で知り合った。吉田と夫人が呑んだ際、
夫人が小杉のファンである事を知り、紹介したのがきっかけだった。夫人は小杉を
「竜にゃん」、小杉は夫人を「ポコにゃん」と呼び合う仲。 後輩のNON STYLE・井上曰く
「お姉ちゃん関係だと異常に仲良しになる」。


【受賞歴】

1996年 第17回 「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」香川登枝緒賞
          (吉田のみ。「ツインテール」時代)
2002年 第23回 「ABCお笑い新人グランプリ」新人賞
2002年 第37回 「OBC上方漫才大賞」新人賞
2002年 第17回 「NHK新人演芸大賞」演芸部門大賞
2003年 第32回 「上方お笑い大賞」最優秀新人賞
2005年 第5回 「オートバックスM-1グランプリ」優勝
2011年 第46回 「OBC上方漫才大賞」大賞



【パーソナルデータ:吉田 敬】

京都府京都市伏見区出身、京都市立日吉ヶ丘高等学校卒業。
京都府京都市伏見区において、当時京阪電気鉄道の運転士で藤波辰爾似の父親(定年退職後は
不動産業を営み、自著も出版している)と、それより7歳年下で美人看護師の母親との間に長男
として生まれ育った。自分より9歳年下の弟がいる。中学1年生まで家庭の事情で親元を離れ、
祖父母に育てられた。

現在の顔のひどいブツブツは、当時中学生だった吉田がニキビに悩み、通販で「ニキビを消す
ローラー」を購入し顔中にローラーをかけたのがすべての始まりであり、後に吉田を
一生苦しめることになる。

高校卒業後の2年間は大阪でフリーターとして生活しており、パチンコ屋の店員、古紙回収業者
などの仕事を10件ほどを渡り歩いた。19歳の時、無頼な日々を送る中、当時、流行していた
テレフォンクラブを利用して知り合った姫路の「よし子ちゃん」という内田裕也似の
66歳の女性と関係を持ったことで、「このままやったらあかん」と思い、それをきっかけに
漫才師を志す。

翌年、吉本総合芸能学院 大阪校に入学するが、この時、「アケミ」というキャバクラ嬢に
入れ込んでしまい、消費者金融に100万円もの借金を背負ってしまう。と同時に、首の辺りに
巨大な瘤が出来たため、本人曰く「本当に首が回らない状態」だった。後に、
借金を全額自力で返済し、瘤も切除した。

高校時代の同級生の和田義浩と共に「ツインテール」というコンビ名でデビューするも解散。
和田は現在では放送作家としてブラックマヨネーズのライブに携わるなどしており関係は
至って良好。

その後、実家の京都に一時帰郷するが、1998年に前々から組みたいと思っていた元
「関西キング」の小杉竜一と「ブラックマヨネーズ」を結成し、現在に至る。

ブツブツの強面故か、一見怖い人と勘違いされやすいが、実際はかなり繊細な神経の持ち主で気が
弱く、心配性。また、とても真面目で優しい性格であり、多くの後輩芸人に「よっさん」と
慕われている。
M-1優勝以前に、仕事や8ヶ月間無休のストレスが重なり本気で自殺を考え小杉・弟・親・
当時の彼女に当てた遺書を書いていた。
漫才の中では、吉田がネガティブで心配症のキャラクターだが、プライベートでも心配症。
ブラックマヨネーズとしての方向性などを決めているのは基本的に吉田の役割。結成当初、
吉田のツッコミに関する細かい指示に小杉は鬱陶しさを感じていたが、指示どおりにやった
ほうが客の反応が、良くなることに気づき、指示を受け入れるようになる。また、
小杉は吉田の番組や舞台に対する意気込みを、「お笑い根性がある」と評している。
小杉が結婚した際、婚姻届の証人になった。
上述の通り後輩からは慕われているが、無名時代は社交性に乏しく親しい先輩が殆どいなかった
(相方の小杉は、サバンナの高橋やたむらけんじから可愛がられていた)。そんな中、
陣内智則は吉田を非常にかわいがっており、大阪時代には多くのエピソードがある。
当時の大阪では、吉田の後輩だったロザンの菅広文が女性から圧倒的な人気があり、服装も
お洒落であった。しかし吉田は全くファッションに無頓着でいつも同じブルゾンを着ていたため、
見かねた陣内がクリスマスの夜に吉田を呼び出し、「これでちゃんとした服を買え」と
4万円を渡してジュンメンでジャケットを購入。それまで着ていたブルゾンは、ホームレスに
プレゼントした。この出来事の後、陣内は吉田に対し「俺に感謝してるか?感謝してるなら
その証拠に、お前のメールアドレスを変えろ」と要求し、吉田はメールアドレス変更を
余儀なくされた。アドレスには、陣内への感謝の言葉や、ジュンメンという単語が
散りばめられているという。
陣内が当時の彼女と食事をする際、吉田も同席することが多く、陣内は彼女から
「私と吉田さん、どっちが大事なの?」と本気で言われたことがある。
吉田は何かあるとすぐに陣内に相談しており、陣内は吉田の「兄さん、ちょっと聞いて
くださいよー」という声を聞くと、思わず顔がほころんでしまい、「僕のホンマの笑顔を
知っているのは、吉田だけかも知れませんね」と語ったことがある。

ブラックマヨネーズを結成した当初、スキンヘッドにしていたことがある。
M-1グランプリ優勝した当日に当時付き合っていた彼女に振られた。その数年後、その彼女から
結婚の報告が入った。



【パーソナルデータ:小杉竜一】

京都府京都市出身。京都府立桂高等学校卒業。
イジリに対する切り返しは「打てば必要以上に響く」と評され、共演経験のあるお笑い芸人や
スタッフからは「業界内では高い評価を得ているが、世間では小杉の凄さがあまり知られて
いない」と言われている。

フリートークでのツッコミは、ラジオ番組『ゴー傑P』で小籔千豊や笑い飯に「小杉がいるのと、
いないのとでは場の空気が変わる。あの人のツッコミがあると安心する」と賞賛されている。
『ロンドンハーツ』の企画「芸人リアル好感度調査」では同じM-1チャンピオンの
チュートリアル両名と、アンタッチャブル柴田英嗣から「(その実力が)羨ましい芸人」
に挙げられた。理由としては「ツッコミの速さと、言葉の選ぶセンスの良さ」など。

『アメトーーク』の人気企画である「芸人ドラフト会議」においても、第1回目から第3回目
まで全てドラフト1位で指名(第1回目はドラフト1位で重複)されている唯一の人物であり、
芸人からの評価の高さがうかがえる。

『しゃべくり007』出演時に相方の吉田よりNSC時代から「こいつツッコミめちゃくちゃ
上手いな」と思われており、当初別々のコンビだった二人が後のコンビ結成のきっかけになった。
吉田曰く「なんでやねん、の使い分けが巧みだった」。

生粋のツッコミ芸人である浜田雅功を尊敬し、彼のようなツッコミ芸人を目指していると
数々の番組で発言しているが、現在バラエティ番組での需要はボケに偏りつつある。

2009年4月18日放送の『土曜はダメよ!』の中で、藤井隆にマイケル・ジャクソンのモノマネを
無茶ぶりされた時に、とっさに出たものが代表的な持ちネタの「ヒーハー!」である。その後、
『もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ!』の企画「帰れま10」において、
「ヒーハー!」の文字とカウボーイ風男性のイラストがプリントされているTシャツが
1万枚限定で作られた。このギャグを本人はいたく気に入っており、様々な番組で使用、
爆笑を誘っている。このギャグをダウンタウン浜田雅功はあまり良くは思ってないらしく、
『ダウンタウンDX』などの、テレビ朝日系列局以外で共演すると必ずと言っていいほど、
「お前、テレ朝以外でヒーハー! 言うなよ」と釘を刺されてしまう。

25歳からタバコを吸い始めた。だが喉が痛くなったので、現在は吸っていない。
B'zのファンであり、特に稲葉浩志の大ファン。金属アレルギーにもかかわらず彼と同じ
ネックレスを着用したり、NON STYLE・井上に「稲葉さんに会わせてくれたら1億円やる。」と
本気で相談したほど。また、好きすぎるが故に稲葉の実家に行って「吉本で芸人をしていて
稲葉さんの大ファンです」と自己紹介し、稲葉家に歓迎された。その際、なぜか稲葉の実家に
自分のサインを置いて帰ってきた。
大阪のテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」の常連客
漫才中に集中力を無くすことがあり、女性の観客の胸元に目がいって、台本をきれいに一行
ずつ飛ばしたり、オチを先に言ってしまったりすることがある。
M-1グランプリ優勝の瞬間、吉田と握手を交わしている。これは2002年にますだおかだが
M-1で優勝を決めた際に握手をしていたのを見て、「俺もM-1で優勝したら、相方と握手しよう」
と思っていたから。
父親は失踪しており、父親との記憶があまり無い。また乗り捨てられた父親の車が発見された際、
車のドアが半開きだったため、半開きのドアが嫌いになった。
母親はダイエットの先生をしており、息子の体型が営業妨害になると言っている。


2010年11月12日、吉田の紹介で知り合い、約2年前から交際を始めた14歳年下の大阪府の
元歯科助手の女性と11月7日に婚姻届を出していたことを発表。同時に女性が妊娠4ヶ月で
あることも発表された。

2011年4月25日に、第一子となる男児が誕生した。

所属事務所:吉本興業
メンバー  :安達健太郎(1979年5月14日生まれ・AB型・ボケ)
        ボン溝黒(溝黒和昭和・1979年6月14日生まれ・O型・ツッコミ)

共に大阪NSC21期生、同期に天津、レギュラーなど。
元々はお互いに別々のコンビを組み大阪のbaseよしもとを中心に活動していたが
2003年に相次いで解散し、2003年に安達から声をかけカナリア結成し、同時に東京に
活動拠点を移した。なお上京したきっかけは、千原ジュニアの「お笑いやるなら大阪より
東京の方がいい、マクドナルドのアルバイトでも大阪より東京の方が絶対ええやろ」という発言に
納得したからだと語っている。しかし、上京後にジュニア本人にその事を話すと
「(同じマクドナルドなら)東京でも大阪でもマニュアルに従うだけ」と言われ落胆したと。
コンビ名は「カナリア」のほかに「ヘルメットキッチン」「ドラキュラーズ」という候補があり、
溝黒がフットボールアワーの後藤に話して決めてもらった。 ボケ担当が安達でツッコミ担当が溝黒と
なっているが、安達曰く「安達がボケ・ツッコミ担当で溝黒はユニーク担当」。
そのためか、ネタは安達の方が「もうええわ」と言って締める。

ボンが一時期全然ウケなくてかなり悩んでた時期があり、悩んでるボンに対して安達が
「なんや悩んどるけど、ほんとに好きなように、やりたいようにしてくれればいい。ボンは
スベってさえくれればええねん、スベってさえくれれば俺がそれをいじってどうとでもしたるから」
と言われ、ボンはそれでいいんだーって思い、それから笑いを取ろうと思わずに好きなよーに
やれるようになり、次第にちらほらウケるようになった。

あまりに遅刻の多いボンに対して、安達が目覚まし時計を10個買うように命令したが、5個まで
しか揃えなかった。そこで安達は目覚まし時計はもういい、次遅刻したら5万円払えと命じた。
さすがに5万円だったら遅刻しないだろうと思っての提案だったがそれでもボンは遅刻し
結局5万円払うことに、安達はその5万は使わずにとっておく、この先1年遅刻しなかったら
この5万円を返すと言ったが、それでもまたボンは遅刻し、もう5万円払うことになった。


ネタは主に漫才で、安達の歌唱力を生かしたネタが多い。
有名占い師のゲッターズ飯田に2010年のM-1は決勝に行くと言われ、その通り決勝進出した。
結果が9位に終わった、これについて放送作家の倉本美津留はネタ選択を誤ったと言っている。


【受賞歴】

2010年 M-1グランプリ9位



【パーソナルデータ:安達健太郎】

大阪府大阪市生野区出身、奈良育英高校卒業。
実家は『安達電気商店』という電気店を経営しており、姉が1人いる。
子供の頃の憧れの職業は「お笑い芸人」と言うほどお笑いが好き。


現在は体が弱いらしく、すぐに吐くのでスポーツも嫌いになった。またタートルネックを着ると
えづいてしまう。 部屋の模様替えしている際に痛めて椎間板ヘルニアになり、今でも時々腰痛に
悩まされている。本人いわく、朝起きたときの空気でその日の腰の具合がわかるらしい。


体質的にも動物アレルギーなど抱えるほど病弱だが無理をすることが多く、医師から軽症の腹膜炎と
診断された際「我慢出来なくなったらもう一度診察受けに来て」と言われたが、我慢できなくなり
再診した時には「数時間遅れれば命に関わっていた」ほど重症化していて緊急手術になった。

食べても太らない体質で、軽かったときで48kgしかなかったことがある。「ロケット鉛筆」と
自称していたが、2009年ごろに、本人いわく面白ボディを手に入れた(少しお腹が膨らんだ)。
しかし、相方に「リアルで笑えない」とツッコまれていた。また酒好きでもあり同時に強いが、
2009年に無理をしすぎて急性肝炎で緊急入院した。本人曰く
「酒の飲み過ぎで肝臓がバカになったため」。LIVE STAND最終日のエンディングに体調不良で
医務室に行った際、黄目になっておりすぐ医者に行くように言われた。その後診察の結果、
肝臓の数値が通常40~50くらいのところ、2000であったと医者に告げられたらしい。
さらに自宅療養が必要とのことで、同年8月7日まで仕事を一時休業。
そのため参加予定であったライセンス全国ツアー LICENSE vol.ZEPP ENJOY!!〜grow up 2009〜
福岡・名古屋公演、AGEAGELIVE等は不参加。

他にも閉所恐怖症で狭いところに入るとパニックに陥る。CTスキャンでもパニックになったらしい。
また尖端恐怖症(先端恐怖症)でもある。

「Adachilids」という、芸人で構成されたアイドルグループをプロデュースしている。
メンバーはブロードキャスト・吉村、御茶ノ水男子・しいはしジャスタウェイ
、マヂカルラブリー・野田クリスタル、ミルククラウン・ジェントル、パンサー・向井と尾形
(菅もオーナーという立ち位置でAdachildsに携わっている)、ジャングルポケット・太田。
メンバー全員がパンツ一丁という出で立ちをしている。



2011年10月28日に交際していた年上の一般女性と結婚。




【パーソナルデータ:ボン溝黒】

大阪府大阪市阿倍野区出身、大阪府立阿倍野高等学校卒業。
本名 溝黒和昭。
実家が「洋菓子ボストン」を営んでおり、ボストンからとって芸名をボン溝黒とした。
髪の毛は天然パーマ。
相方と同じく、尖端恐怖症(先端恐怖症)である。
麒麟の川島の家に居候していたが、18万円の新品の洗濯機の中に入り壊したり、
番組のトップ賞でもらった1個1,000円のみかんをすべて食べてしまい家を追い出された。
キングコングの梶原に彼女を略奪された事がある。

天然ボケ。フットボールアワーの後藤曰く、人をいらいらさせる達人。
歌舞伎町で拾った「テト」という猫を飼っている。
ロケのバイク事故で頭を打ち、3日間意識を失って入院した。本人いわく「三途の川をみた」。
アイドル好きでAKB48、SKE48、ももいろクローバーZ、私立恵比寿中学などのイベント、握手会にも出没している。
AKB48は小森美果推しで、年収の半分をAKBにつぎ込む。

仲の良い芸人はアームストロング安村、ミルククラウンジェントルなど(オタク仲間)

相方の結婚式では号泣しながらスピーチした。

東京の芸人は「ボン」「ボンちゃん」「ボンさん」と呼び、大阪の芸人は「溝黒」と呼ぶ。


所属事務所:吉本興業
メンバー:盛山真太郎(1986年1月9日生まれ・O型・ツッコミ)
     リリー  (1984年6月2日生まれ・O型・ボケ)
所属事務所:吉本興業
メンバー :ゴリ(照屋年之 1972年5月22日生まれ・A型・ボケ)
      川田広樹(1973年2月1日生まれ・A型・ツッコミ)


2人は中学時代の同級生。中学3年の夏、川田が沖縄県立松城中学校に転校してゴリと同じクラス
となり出会う。役者志望だったゴリが日本大学芸術学部在学中に友人に「面白いからお笑い
やればいいのに」と言われたひと言がきっかけでお笑いをやろうと思いつき大学を中退し、
当時沖縄にいた中学生の時の同級生の川田広樹を誘いガレッジセールを結成する。

1995年、東京吉本総合学院(東京NSC)第1期生への入学を希望するが、すでに入学受付は終了。
ゴリが雑誌で渋谷公園通り劇場の存在を知り「芸人にしてほしい」と申し入れるが、
芸人養成はしていないと断られる。その時偶然見つけた「ボランティアスタッフ」を知り、
無給にて月曜から金曜まで1日15時間を劇場のスタッフとして働く。

無給で働く条件として「本番中だけ芸の勉強をしたい」と要求し、先輩芸人の芸を勉強しながら
雑用や会場作り、客の呼び込み、当時劇場で活躍していたココリコロンドンブーツ1号2号
芸人を楽屋からステージまで誘導、といった仕事をしていた。

初舞台はボランティアスタッフになってから数ヵ月後であった。カルト芸人トーナメント
『続・やけど温泉』に参加し準優勝する。それが認められ、渋谷公園通り劇場の第1号芸人と
なる。

初舞台からが芸歴の始まりとカウントされるため、東京NSC第1期生である品川庄司は
ガレッジセールのことを先輩として接している。大阪NSCでは13期と14期の間にあたり、
ブラックマヨネーズに対してはデビュー年は同じだが、ブラックマヨネーズが数ヶ月先輩に
あたるため、タメ口交じりだが敬語で接している。

コンビ名は「ガレージセール(自宅車庫を即席の店舗にして、家の不用品を通行人に売る)
のように、気軽に売り出せる笑いを」の思いを込めて、渋谷公園通り劇場の作家に命名して
もらったものである。当初は「ガレージセール」であった。しかし、2人は当時、
「ガレージセール」が言いにくく、最初の「ー」の部分を「ッ」に変えたら言いやすかった
という事から、現在の「ガレッジセール」になった。ただ、反抗の意味がないというわけでも
ない。ボツになった芸名としては「さとうきび畑でつかまえて」「具志堅ようこそ」がある。

ロンドンブーツ1号2号が司会の『ロンブー荘青春記』(日本テレビ系)に出演。ちなみに
川田・ゴリ共、『ロンブー荘』出演時は“年齢は共に19歳”という年齢詐称をしていた。
この番組内で田村淳が本名で活動していた照屋を「ゴリ」と名付け、そのまま芸名と
して使うようになった。

その後、笑っていいとものレギュラーを勝ち取り、ワンナイR&Rにもレギュラー出演し大ブレイク。
自分たちの冠番組をもてるまでに成長した。今は「ゴリエ」と「川ちゃん」という、
『ワンナイR&R』の番組から生まれた2人のキャラクターが人気を集めた。出身地の沖縄が
舞台のNHK連続テレビ小説『ちゅらさん』にも2人で出演していた。


本来はショートコントが持ちネタであり、現在でもルミネtheよしもとなどの舞台で披露して
いる。2002年ごろまではテレビ番組でも登場時にネタのブリッジである「エンダンス、
エンダンス、エンダンス、エンダンス、エンダンス、ダンス、ダンス、ダンス、
エンジョイプレイ」を行っていたが、テレビではほとんど披露することはなくなった。

2009年に沖縄県で開催された沖縄国際映画祭において、沖縄PRへの貢献などを認められ、
『美ら島沖縄大使』に任命される。2月27日に沖縄県庁で認証式が行われた。



【パーソナルデータ:ゴリ】

本名:照屋年之
沖縄県那覇市出身、沖縄県立首里高等学校卒業、日本大学芸術学部映画学科中退。
沖縄県那覇市で本土復帰の1週間後に生まれた。3人兄弟の末っ子。
両親はダブル不倫がきっかけで結ばれた。父親は非常に女癖が悪く、名護市に自身が経営して
いる店にアルバイトで入ってきた女性と住むための家を建てたこともあった。
小学校時代は大阪市で育った。小学校5年生の時に沖縄へ戻るが、両親と離れて暮らしていた為
に馴染めず、後の不良行為への一因となる。

1995年、川田広樹とガレッジセールを結成。同期はフットボールアワーなどがいる。当初は
本名で活動していたが、事務所の1年先輩であるロンドンブーツ1号2号の番組をきっかけに
芸名を「ゴリ」にする。名づけたのは田村淳。

私生活では2002年に結婚した。翌年には子供が生まれ、さらに相方の川田広樹も結婚し、
おめでた続きであった。
2005年12月31日、『第56回NHK紅白歌合戦』に「ゴリエ」のキャラクターで歌手として紅組で出場。
ブレイクダンスが得意であり、『めちゃ×2イケてるッ!』ではナインティナインの岡村隆史と
ブレイクダンスで争った。また、沖縄好きの岡村に沖縄のことをいろいろ情報提供する間柄でもある。
沖縄が舞台のドラマなどに多く出演しており、郷土愛が強い。
芋焼酎が好物。よく飲む銘柄は『黒霧島』(霧島酒造)。
最近では料理に凝っている[1]。紀里谷和明の薦めでカメラを始めた。

沖縄時代のゴリは相当の不良でならしたことで有名。友人五人と深夜スーパーマーケットに
侵入して、アクション映画さながらの警察との捕り物劇を繰り広げた経験があると、自ら
公共の電波で発言している。しかし学校の先生の必死の指導と、周囲に謝罪する母の涙を見た
ことにより改心した後は勉学に励み、県内でもトップクラスの進学校と日本大学芸術学部に
進学するまでに成長した(ちなみに、この経緯が沖縄県教育委員会で『照屋年之君の更生の
記録』として小冊子となっているらしいが、実物は確認されておらず真偽は不明である)。
ゴリ自身も、那覇市立松城中学校卒業時に校長先生の計らいによって、全校生徒の前で
中学時代の一連の経緯を綴った作文を朗読させられ、読み終えた瞬間、その場にいた全員から
割れんばかりの拍手を送られたという。

「人生の転機に影響を与えられた人」の中で芸能界入りのきっかけは、大学受験を目指し、
上京して勉強していた時に当時同じ下宿に住んでいた羽村さん(現在NHK職員)に「将来何に
なりたくて勉強してんの?」と聞かれ、その時とっさに出てきた「俺、役者になりたい」の
言葉からと答えている。
東京に出てしばらくは方言ネタを封印していた。




【パーソナルデータ:川田広樹】

沖縄県那覇市出身、沖縄県立真和志高等学校卒業。

『ガレッジセール』以前にも一度別の人物とコンビを組んでイベントなどに出場した。
また沖縄のお笑いコンテストで準優勝した事もある。ブレイクダンスもゴリに匹敵するほどで
あり、運動神経抜群で、学生時代はバレーボール部に在籍していた。
性格は控えめだが、かなりの天然ボケである。

バイクが趣味でオフロードバイクで階段を上ったり降りたりできるほどのバイク好き。
趣味は釣りである。
売れない時期はロンドンブーツ1号2号の田村亮の自宅に住んでおり、2000年にバイク事故で
田村亮が両腕を骨折した時には生活全般すべての世話をしていた。
2003年に大阪出身の女性と結婚し、2005年11月には娘、2008年に息子が生まれた。

2009年8月28日のいいはなシーサーにて、8年ほど前に芸人を辞めようと思った事があると告白。
うつ状態のようになり浮き沈みが激しくなり、対人恐怖症で人に会うのが怖くなった。
相方のゴリが、心配して目が放せない状態になり、仕事が終わると自分の部屋で食事や酒を
飲んで一緒に過ごし、毎朝バイクで川田の家まで迎えに行くということをしていた。

圧倒的なキャラクターを持つゴリを相方に持つため、「じゃない方芸人」として
『アメトーーク!』に出演し、自身の目立たないエピソードを披露した。
所属事務所:吉本興業
メンバー :ジェントル(1982年2月17日生まれ・O型・ボケ)
       竹内健人(1980年8月8日生まれ・A型・ツッコミ)


2人の出会い東京NSC。7期生で同期にLLR、クレオパトラ、もう中学生らがいる。
NSC在学中よく同期のクレオパトラ(当時はクールダウン)と4人で遊んでおり、ジェントルの相方が
夜逃げし互いにピンになった際、長谷川と桑原の助言によりコンビを結成した。
コンビ名は竹内が命名。何でもいいから何かに「ミルククラウン」と名付けたかったという。
コンビ結成のきっかけは「NSCからの帰り道が一緒だったから。」と話すこともある。
初舞台は渋谷シアターDのライブで、それに合格してルミネの初舞台に立った。
一年目の時、当時のゴングショーの最短記録を更新して合格した。
ロシアンモンキーの中須に、「時代が時代だったら、お前らもはんにゃのように売れていた」と
言われた。
新宿東口のJRみどりの窓口前で二人で殴り合いのけんかをしたが、二人とも喧嘩をしたことが
なかったためさわやか三組のような喧嘩になってしまう。最終的に近くにいた大人な男性に
笑いながら「まあまあ」と止められた。そのことについてエリートヤンキー西島などは「
ただじゃれているだけ」と言っている。
喧嘩のあと、仕事で一緒だったケチで有名なあのピースの綾部がファミレスで奢ってくれたらしい。
楽屋などで二人きりの時でもべったり竹内にくっつくジェントル、嫌がる竹内は苦肉の策で、
その場にいるいちばん偉い人の名前を「○○さ~ん、○○さ~ん」と叫んで助けを求める。



【パーソナルデータ:ジェントル】

本名:菊地正和
北海道札幌市出身(古宇郡泊村生まれ)。北海道札幌白石高等学校卒業。
ジェントルという名前は、高校のサッカー部のコーチがつけた。由縁は「挨拶がちゃんとできたから」
「サッカーのプレイが紳士的だったから」と話している。
高校卒業後、とにかく芸能人になりたくて音楽専門学校に入学したが、周囲との温度差を感じ中退。
その後オーディションを受けまくり俳優事務所に入りデビューも決まっていたが、ある日レッスン前
に披露したひとり漫才がウケたことを切っ掛けに芸人を目指す。
一人でNSCに入るのが嫌だったため、当時大学に通っていた高校時代の友達を「授業料は俺が払うから」
と言って誘い、同居しながらバイトをしまくりコンビを組んだが、在学中のある日、ネタ見せの授業に
「先に行ってて」と言われNSCに行き、帰って来ると、その友達が家電製品ごと居なくなってしまった。
その後竹内と組むまでは「ジェントル」というピン芸人としてシューレスジョーのような一人コントを
やっていた。(LLR伊藤は当時のネタのファンである)

相方の竹内の事が大好きで、会えない日には相方に出来事などを電話で伝えている。ツイッターの
アイコンを相方の竹内にしている時もある(定期的に変更)
「ジェントルは皆のものだけど、竹内さんはジェントルのもの!」と発言している。
セガのアーケードゲーム『ネットワーク対戦クイズ Answer×Answer』が好きでプレイしていたら
関係者に話しかけられ、雑誌の取材やゲームの問題にもなった。また、アミューズメントマシンショー
のセガブースのステージで行われたAnswer×Answerのイベント司会を勤めたり、ゲーム内のイベントに
参加したりしている。
また、ネットワーク対戦クイズ Answer×Answerとオリコンのタイアップ企画の中でも番組進行の
役目をしている。ウイニングイレブンの大ファンでそのプレーは吉本興業の中でもトップクラス。
サッカー審判の四級と英検三級を持っている。
AKB48、YUKI、ももいろクローバーZのファン。推しメンは渡辺麻友、柏木由紀。
先輩である次長課長を尊敬しており、一時期は出演番組をすべて録画していた。
平成ノブシコブシの吉村に気持ち悪いくらいかわいがられていた。(相方竹内談)
カナリアの安達健太郎がプロデュースするアイドルグループ、「Adachilds」に所属している。
見た目とは裏腹に、実はキレやすい。



【パーソナルデータ:竹内健人】

愛知県半田市出身。愛知中学校・高等学校卒業。愛知学院大学中退。
性格は自他共に「抜群に暗い」と認めている。他人と一緒にいることが苦手だが。恋人には依存する
ため寧ろずっと一緒にいたいらしい。
幼稚園~NSC、さらにブログに渡り、度々登校拒否癖が出る。
中学二年生でいじめにあったため、中学三年生で不登校になった。
大学中退後、引き篭もりながらローソンでバイトをしていた。バイト代は全てインターネットで
洋服を買うことに注ぎ込んでおり、当時はお洒落にしか興味がなかったという。
その後二十歳を越えて「このままではやばい」と感じ、昔から興味があった芸人を目指しNSCに入学
するが、結局不登校になり卒業公演にも出なかった。
お年玉争奪トランプ大会が開催されるなど、家系がギャンブル好き。特に競艇が好きで、池田浩二
選手のファン。また、ロシアンモンキー中須とともに、競艇の公式サイトでの初心者ムービーに
出演している。

頭の形が悪く、良い美容師に巡り会わないため、ジャングルポケットの武山に切ってもらっている。
黒夢が好き。
中学時代にメイクをする、スネ毛を剃る等の女装癖があった。「女の子が大好きすぎて、女の子に
なりたかった。女の子だけの世界に行きたかったから」との事。男子高出身だが高校生当時も教室で
女性ファッション誌を読んでいた。女物の服を洗濯に出したりといった兆候が見えても両親は何も
言わなかったが、ある日自室の机に父親が自分の(女物の)服を着てポーズをとっている写真
が置いてあり、それをきっかけに女装をやめた。
空手は初段を持っているが、なんだかぬるぬるした形をしている。小学校時代は油絵を習っていた。
しばしば自分の顔を「こけし」と言い表している。相方のことは「フランス人形」と言い表す。

ライスの関町の事がかわいくて仕方ない。
仲が良い芸人はLLR福田、ロシアンモンキー中須、アームストロング栗山など。
所属事務所:吉本興業
メンバー :関町知弘(1983年3月2日生まれ・O型・ツッコミ)
       田所 仁(1982年10月28日生まれ・B型・ボケ)


高校の同級生で、高校生の時にホリプロのオーディションに合格していたが進学を理由に断念。
大学在籍時にオーディションに合格しNSCへ入学、2人そろって大学を中退した。
NSC9期生で同期にしずるエリートヤンキー囲碁将棋ゆったり感ジューシーズハリセンボン等。

高校1年で同じクラス、2人が通っていた学校は女性が少なく関町はみんなの人気者だった。
仁は不器用な性格の為、馴染めなかったがこのままではダメがと思い、仁から関町にPHSの
番号交換をお願いした。その為、最初は関町の方が優位な立場にったが、だんだんとメッキが
剥がれて、現在の状況に落ち着いた。
今でも2人きりで映画に行ったりできるほど仲が良い。

2人とも都内で実家暮らし。




【パーソナルデータ:関町知弘】

東京都出身、東海大学中退。恵比寿在住。
芸人になる為に大学を中退したが、最初は復学することもあり得ると思い休学にした。
母親が美容師で髪の毛は母親に切ってもらっているが、元美容師のジャングルポケット武山に
言わせると、関町の母親のカットは下手らしい。

先輩芸人からかわいい、と言われることが多い。(グランジ佐藤大、ミルククラウン等)
しずる村上、ジューシーズ児玉、グランジ遠山、犬の心押見と仲が良い。

【パーソナルデータ:田所 仁】

東京都大田区出身、東海大学中退。蒲田在住。
ネタは田所が作成。
家がリサイクルショップを経営している。
パチスロが大好きで、バイト中もスロット雑誌ばかり読んでいた。もう少しファッション雑誌も
読んでおくべきだったと後悔している。
相方の関町の事をかわいいと思っているが、相方がかわいいというのはおかしいかな、と思い
控えていたが、最近では他の芸人がかわいいと言ってるのに便乗してかわいいと言っている。
滑舌が悪く、特に「ラ行」が苦手。先輩芸人のLLRが言えない。
しずる池田と非常に仲が良く、池田宅の合鍵を持っている。バイト先も一緒だった。
他に仲の良い芸人はジューシーズ松橋、アームストロング栗山、LLR
LLR福田はスロット仲間で、LLR伊藤は一緒に映画を見に行く仲。

人志松本の○○な話の「ゾッとする話」に出演することが決まった時、開口一番に
「出演が決まってから謎の震えが止まりません」というコメントを予め考えておいた。
所属事務所:吉本興業
メンバー  :後藤輝基(1974年6月18日生まれ・B型・ツッコミ)
        岩尾 望(1975年12月19日生まれ・B型・ボケ)


2人の出会いはNSC、元々は別のコンビで活動していたが、お互いにコンビを解散して
フットボールアワーを結成。お互いの事を意識していたが、なかなかコンビを組もうとは
言えずにいたところ後藤が誘う形でコンビを組むことになった。後藤が岩尾を誘った時の
岩尾の返しが「別にええけど・・・」だった。
その際、岩尾は先輩芸人の陣内智則に相談し、「組みたい相手がいるならすぐに言った方がいい」と
アドバイスを受けた」ちなみに後藤も先輩である次長課長の河本に、岩尾と組みたいと思っていると
相談したが、河本からは「二人とも我が強いのでうまくいかない」と反対されていた。
フットボール以前のコンビでは二人ともボケだった。

NSC14期生。
ネタは二人で作成、台本は文章で書くのではなく、単語だけを書いている。
後藤は楽屋で岩尾と二人きりになるのが苦痛で、若手がいる大部屋に移動したりする。


【受賞歴】

2000年 ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞
2001年 NHK上方漫才コンテスト優秀賞
2001年 M-1グランプリ6位
2002年 NHK上方漫才コンテスト最優秀賞
2002年 上方漫才大賞優秀新人賞
2002年 上方お笑い大賞最優秀新人賞
2002年 M-1グランプリ2位
2003年 MBS新世代漫才アワード優勝
2003年 上方お笑い大賞話題賞
2003年 M-1グランプリ優勝
2004年 上方漫才大賞
2004年 上方お笑い大賞最優秀技能賞
2006年 M-1グランプリ2位



【パーソナルデータ:後藤輝基】

大阪市東淀川区出身、大阪府立山田高等学校卒業。
一人っ子で母親に溺愛されており、後藤自身も親孝行をよくしている。
M-1の賞金で家をリフォームしたり、母親にモノをねだられれば何でも買い与えている。
今まで買い与えたものは洋服、家電製品、犬の他に目を二重にする整形費用も出した。
趣味、特技はギター、ハーモニカ、料理で、後輩を自宅に呼んで料理を振る舞うこともある。
子供の頃は実家が貧乏でおもちゃを買ってもらえなかった為、ミニカーや超合金を
集めており、相当な額をつぎこんでいる。
禁煙を試みたが失敗。
運動神経が恐ろしく悪い。
わかりやすくかつ的確な例えツッコミで注目を集めており、『スマートツッコミ』と称されている。



【パーソナルデータ:岩尾 望】

大阪府大阪市東住吉区出身、関西大学卒業。
両親は共に京都大学卒業で教師をしている。
一人っ子。愛称は「のんちゃん」
アイドルが大好きで特にBerry’s工房の大ファン。
洋服が大好きで、ツイッターでもファッションに関するつぶやきが多い。
子供の頃は明るい少年だったが、小学校高学年頃から周囲に敬遠され始め、高校時代には
一人も友達がいなかった。
未だに人見知りで、楽屋で過ごすのが苦痛で空き時間はなるべく外に出ていく。
街中で先輩にあっても気付かないフリをして通り過ぎようとする。
倹約家で、相方が引くぐらいの預金をしているらしい。
ドラゴンアッシュの降谷建志と親交が深く、結婚式にも出席した。
吉本ブサイクランキングで3年連続1位になり、殿堂入りを果たした。
髭や体毛が濃く、そのことをいじられるのが本気で嫌だという。




所属事務所:吉本興業
メンバー :田崎佑一(1981年1月29日生まれ・O型・ツッコミ)
       藤原 時(1984年12月6日生まれ・O型・ボケ)




【パーソナルデータ:田崎佑一】


兵庫県神戸市北区出身。O型。
神戸市立有野中学校卒業、神戸市立神港高等学校卒業。学生時代は生徒会長も務めた。宝塚造形芸術大学卒業。
過去にお笑いコンビ「エージェント」として活動し、解散後はピン芸人「田崎ソムリエ佑一」と名乗っていた。
父親は西宮市にある市立病院のレントゲン技師長。母親は元看護師。妹は西宮にある保育所の保育士。
ジャグリングが得意。
風格からか「お父さん」といわれている。
舞台での格好はジャケットにTシャツ。持っているTシャツはよく「おかしい」といじられる。よく「VOLT」や「THIS THIS THIS AND THIS」と書かれたTシャツを着ている。最近では自分でもネタにしている。


【パーソナルデータ:藤原 時】

大阪府寝屋川市出身。O型。
寝屋川市立第十中学校卒業、大阪府立城東工科高等学校卒業後、大阪NSC入学。
過去に「藤原トキ」の名でピン芸人として活動していた。
川原克己(天竺鼠)と仲がよい。
中高と野球部に所属していた。2009年に囲碁を習い始めた。
寝坊癖があり、よく遅刻してくるらしい。
所属事務所:吉本興業
メンバー :坂本純一(1983年6月7日・AB型・ボケ)
       福井俊太郎(1980年8月18日・O型・ボケ)
       宮戸洋行(1984年8月29日・AB型・ツッコミ)


2006年3月結成。出会いは大阪NSCで27期生にあたる。
元々坂本と福井がコンビを組んでおり、そこへ福井が加わってGAG少年楽団を結成。
坂本と福井のコンビは価値観が違うという理由であった為、GAG結成してからも
しばらく2人の仲は険悪であった。


【パーソナルデータ:坂本 純一】

広島県出身。
趣味は煙草を吸うこと。
中学、高校とバスケットボール部。細かったため太ると思って始めたのに、逆に疲れすぎて
食べられなくなったらしい。現在もガリガリの細身である。
裸で寝る癖がある。
福井とマンションで同居している。
メンバーで唯一関西出身ではなく、ネタ中は標準語を用いることが多い。
何かを聞かれても「言わんよ!」と返す持ちギャグがある。


【パーソナルデータ:福井 俊太郎】

兵庫県高砂市出身。
趣味はサイクリング。
特技は縄跳び。
中学時代はバレーボール部のキャプテン。
「だぜギャグ」というのがある。
ネプチューンを尊敬しており、お笑いをやるなら絶対トリオでやると決めていたほど。
坂本とマンションで同居している。


【パーソナルデータ:宮戸 洋行】

大阪市天王寺区出身。神戸大学中退。
趣味はボウリング。人のフォームを見ただけで、その人のスコアがわかる。またボウリングの球を
作ることができる。
中学時代はサッカー部所属。
神戸大学中退。
幼少期は近所で有名なほど可愛い顔立ちで、おむつのCM最終審査まで残った経歴がある。
眼鏡をかけ始めてから前歯が出て髪の毛がうねり出した。
TSUTAYAで長年バイトをしていたが「シフトに入る量が少ない」という理由でクビになる。
「2009年base1のブサイク」になった。
実家は花屋である。本人も中学1年生までは家業を継ぐ意思があったが、中学3年生になると一変、
「ゆずや椎名林檎のように、曲や詞を書ける歌手になりたい」と作文に書いた。
犬の心の押見泰憲に容姿やメガネなどキャラがかぶっているなどと言われている。


所属事務所:吉本興業
メンバー:川原克己(1980年1月21日生まれ・A型・ボケ)
     瀬下豊 (1979年7月29日生まれ・A型・ツッコミ)



高校時代、学校自体は別であったが互いにライバル校の野球部員として出会ったのがきっかけで
交友関係が始まる。高校卒業後、お笑い芸人を目指し、2人で大阪に出てきた。
20歳のとき、色々経験しておいた方がいいという川原の提案から、一旦コンビを解散。
川原は鹿児島で大工、瀬下はお金を稼ぐため歌舞伎町でホストをしていた。
ちなみに大工時代、川原はロン毛だった。その後、大阪で再会した2人は一緒に大阪NSCに入学。
大阪NSC26期生で、同期にかまいたち藤崎マーケット等。
コンビ名は、「天竺鼠」というのが「モルモット」であり、「モルモット」は科学実験に用いられる
というイメージから「未来を担う」コンビになるように、と付けられた。
当時、2人はともに生活をしており、毎朝明け方から同じ市場でのバイトに出ていた
(市場での持ち場は瀬下が魚屋、川原が八百屋)。瀬下は店長から信頼されていて相当仕事を
任されていた(番頭にまで昇進し、社員になってくれないかと頼まれていた)が、川原は、
力仕事ばかり任されていたらしい。この市場には、八百屋長者芸人として(一部から)
名高い土肥ポン太も時折買い付けに訪れている。仕事が一緒になることがあり、
土肥と川原が何か話しているなと思っていたら、「何の野菜が安いか」という話で盛り上がって
いたらしい。そんな縁から、2人ともポン太軍団に入っている。
2人とも武智正剛(スーパーマラドーナ)が元ヤンの芸人ばかりを集めた武智軍団に属している。



【受賞歴】

2007年 BGO上方笑演芸大賞新人賞
2008年 キングオブコント6位
2009年 ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞
2009年 BGO上方笑演芸大賞イベントタイトル賞
2009年 キングオブコント7位



【パーソナルデータ:川原 克己】

鹿児島県大崎町出身、尚志館高等学校卒業。
左利き。
好きなアーティストは長渕剛。
市場でのバイトとネタ合わせなどで寝る暇がなく、市場のバイトを始めた6年前から横になるだけで
眠っていないと言い張っており、このエピソードから、
「眠た~い!○○(ベッド、砂利道など)で横になって寝た~い!」と大声で叫ぶネタが生まれた。
ピンでは革ジャンにパッチで頭に茄子のかぶりものをするキャラでネタをすることが多い。
口癖は「もっふんにょ」。時々、玉ねぎ、ズッキーニのかぶりものもかぶる。
山内健司(かまいたち)、藤原時(藤崎マーケット)などと仲がよい。しかし何故か、あらゆる場で
山内死亡説を流す。
瀬下と同じケンカグループにいたものの、仲間からはお笑い担当という扱いでケンカを免除されて
おり、常に後ろでヘラヘラしながら見ていた。その光景から、周囲に「妖怪のようなケンカを
するのではないか」と恐れられていた。

のどちんこが2つあるため、ハート形に見える。
20歳のときはチャラかった。
大の絵本好きで、数多くの絵本を収集している。特にお気に入りなのは谷川俊太郎が文、
大竹伸朗が絵を担当する「んぐまーま」という作品。
醤油やケチャップ、ドレッシングなどが苦手。理由は「濡れるから、びしょびしょになるから」。
耳にピアスの穴を開けている。
猫好き。2012年現在、自宅で3匹飼っている。




【パーソナルデータ:瀬下 豊】

鹿児島県鹿屋市出身、鹿屋工業高等学校卒業。
双子の妹がいる。
昔は凶悪なヤンキーで、ケンカには相当の自信があるらしく、本人曰く「小さい熊なら勝てる」。
小学校の時に転校した学校でイジメに遭い、イジメの主犯格の生徒と喧嘩をして勝ったことが
きっかけでヤンキーとなる。

ブログで知り合った岩手の女性と2ヶ月間の交際を経て、2007年9月26日に結婚。
同年4月17日には長男が誕生。その後、娘も生まれた。
嫁との出会いはたまたま嫁のブログの写真を見た瀬下が一目ぼれをして、コメントするなど
して交流をするようになり、やがて遠距離恋愛に発展した。

東京でホストをしていた時は毎日が辛くてしょうがなかった。
“ショータイム”が特に大変だったという。歌う人、ダンスする人などさまざま。瀬下は1人で
「ネタというか漫談というか、そういうのやってました」。そこで初めてネタを書いてみたが
行き詰まった。たまらず遠距離の相方に「なんか、面白い話ないか」と電話した。

「僕が書いたネタは普通の物語みたいで、ボケもなにもなくて。だから、それを知る機会でも
ありました。もうひどいもんスよ。歌舞伎町でスベッタ気持ち、わからないでしょ!」

ネタは相方が書く方がいいと、歌舞伎町が教えてくれた。

ショータイムにホスト仲間と2人で立つこともあったが「そのとき、オレはボケじゃないな。
ツッコミやわ、って思いましたね」と語っている。

所属事務所:吉本興業
メンバー :瀬戸洋祐(1982年12月28日生まれ・A型・ツッコミ)
       ウーウェイよしたか(仲村 吉高・1982年8月7日生まれ・A型・ボケ)


2人は幼馴染で中学、高校と同じ野球部に所属していた。
NSCには通っておらず、オーディションで吉本興業へ入った。
同期にはイシバシハザマ、モンスターエンジン大林、東京NSCの7期生ら(LLR等)



【受賞歴】

M-1グランプリ2007・2009準決勝進出
2008年第29回ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞受賞
2008年第38回NHK上方漫才コンテスト決勝進出
2009年第24回NHK新人演芸大賞演芸部門受賞
2010年第45回上方漫才大賞新人賞
第8回MBS新世代漫才アワード優勝
所属事務所:マセキ芸能
メンバー:升野 英知(1975年11月28日生まれ・A型)


もともとはバカリズムというコンビで活動していたが、相方が別の職業に就きたいと言い
相方は脱退という形になり、升野が一人でバカリズムとして活動していくことになった。
極度の人見知り、休みの日はあまり外に出ない。
以前、バナナマンの日村と同居していたことがあり、日村からは「ヒデ」と呼ばれている。


福岡県田川市出身。飯塚高等学校、日本映画学校(現・日本映画大学)俳優科卒業。

元々バカリズムは、1995年から2005年まで活動していた、升野と松下 敏宏(まつした としひろ)
のお笑いコンビの名称だった。
コンビ解消後、升野がコンビ名をピン芸人の芸名として引き継ぎ、現在のバカリズムとなるが、
同じくコンビからピン芸人になったビビる大木やカンニング竹山のように「バカリズム升野」
の表記をされることもある。なお、俳優として活動する際は本名を使うことが多い。

極端な人見知りで普段は非常におとなしい。おっとり型で物腰も柔らかく、礼儀正しい。
両利きである。ペンなど筆記用具は両方使えるが、野球のバッティング、ボウリング、ダーツの
際は左手を使う。普段はおとなしいが、体育会系の野球部に所属していたため先輩・後輩の
上下関係に厳しく、先輩をかばったり後輩に説教する際には武闘派に転じる。
酒がまったく飲めない。
男子校でずっと野球に打ち込んでいたため、「甘酸っぱい思いがしたい」との理由で、専門学校に
入ろうと思い調べていたところ、日本映画学校を見つける。ウッチャンナンチャンが卒業している
ことを知り、入ればもしかしたらお笑い芸人になれるかもと思い始める。

通常、お笑いグループを解散あるいは活動停止にする際、「××(コンビ名)○○(個人名)」
(例:ビビる大木、カンニング竹山、桜 稲垣早希など)のようにコンビ名をそのまま芸名として
使い続けることがあるが、升野は「バカリズム升野」ではなく、「バカリズム」とかつての
コンビ名をそのまま芸名にしている(同様のケースに俺のバカ、本日は晴天なりなどがある)。
これはピン芸人に移行する際、芸名を変更すると芸歴がリセットされ、お笑いライブに新人扱いで
オーディションから改めて参加しなければならず、それを避けるためとのこと。
本人は「バカリズムというユニットを今は1人でやっている」と述べている。
ネタ作りは1人で、直接パソコンで台本を書きながら行う。一度に複数の台本ファイルを開き、
飽きたら違うほうという方法で書いている。
ネタは「トツギーノ」や「地理バカ先生」のように数時間で完成するものから、何か月も
かかるものまである。
ネタにおいては発想が先にあって、そのあとにその発想を面白く見せるキャラや見せ方を考える。
また、ネタで使うフリップは手書きである。
「架空升野日記」という架空のOLの日常を綴るブログを書いている。
小林賢太郎(ラーメンズ)と「大喜利猿」という大喜利ユニットを結成している。
今立進(エレキコミック)、ニイルセン、大滝裕一(18KIN)、小林知之(火災報知器)で
「ピコピコ団」というグループとして不定期にゲーム大会を行っている。

テレビ番組では「トツギーノ」や「地理バカ先生」などのフリップネタを披露することが多いが
本人は「誰がやってもいいっていうところがある」という理由で元々フリップネタが好きではない。
「トツギーノ」も当初は単独ライブで箸休め的なネタとして作ったのがきっかけだった。
「トツギーノ」で仕事がもらえるようになってきたが、「このままではトツギーノの人に
なってしまう」ということで、テレビではほかのネタをやるようにした。
エレキコミックと片桐仁(ラーメンズ)が行っているライブ「エレ片」に、仕事の都合で
遅刻した片桐の代役として出演したこともある。ラジオ番組『エレ片のコント太郎』にも
片桐が休みのときに代役でたまに出演する。

2003年から1年間日村勇紀(バナナマン)と同居していたことがあり、『お正月から笑いを
獲れ 新春イロモネアSP!』には日村とコンビを組んで、エントリー名「日村&バカリズム」で
出場している。バカリズムはこの時が『イロモネア』初出場となった。
日村からヒデと呼ばれてている。
今田耕司からも「(後輩の中で)今いちばん面白いと思う芸人」に挙げられている。
2009年11月よりいとうせいこうに誘われTwitterを始める。
2010年のR-1ぐらんぷり出場後にTwitter上で、今後はR-1に出場しないことを発表した。
『人志松本の○○な話』(フジテレビ系)をきっかけに彫刻の森美術館のCM監督を務め、
3パターンのCMが実際のCM枠で約1か月間放映された。
実家は弁当屋で、幼少時代はサザエのふたでおはじき、かまぼこの板で積み木をしていた。
「頭がよい」という芸風であるが、実はあまり頭はよくなく常識が乏しいと認識しており、
2008年頃からクイズ番組への出演は全てNGとしている。

【受賞歴】

1999年 第14回OWARAIゴールドラッシュII優勝
2006年 R-1ぐらんぷり4位
2007年 R-1ぐらんぷり3位
2009年 R-1ぐらんぷり3位
2009年 IPPONグランプリ〜開幕戦inお台場〜 優勝
2010年 R-1ぐらんぷり7位
2010年 IPPONグランプリ〜秋の陣〜 優勝
2011年 IPPONグランプリ〜第5回〜 優勝
所属事務所:吉本興業
メンバー:山田與志(1974年10月19日生まれ・O型・ツッコミ)
     多田健二(1974年8月8日・B型・ボケ)


2人の出会いは中学。共に大阪NSC12期生。同期に小藪和豊、2丁拳銃、など。
高校時代にコンビを組み、学園祭などで漫才を披露していた。多田は高校卒業後に
NSCへ行くことを決めていたが、学生時代の山田與志が女の子にモテモテで嫉妬心が
あった為に、NSCには誘わず新しい相方をNSCで見つけようと思い、與志には
デザインの専門学校へ行くと嘘をついたが、與志も同じデザイン専門学校へ行こうと
していることがわかり、さすがに嘘をつきとおすことができないと思い正直に
NSCへ行くことを告げた。それを聞いた與志は「それなら俺もNSCへ行く」と言い、
2人揃ってNSCへ行くことになった。
学生時代は「健二」「與志」と呼び合っていたが、芸人になってから名前で呼び合うのは
恥ずかしくなり、今では「自分」「ちょっと」などと呼ぶ会う冷めきった仲になってしまった。

baseよしもとを中心に活動していたが2001年東京進出。劇場番長と呼ばれる。
ネタは二人で作成、主に漫才。



【受賞歴】

1992年、JNN系列素人名人会・名人賞受賞 (NSC在学中の素人時代)
1998年、第19回ABCお笑い新人グランプリ・最優秀新人賞受賞
1999年、NHK新人演芸大賞(演芸部門)・大賞受賞
2001年、第36回上方漫才大賞・優秀新人賞受賞 
第1回M-1グランプリ準決勝進出
第2回M-1グランプリ準決勝進出
第3回M-1グランプリ準決勝進出(結成10年目最終年)
第6回R-1ぐらんぷり決勝進出8位(山田のみ)
第7回R-1ぐらんぷり決勝進出同点3位(山田のみ)
第8回R-1ぐらんぷり決勝進出(サバイバルステージで1位になり敗者復活)9位(山田のみ)
第9回R-1ぐらんぷり決勝進出ベスト4(山田のみ)
2009年度S-1バトル8月チャンピオンに(山田のみ)
S-1グランドチャンピオン2010、全体で7位(山田のみ)



【パーソナルデータ:山田與志】

大阪府枚方市出身、大阪府立磯島高等学校卒業。
先輩、後輩問わず、「與志」「與志さん」と下の名前で呼ばれることが多い。

【パーソナルデータ:多田健二】

大阪府枚方市出身、大阪府立磯島高等学校卒業。
ウーマンラッシュアワーの村本と仲が良く、大阪の親友と呼んでいる。

所属事務所:吉本興業
メンバー  :八木真澄(1974年8月4日生まれ・O型・ツッコミ)
        高橋茂雄(1976年1月28日生まれ・A型・ボケ)


同じ立命館大学の柔道部に所属し、先輩・後輩関係にあたる。在学中にコンビ結成。
2人ともNSCには通っておらず、大阪NSCの12期生と13期生の間にあたり、同期がいない。

立命館大学在学中に、学祭に来た千原ジュニアが高橋の漫才を見て褒め、それから遊び心で
コンビを結成。 八木が「ジャマイカ」という名前を提案したところ高橋の反対にあったため、
地域名なら妥協してくれるだろうと「サバンナ」を提案。そのままコンビ名になった。
高橋がハロルド作石の大ファンであるため、当時連載中だった『サバンナのハイエナ』に
ちなんでサバンナを提案したとも語っている。

初舞台は1994年、オーディションイベント「2丁目ワチャチャライブJr.」である。
吉本興業所属の芸人だが、コンビ2人共がNSCへ通わずにデビューしたと言う珍しいコンビ。
芸歴としては、大阪NSC12期生(小籔千豊、土肥ポン太など)より後輩だが、同13期生
次長課長ブラックマヨネーズ、徳井義実(チュートリアル)など)より先輩という位置と。




【受賞歴】

第18回 ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞(1997年)
第4回 BGO上方笑演芸大賞 2008年度大賞受賞(2009年)


【パーソナルデータ:高橋茂雄】

京都府京都市生まれ。
立命館中学校、立命館高等学校、立命館大学卒業。
通称「茂雄」。
ネタ作成担当。
貧弱で色白な体つきと、笑っているようにも捉えられるような独特のトーンでの話し口調が特徴。
実家は歯科医院である。1歳上の兄がいる。祖父、父、兄、親戚に歯科医師が合計5人程いる。

小学校の高学年の時に転校生にいじめられ、このまま市立中学に上がってもまたいじめられる
と思い、6年生に進級した時点から「小学生では信じられない程の集中力」で猛勉強して
私立の立命館中学校に入学。立命館大学卒業2か月前に行われた期末テストと初の単独舞台の
日程が被ったが、高橋は期末テストを蹴って単独舞台を選んだ為に4年で卒業することができず、
その後留年し、残った単位を取得して文学部を卒業した。

自他共に認める「太鼓持ち」、常に先輩の楽屋に入り浸っている。

柔道部時代に八木に徹底的に取り入って「いじめられも、しごかれもしないポジション」を
手に入れていたことが、現在の「たいこ持ち芸人」としてのルーツであったという。
現在はTKF(たむらけんじファミリー)の下部組織、「しげおBOYS」を率いている。

キュウリが大好物である。 柔道部の後輩にくるりの岸田繁がいる。

『アメトーーク!』にて「中学の時イケてないグループに属していた芸人」をプレゼンし、
実現させた。この企画は過去数回放送されており、2009年1月のギャラクシー賞を受賞している。

運動神経が非常に悪い。




【パーソナルデータ:八木真澄】

京都府綴喜郡井手町生まれ。
立命館中学校、立命館高等学校、立命館大学卒業。
通称「八木ちゃん」「真澄」。

高校時代は柔道部のキャプテンで黒帯だった。柔道では食べていけないということで柔道の道を
諦め、税理士を目指して勉強していたが、結局お笑いの道に進む。
柔道二段、極真空手初段。
相撲好きである(好角家)。
大学生の頃から毎日日記を書き綴っている。ほかに、オリジナル詩集やオリジナル小説、
ファッションチェックノートなど、謎のノートが数多く保存されている。その中には
『怪獣大百科』の怪獣のテーマソングを自ら作詞・作曲したノートがある。その様子を高橋は
「未知との遭遇」だと言っている。
自身のiPodには宇多田ヒカルの曲しか入っていないと語るほど大ファンである。

東京に出てきた時に初めて住んだ部屋は家賃3万円の部屋。1軒家で、1階に老夫婦が住んでいて、
隣の部屋によそのおばあちゃんが住んでる4畳半の部屋に下宿した。その部屋をやめた理由が
「なんか、人の家のニオイがする」というものだった。
いたずら電話を撃退する為にかけてきた相手に対してめっちゃキレたが 最後に「ほなね~」と
言ってしまった。「そういうほなねちゃうからね~」とかけなおした。
純粋すぎて、ケンドーコバヤシにホームレスをあれは死んでる人だと教えられて信じてしまい、
ホームレスに対していちいち拝んでいた。


2012年3月14日、かねてより交際していた11歳年下の一般女性と結婚。
所属事務所:吉本興業
メンバー  :河本準一(1975年4月7日生まれ・AB型・ボケ)
        井上 聡 (1976年2月2日生まれ・B型・ツッコミ)


2人は岡山市立京山中学時代に野球部で知り合う。遅れて入部した河本が初めて練習に
参加した日に、監督が部員にキャッチボールをするよう言ったにもかかわらず、
1人だけバットを持ってフルスイングしていた井上に河本は話しかけ、一緒にキャッチボールを
したのが最初の出会いで、それからは毎日のように一緒に遊ぶ仲になる。
2人はこの中学1年のときに出会って以来、今まで一回もケンカをしたことがない。
2人とも運動神経は抜群だったが、勉強は苦手だった。中学3年のときに8000人が受けた
岡山県内の模擬試験で、河本が7980位、井上が7982位だった。(当時の偏差値は河本23、井上21)。
そのため、高校へ進学できるのか先生も悩んだが、井上は野球のスポーツ推薦で私立高校へ行き、
河本は定員割れの学校を見つけて県立高校へ入学した。
それぞれ違う高校に進学し一時期疎遠となったが、高校2年生の時に河本が井上宅に
遊びに行き再会。再び交流が深まり、頻繁に遊ぶようになった。

高校卒業後、河本は就職先が見つからなかったが、井上は親戚が営んでいたガラスサッシの枠を
作る会社に就職が決まりかけていた。しかし、河本から
「吉本に入ろう!ジャッキー・チェンに会えるで!!」と誘われ、そのまま現在に至る。
井上を誘った理由は「友達の中で、井上がいちばんおもしろかったから。

2人はNSCに入学する為に18歳で岡山から大阪へ上京し、大阪NSC13期生となる。
同期にチュートリアル徳井、野生爆弾ブラックマヨネーズなど。華の13期生と呼ばれる。
NSC在学中は「次長課長社長」というトリオだったが、わずか1年でひとりが岡山へ帰った為に
コンビとなった。
結成当初は3人で一緒に住んでいたが、3か月で家賃が払えなくなり、追い出されたこともあった。

1995年、心斎橋筋2丁目劇場にてデビュー。2丁目劇場閉鎖後は、1999年にオープンしたbaseよしもとの
主力メンバーとして活躍。単独ライブは毎回タイトルに東京23区の区名がつけられ、
全23回開催された。このライブシリーズにはフットボールアワー、ストリーク、レギュラーらが
毎回出演していた。
レギュラーの「気絶」ネタは次長課長が考えたものであり、松本康太は井上の家に半年間、
河本の家に1年間居候していたことがある。
河本が椎間板ヘルニアで入院した際、井上は師弟関係にあるケンドーコバヤシとコンビを組み、
一緒に学園祭などの仕事を行っていた。ツッコミなしでボケにボケを重ねる形のネタを披露し、
非常にウケて好評だったらしい。
しかし、河本が退院した直後に行われた次長課長単独の復帰ライブはだだスベりで
劇場の三階にある本屋のレジの「チーン」という音が聞こえるほどのスベりようだった。
チャイルドマシーン(解散)が東京に行く際、カラオケで号泣しながらシャ乱Qの「上京物語」を
歌って彼らを送った。
2001年に一度だけ、第1回M-1グランプリに出場したことがある。しかし、2回戦でコントを披露して
敗退となった。
2002年9月23日、東京23区の最終ライブ「中央次課長」をもって、本人達の意向により
baseよしもとを卒業。
卒業ライブでは、407人というbaseよしもと(座席数233席)の観客動員記録を作る。
(この記録は未だに破られていない)。
東京進出後 [編集]2002年10月、東京進出。
東京での知名度はほとんどなかったため、一からのスタートとなった。ルミネtheよしもとの
舞台には出演していたが、他の仕事はゼロに近く、苦しい極貧生活の日々が続いた。
(当時の給料は、大阪時代の約4分の1に減少。)
東京ではしばらく芽が出なかったが、2004年頃からマニアックなものまねが注目され始めた。
2003年秋から、TBSの深夜番組「U-CDTV」でネタ見せのコーナー「お笑いCDTV」ライブが始まり、
次長課長だけが毎月必ず出演。東京では珍しく、いくつかの代表的なネタが完全放送された。
この番組をきっかけとして、次長課長が、東京のテレビ関係者に認知され始めたらしい。
TBSに関しては、「お笑いCDTV」終了後、同じスタッフが始めた「Goro's Bar」での東京
初レギュラー出演につながり、さらに、「うたばん」出演や単独冠番組「次長課長のヨイショ!」
などへとつながった。

あくまでコンビ名なのでどちらが次長でどちらが課長というわけではない。だが、ごくまれに
バラエティ番組で「次長 河本」「課長 井上」という設定になることもある。
コンビ名は大阪府で2人がアルバイトしていた居酒屋で、社員だった次長さんと課長さんに
お金をもらい、励まされたことから。

コントのネタ作り以外は、相方である井上をこの世界に誘ったのも東京行きを決めたのも河本。
ゆえに「ネタ作りの主導権は井上、人生の主導権は河本」と語る。
井上がネタを考え、求めていることを河本がしてくれるのでお客さんの誰よりも先に
井上が笑い、井上が求めてることをするために「なんでやねん」というツッコミがない。

ネタはコント、漫才をしていたが、東京に進出してからはコントが主流にんった。
実際に舞台に足を運んで、生でネタを楽しんでもらいたいという2人の意向により、未だに
単独ライブのDVDは発売しない方針である。

河本は仕事終わりにほぼ毎日飲みに行き、逆に井上はほぼ毎日まっすぐ帰る。
他のコンビは次長課長が舞台上以外で話してるところを見たことがないという。

河本が言う井上のすごいところ
オリジナルの事を考えることがすごい、創造性がすごい。
何に対しても臆することのない強心臓の持ち主。
戦士のような肉体美。

井上が言う河本のすごいところ
誰のふところにも溶け込めるところが天才的で、羨ましい。


【パーソナルデータ:河本準一】

岡山県出身、岡山県立東岡山工業高等学校卒業。
名古屋市で生まれ、9歳のとき両親が離婚し岡山県津山市に転居、更に岡山市に転居した。
母親はスナック経営をしながら河本を育てた。小学校から9年間、サッカーをやっており、
高校時代は国体の岡山県選抜メンバーに選ばれた。2年生でキャプテンも務めていたが、
ある試合でのシュート失敗が河本のサッカー人生を狂わせ、退部を決意。
高校2年の秋に、お笑いに興味があった訳でもないが、MBSテレビの『素人名人会』に出演し、
敢闘賞を受賞した。

18歳で芸人になりたくて大阪へ。1994年に井上、山下正人とトリオ「次長課長社長」を結成。
だが、1年程で「社長」にあたる山下が脱退した為、コンビ「次長課長」に変更。
最初はツッコミ担当であったが、1999年3月の心斎橋筋2丁目劇場閉館直後にボケに転向。
近年は相方の井上がバラエティ番組などで天然ボケをいじられる機会も多く、ツッコミや仕切りを
務めることも増えてきている。

岡山から大阪に出てきた当時は何度も岡山に帰ることも考えたが、相方井上の存在が
踏みとどまらせた。「自分がこの世界に引きずり込んで、あいつの人生を狂わしたのに、
自分が帰ったらあいつはどうなる」と発言。

19歳のとき、ホストとして働いたことがある。たびたび披露しているタンバリン芸は、
このホスト時代に覚えたもの。また、働いていたホストクラブでNo.3だったと言っているが、
その店にはホストが4人しかいなかった。


東京に進出してしばらくは仕事がなく当時の月給は4万円であり、河本はルミネの近くにある
託児所に子どもを預け、出番が終わると歌舞伎町の風俗案内所でアルバイトをしていた。
嫁は当時、銀座でホステスをしており40万円稼いでいた。みのもんたに指名された事もある。


2003年3月に、元大阪パフォーマンスドールの重元直美と結婚し、現在一男一女の父である。
宮迫博之(雨上がり決死隊)、オール阪神などと並ぶ恐妻家としても有名で、実際に妻に
束縛されたりすることがある。

『ダイナマイト関西』でのキャッチフレーズは「お笑い慶應ボーイ」。

仲の良い芸人は品川庄司の品川、オリエンタルラジオの藤森ら。
大御所の堺正章とも仲が良く、堺の自宅に遊びに行くほどである。



【パーソナルデータ:井上 聡】


岡山県岡山市出身、金山学園高等学校卒業。
お笑い界屈指のイケメンとして知られており、クールな性格だと思われがちだが、
かなりの天然ボケで、クイズや雑学系の番組にて珍解答ばかりをする為、「バカ」「アホ」などと
いじられる事も多い。また、自他共に認めるおたくであるという。

中学の時に、先生に高校に進学したいと言うと、「井上、夢を見るな」と言われた。

趣味はゲーム、アニメでドラゴンボールに関しては芸能界一のドラゴンボールファンとも言われ、
原作者の鳥山明とはメール交換する仲になり、キャラクターも模した似顔絵を書いてもらった。

酒が飲めず、非常に小食。
女の子と2人きりになった時に、ずっと河本がおもしろいという事を話していた。

仲の良い芸人は、麒麟川島、ケンドーコバヤシハリセンボン箕輪など。
基本的には後輩と仲良くすることが多い。

吉本男前ランキングで3年連続1位になり、2008年に殿堂入りを果たした。

所属事務所:人力舎
メンバー:飛永翼(1983年2月13日生まれ・ツッコミ)
     大水洋介(1982年2月12日生まれ・ボケ)


出会いはプロダクション人力舎が運営する養成所スクールJCAの10期生。
授業で大声で変な事をしていた大水を飛永が誘い、コンビ結成。
コンビ名は、日本のロックバンドGRAPEVINEの楽曲『RUBBERGIRL』に由来する。
コンビ仲がとても良い。飛永は大水の事を「大水くん、大水さん」と呼ぶが
大水は飛永の事は呼ばないという。
お互いに誕生日プレゼントを贈りあっており、ある年、生活の苦しかった飛永が
お米券をリクエストしたが、味気ないとの理由で毎月2キロのお米が届けられた。

オンバトに受かる為の下衆な技を持っている。
有名占い師のゲッターズ飯田には売れるのは2016年だと言われている。

普段自分たちのネタ合わせがゆるい感じな為、他の事務所芸人とユニットコントを
やろうとすると、稽古が熱すぎて飛永は泣きそうになってしまい、これがトラウマで
他の芸人とのユニットコントをやるのに抵抗がある。


【受賞歴】

2005年、NHK新人演芸大賞演芸部門本戦出場
2006年、第4回お笑いホープ大賞決勝進出
2008年、第6回お笑いホープ大賞東京ウォーカー賞
2008年、第1回キングオブコント準決勝進出
2009年、第2回キングオブコント準決勝進出
2010年、第3回キングオブコント決勝進出(5位)
2011年、第4回キングオブコント準決勝



【パーソナルデータ:大水洋介】

青森県北津軽郡板柳町出身。
人見知りで、社交的な相方と違い友達が少ない。
同じ事務所の東京03の飯塚にかわいがられており、よく飲みに行く。
キングオブコメディの今野浩喜とも仲が良い。
趣味、特技はスキー、暗記。
芸人を志した際、スクールJCAと吉本総合芸能学院(NSC)に願書を出し両方とも合格したが、
「吉本は週6日授業なのに人力舎は週3日で『楽できるな』と思った」との理由でスクールJCAに
入ったという。


【パーソナルデータ:飛永 翼】

静岡県出身。
社交的な性格で友達が多い。事務所関係なく芸人に友達が多く特にしずると仲が良い。
パンが好き。
ももいろクローバーZの大ファン。
格闘技を習っており、デビュー戦では見事な一本勝ちを決めた。
所属事務所:吉本興業
メンバー :徳井義実(1975年4月16日生まれ・A型・ボケ)
       福田充徳(1975年8月11日生まれ・O型・ツッコミ)


2人は幼馴染みで、幼稚園(菊の花幼稚園)→小学校(京都市立修学院小学校)→
中学校(京都市立修学院中学校)→高校(京都府立北稜高等学校)を共に過ごす。
そして二人揃って大学受験に失敗し、同じ予備校(河合塾京都校)で1年間浪人。
その後、徳井は花園大学に、福田は大阪学院大学に進学した。

徳井だけが別の友人に誘われNSCに入学したが、徳井からコンビ解散の話を聞いた、
当時親友でもあった福田が、徳井を再びお笑いの道へと誘う。
徳井は快諾するものの共に行動力がなかった上に次の一歩が踏み出せず、
さらに「会ったら真剣にいろいろと話をしなくてはいけない」ということが
当時学生だった自分たちにとって重かったことから、それまで毎日会っていたのに急に
連絡を取らなくなり二人は疎遠に。しかし3年後、大学4回生の春に社会人になるのか芸人を
目指すのかを再び話し合い、就職難も相まって1998年3月に正式にコンビを結成。

NSC13期生の同期にブラックマヨネーズ次長課長野生爆弾

コンビ間は仲が良く、喧嘩もなければ解散したいと思ったこともないという。


【受賞歴】

2000年 ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞
2001年 M-1グランプリ8位
2002年 上方お笑い大賞新人賞
2003年 NHK上方漫才コンテスト優秀賞
2003年 上方お笑い大賞新人賞
2004年 上方漫才大賞新人賞
2005年 M-1グランプリ5位
2006年 M-1グランプリ優勝



【パーソナルデータ:徳井義実】

京都府京都市出身、花園大学中退。
高校在学中にお笑い芸人「ティーアップ」の漫才を友人と完全コピーして行った時、
笑いがとれたことがきっかけでその友人と「赤とんぼ」というコンビを組み、漫才を始める。
さらに大学浪人時代には、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「お笑い甲子園」で優勝した
経験を持つ友人からNSCに一緒に行こうと半強引に誘われ、NSC13期生として入学し
「チューイング」を結成。しかしNSC卒業後、徳井を誘った相方が彼女との結婚を考え芸人引退を
決意し、コンビは解散。徳井自身もお笑いを辞め、大学に進学した。
4回生の時点で2単位しかとっていなかった為に大学は中退した。

妹がおり、同じ吉本興業所属のBコースの渡辺と付き合っている。
ネタは徳井が作成。



【パーソナルデータ:福田充徳】

京都府京都市出身、大阪学院大学卒業。
両親は公務員。
趣味はバイク、料理。
家で一人で飲むのが好きだが、2011年1月10日に急性膵炎に罹り入院し激やせした。
この時、痛みを発症していちばん最初にしたことが本屋に行って、自分の病気が何であるのかを
家庭の医学で調べた。
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